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チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調, Op.36(Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor, Op.36)


イーゴリ・マルケヴィチ指揮:フランス国立放送管弦楽団 1956年10月29日~11月1日録音(Igor Markevitch:Orchestre National de l'ORTF Recorded on October 29-November 1, 1956)をダウンロード

  1. Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor, Op.36 [1.Andante sostenuto - Moderato con anima]
  2. Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor, Op.36 [2.Andantino in modo di Canzone]
  3. Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor, Op.36 [3.Scherzo. Pizzicato ostinato.]
  4. Tchaikovsky:Symphony No.4 in F minor, Op.36 [4.]Finale. Allegro con fuoco]

絶望と希望の間で揺れ動く切なさ



今さら言うまでもないことですが、チャイコフスキーの交響曲は基本的には私小説です。それ故に、彼の人生における最大のターニングポイントとも言うべき時期に作曲されたこの作品は大きな意味を持っています。

まず一つ目のターニングポイントは、フォン・メック夫人との出会いです。
もう一つは、アントニーナ・イヴァノヴナ・ミリュコーヴァなる女性との不幸きわまる結婚です。

両方ともあまりにも有名なエピソードですから詳しくはふれませんが、この二つの出来事はチャイコフスキーの人生における大きな転換点だったことは注意しておいていいでしょう。
そして、その様なごたごたの中で作曲されたのがこの第4番の交響曲です。(この時期に作曲されたもう一つの大作が「エフゲニー・オネーギン」です)

チャイコフスキーの特徴を一言で言えば、絶望と希望の間で揺れ動く切なさとでも言えましょうか。

この傾向は晩年になるにつれて色濃くなりますが、そのような特徴がはっきりとあらわれてくるのが、このターニングポイントの時期です。初期の作品がどちらかと言えば古典的な形式感を追求する方向が強かったのに対して、この転換点の時期を前後してスラブ的な憂愁が前面にでてくるようになります。そしてその変化が、印象の薄かった初期作品の限界をうち破って、チャイコフスキーらしい独自の世界を生み出していくことにつながります。

チャイコフスキーはいわゆる「五人組」に対して「西欧派」と呼ばれることがあって、両者は対立関係にあったように言われます。しかし、この転換点以降の作品を聞いてみれば、両者は驚くほど共通する点を持っていることに気づかされます。
例えば、第1楽章を特徴づける「運命の動機」は、明らかに合理主義だけでは解決できない、ロシアならではなの響きです。それ故に、これを「宿命の動機」と呼ぶ人もいます。西欧の「運命」は、ロシアでは「宿命」となるのです。
第2楽章のいびつな舞曲、いらだちと焦燥に満ちた第3楽章、そして終末楽章における馬鹿騒ぎ!!
これを同時期のブラームスの交響曲と比べてみれば、チャイコフスキーのたっている地点はブラームスよりは「五人組」の方に近いことは誰でも納得するでしょう。

それから、これはあまりふれられませんが、チャイコフスキーの作品にはロシアの社会状況も色濃く反映しているのではと私は思っています。
1861年の農奴解放令によって西欧化が進むかに思えたロシアは、その後一転して反動化していきます。解放された農奴が都市に流入して労働者へと変わっていく中で、社会主義運動が高まっていったのが反動化の引き金となったようです。
80年代はその様なロシア的不条理が前面に躍り出て、一部の進歩的知識人の幻想を木っ端微塵にうち砕いた時代です。
私がチャイコフスキーの作品から一貫して感じ取る「切なさ」は、その様なロシアと言う民族と国家の有り様を反映しているのではないでしょうか。


ある種の「あざとさ」みたいなものが浮かび上がってくる


少し残念な録音ですね・・・。それが聞き始めたときの第一感想です。
一言で言えば、ややくぐもった録音で細部の見通しがいささか良くありません。スタジオでのきちんとした録音ですし、フランス国立放送管弦楽団はそんなに悪いオケではありません。いや、オケの合奏能力という点では当時のフランスではもっとも優れたオケの一つだと言っていいはずです。となる、この責任は録音スタッフの側にあると言うことになるのでしょうか。

第1楽章の出だしから実に堂々とした足運びで音楽は進んでいきます。
マルケヴィチと言えばすぐに思い出すのは「どのような小さな音符であっても蔑ろにしない」という理想です。もっとも音価の短い音符が明確に聞き取れる事がテンポ設定の基本だと言うことでした。
それだけにこのくぐもった録音は実に残念だったのです。

しかし、聞き進んでいくうちになんだか面白いことに気づいてきました。
マルケヴィチの方法論はどの作品においても徹底されていて、まさに作曲家としての目をもって作品を徹底的に分析し、その構造を誰の耳のも分かるように提示してくれる演奏でした。
それは、「作曲家の意志に忠実」というような、結局は何の実体も伴わない「呪文」に寄りかかる事ではなく、結果としては、すでに多くの人が数限りなく通ったことで出来上がった深い轍の上を通る事を拒否しているように聞こえるのです。

後年、マルケヴィッチはこの作品をロンドン響と録音しているのですが、それはそれは見事に自分の作品分析に添って細部の細部まで見通せるような素晴らしい造形を実現しています。
ところが、この56年の録音では、同じ方法論を貫きながら、なんだか聞き進んでいく内にこの作品が内包しているある種の「あざとさ」みたいな者が浮かび上がってくるような気がするのです。とりわけ、最終楽章ではその妄想は振り払っても、振り払っても、振り払えなくなっていきます。

それは、意地悪く勘ぐれば、作曲家マルケヴィチから見ればチャイコフスキーの交響曲なんて所詮はこんなものですよ、と言う声が聞こえてきそうな感じがするのです。
とりわけ、第3楽章や最終楽章で時々垣間見られる、どちらかと言えばマルケヴィチらしくもないちょっとした表情づけに、そう言う悪意のようなものすら感じてしまいます。

思いきって書いてしまえば、どうしてこんな作品が世界中で高く評価されて演奏されるのに、どうしてオレの作品は評価されないんだという「闇」のようなものを感じてしまうのです。
しかし、その後のロンドン響との録音ではそう言う「闇」のようなものは全く感じさせません。それは、私たちが考えるマルケヴィッチらしいスリリングでパッションに満ちたチャイコフスキーです。

もっとも、そう言う妄想はこの録音のクオリティによるものかもしれません。
しかし、もしかしたら、この時期は作曲家であったマルケヴィチが指揮者であることを意識するようになっていた分岐点だったのかもしれない・・・とも考えてしまうのです。指揮者はどんな「芸術」をひっさげようが、最後は聞き手を楽しませなくては生きていけません。それは、作曲家としてのマルケヴィチと、指揮者としてのマルケヴィチの間では同居できない矛盾であったはずです。

まあ、妄想ですが。