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ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 変ロ長調 op.56a(Brahms:Variations on a Theme by Haydn in B-flat major, Op.56)
ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1956年11月29日録音(Rudolf Kempe:Berliner Philharmonisches Orchester Recorded on November 29, 1956)をダウンロード
変奏曲という形式にける最高傑作の一つ
これが、オーケストラによる変奏曲と括りを小さくすれば、間違いなくこの作品が最高傑作です。
「One of The Best」ではなく「The Best」であることに異論を差しはさむ人は少ないでしょう。
あまり知られていませんが、この変奏曲には「オーケストラ版」以外に「2台のピアノによる版」もあります。最初にピアノ版が作曲され、その後にオーケストラ版が作られたのだろうと思いますが、時期的にはほとんど同時に作曲されています。(ブラームスの作品は交響曲でもピアノのスコアが透けて見えるといわれるほどですから・・・)
しかし、ピアノ版が評判となって、その後にオーケストラ版が作られた、という「よくあるケース」とは違います。作品番号も、オーケストラ版が「Op.56a」で、ピアノ版が「Op.56b」ですから、ほとんど一体のものとして作曲されたと言えます。
この作品が作曲されたのはブラームスが40歳を迎えた1873年です。
この前年にウィーン楽友協会の芸術監督に就任したブラームスは、付属している図書館の司書から興味深いハイドンの楽譜を見せられます。
野外での合奏用に書かれた音楽で「賛美歌(コラール)聖アントニー」と言う作品です。
この作品の主題がすっかり気に入ったブラームスは夏の休暇を使って一気に書き上げたと言われています。
しかし、最近の研究では、この旋律はハイドン自身が作曲したのではなく、おそらくは古くからある賛美歌の主題を引用したのだろうと言われています。
それが事実だとすると、、この旋律はハイドン、ブラームスと二人の偉大な音楽家を魅了したわけです。
確かに、この冒頭の主題はいつ聞いても魅力的で、一度聞けば絶対に忘れられません。
参考までに全体の構成を紹介しておきます。
- 主題 アンダンテ
- 第1変奏 ポコ・ピウ・アニマート
- 第2変奏 ピウ・ヴィヴァーチェ
- 第3変奏 コン・モート
- 第4変奏 アンダンテ・コン・モート
- 第5変奏 ヴィヴァーチェ
- 第6変奏 ヴィヴァーチェ
- 第7変奏 グラツィオーソ
- 第8変奏 プレスト・ノン・トロッポ
- 終曲 アンダンテ
冒頭の魅力的な主題が様々な試練を経て(?)、最後に堂々たる姿で回帰して大団円を迎えると言う形式はまさに変奏曲のお手本とも言うべき見事さです。
浮世離れしたほどの徹底的な保守主義
ケンペのブラームスと言えば、今までに4つの交響曲とドイツ・レクイエムだけを紹介して、もう一つの大物であるハイドン・ヴァリエーションは長きにわたって紹介するのを失念していました。
変奏曲という形式における最高傑作の一つと言っていいこの作品は、その晩年において「遅れてきた巨匠」と呼ばれるようになったケンペの美点が良く出ている演素です。
今まで散々に放置しておいて今さらという感もあるのですが、やはり紹介せずに放置というわけにはいかないでしょう。
今さら指摘するまでもないのですが、ケンペと言えばベートーベンやブラームスに代表されるようなドイツ・オーストリア系の正統派の作品を手堅くまとめ上げるというイメージがついて回ります。ついでに付け加えれば、一聴しただけではその良さは伝わらないけれども、何度も繰り返し聞くうちにその真価が理解できる指揮者と言う評価もついて回りました。
ただし、少しばかり嫌みっぽく言えば、これほど情報があふれかえっている世の中で、一度聞いただけでは魅力がストレートに伝わってこないような演奏を、何度も繰り返し聞くような「暇人」がどれほどいるのだろうかと心配になってしまいます。
しかし、この国では、そんなケンペを愛する人が多いのです。
そう言えば、ケンペが70年代に録音したベートーベンの交響曲全集が復活して販売されたのは日本からの強いオファーの結果だったという話を聞いたことがあります。私たち日本のクラシック音楽愛好家はケンペの中に「遅れてきた巨匠の姿」を見ていたようなのです。
そんなケンペと言う指揮者の本質をもっとも的確に言い当てていたのは「Decca」の名物プロデューサーだったカルショーの言葉だったと私は思います。
カルショーはケンペのことを「欠点がクーベリックと酷似している」と述べ、さらには「浮世離れしている」と述べていたのです。
もう少し詳しく言えば、カルショーはクーベリックのことを「徹底的な保守主義者」で「新しいことには一切の興味を示さない」と述べて、ケンペにはそこに「浮世離れ」していると付け加えたのです。
つまりは、「新しいことには一切の興味を示さない、浮世離れしたほどの徹底的な保守主義者」と評したのです。
それは、カルショーにとってはいささか我慢できないことだったのでしょうが、この国ではその浮世離れしたほどの徹底的な保守主義を好ましく思う人が多かったのです。それを教養主義の残滓と切って捨てるのは簡単ですが、ヨーロッパではさっさと見切りをつけらつつあったその様な古さを東洋の島国では愛でる人が多くいたというのはある意味では素晴らしいことだったと思うのです。
それは、戦後のザッハリヒカイトの潮流がピリオド演奏という鬼子を生んで砕け散ってしまった(と、私は確信しているのですが)事実を前にすれば、ケンペの浮世離れした保守主義はまるで一筋の光明のように見える人がいるかもしれないのです。
私もその様な一人です。