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モーツァルト:ピアノ・ソナタ第18(17)番 ニ長調 K.576(Mozart:Piano Sonata No.18(17) in D major, K.576)
(P)ワンダ・ランドフスカ:1938年1月14日&16日録音(Wanda Landowska:Recorded on January 12&14, 1938)をダウンロード
- Mozart:Piano Sonata No.18(17) in D major, K.576 [1.Allegro]
- Mozart:Piano Sonata No.18(17) in D major, K.576 [2.Adagio]
- Mozart:Piano Sonata No.18(17) in D major, K.576 [3.Allegretto]
最後の4つのソナタ
モーツァルトが残した最後の4曲はそれぞれが独自の世界を形作っていて、何らかのグループにまとめることは不可能なようです。
ウィーンでの成功ははかなく消え去ろうとしていました。
生活の困窮によって家賃の高い家に住むことが難しくなったモーツァルト夫妻は頻繁に転居を繰り返すようになります。そして、フリーメーソンの友人であった裕福な商人、ミヒャエル・ブラベルグに泣きたくなるような借金の手紙を何通もしたためるようになります。
この時期にモーツァルトは3つのピアノ曲を書いています。
一つはピアノのためのアレグロとアンダンテK533で、これに旧作のロンドヘ長調K494をくっつけてピアノソナタに仕立て上げ、ホフマイスターから出版しています。言うまでもなく生活のために売り飛ばすのが目的でしたが、晩年のモーツァルトを代表するすぐれたピアノ曲に仕上がっています。
第1楽章は将来のジュピターシンフォニーにつながっていくような対位法の世界です。しかし、注目すべきは第2楽章に現れる強烈な不協和音です。まるで一瞬地獄の底をのぞき込むような音楽は、隣り合って作曲されたK540アダージョにも共通する特徴です。
このアダージョの方はどのような経緯で作曲されたのかは全く分かっていませんが、これこそは救いがたい悲劇性に貫かれた音楽となっています。アインシュタインはこのピアノのためのソロ音楽を「モーツァルトがかつて作曲したものうちでもっとも完璧で、感覚的で、もっとも慰めのないものの一つである。」と述べています。
そしてもう一つのピアノソナタ、K545はそれほど技量の優れない弟子たちのために書かれた音楽で、ピアノの前に縛り付けられた子どもたちがおそらくは200年以上にもわたって嫌々演奏してきた作品です。
しかし、この音楽にはモーツァルトのもっとも最上のものが詰め込まれています。極限にまでそぎ落とされながらもその音楽はモーツァルトらしいふくよかさを失なわず、光が飛び跳ねるような第1楽章から深い情感の込められた第2楽章、そして後期ロマン派のピアノ音楽を予想させるような第3楽章まで、いっさいの無駄をそぎ落として組み上げられたその音楽は一つの奇跡とも言えます。
そして、最後の二つのソナタです。
内田光子は1789年に作曲されたこの二つのソナタのことを「K457/K475のピアノの可能性を駆使しきった曲を忘れたかのごとくチェンバロの世界に戻る」と語っています。
モーツァルトはこの年に自らの苦境を脱するためにプロイセン王家を訪ねて就職の可能性を探ります。その旅の途中にライプティッヒを訪れてバッハの音楽に改めて大きな影響を受けています。
K570のソナタは「初心者のための小ソナタ」と題されているように技量に優れない弟子のために書かれたソナタと思われますが、対位法の産物とも言えるこの作品は左手で軽やかに伴奏をつけながら右手で歌わせるというのは決して易しくはありません。
これに続く、プロイセン王女のために書かれた最後のピアノソナタK576は易しいピアノソナタという注文にも関わらず、全く易しくない、それどころか彼のピアノソナタの中ではもっとも難しいだろうと思われる作品に仕上がっています。
アインシュタインは「フィナーレではプロイセンの王女のことは全く考えていない。・・・アダージョの深い憧れと慰めの中でも王女は考えていない」と述べ、この作品を「偉大な先駆者大バッハへの感謝としての創造物である」と断じています。
普遍的なロマンティシズム
ランドフスカと言えば、バッハをロマン主義的歪曲から救い出した演奏家として認知されています。
それだけに、彼女が最晩年に録音した一連のモーツァルト演奏を聞いたときには驚いてしまいました。それは、「自由自在」と言う言葉では言い表せないほどに、心のおもむくままにモーツァルトとの対話を楽しんでいるような演奏でした。
人間は年をとればとるほどに恐いものはなくなっていきます。何故ならば、つまらない世俗的な価値とか評価等というものがどうでもいいものになっていき、それよりは己に正直であることの方に居心地の良さを感じるからです。どうせ先は長くないのですから、つまらぬ事に心を煩わされるのは御免となってくるのです。
しかし、こうしてランドフスカの戦前に録音をしモーツァルトを聴いてみると、さすがに最晩年の演奏ほどには自由ではありませんが、それでも十分すぎるほどにロマンティックな演奏を展開しています。
1937年から1938年の録音ですから、ランドフスカは50代の終わり頃と言えます。まさに気力も体力も充実し、それを裏打ちする経験にも事欠かない時期の演奏です。それだけに、最晩年の演奏にはない力強さが演奏全体に漲っています。そして、いつも言っていることですが、こういう30年代後半のSP盤の録音クオリティは、私たちがSP盤というものにいだいているイメージとは大きくかけ離れるほどに優れているのです。
ですから、ランドフスカが何をしたいのか、何をしているのかはそれらの録音を通してはっきりと聞き取ることが出来ます。
例えば、「幻想曲 ニ短調 K.397」の叙情性にあふれた演奏は、最晩年のモーツァルト演奏と変わりないほどにロマンティシズムに溢れた演奏です。
こうなると、ランドフスカに対して「ロマン主義的歪曲から救い出した演奏家」というイメージが崩れ去るかのように思えてしまいます。
しかし、そこでもう一歩踏み込んで考えてみると、ランドフスカが救い出したのは「ロマン主義的なロマンティシズム」に「歪曲」された音楽だった事に気づかされます。しかし、そのために音楽というものが本来持っている普遍的な叙情性を漂白してしまうようなことはしないどころか、それこそを大切にしたのだと言うことに気づくのです。
考えてみれば、ヴィヴァルディにしてもテレマンにしても、もちろん、バッハやモーツァルトにしても、彼らの作品の中には実に美しい旋律が散りばめられていて、それをわざと無表情に素っ気なく演奏するなどと言うのはおかしな話です。
音楽というものの一つの重要な要素として、人間の自然な感情にそった素直で普遍性のあるロマンティシズムというのは必要不可欠です。そう言う自然で普遍的なロマンティシズムを、「ロマン主義」という一つの鋳型にはめ込んだロマンティシズムが「ロマン主義的歪曲」だったのです。
そして、それを抜け出すことで彼女は普遍的なロマンティシズムを追い求めたのです。
ロマン主義的歪曲から救い出すというのは、決して音楽を素っ気なく演奏することと同義ではないのです。
<追記>
コメントでも指摘していただいているように、この録音、最終楽章が突然終わってしまいます。しかし、復刻も砥のクレジットにも録音時間は2分36秒と記されていますので復刻ミスでもなさそうです。
昔はSP盤の収録時間に合わせてとんでもないテンポで演奏するなんて事もまかり通っていました。まあ、長いクラシック音楽の歴史の中の一コマとしか言いようがないのかもしれません。