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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18(Rachmaninov:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18)
(P)ジェルジ・シャーンドル:アルトゥール・ロジンスキ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1946年1月2日録音(Gyorgy Sandor:(Con)Artur Rodzinski New York Philharmonic Recorded on January 2, 1946)をダウンロード
- Rachmaninov:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18 [1.Moderato]
- Rachmaninov:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18 [2.Adagio sostenuto]
- Rachmaninov:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18 [3.Allegro scherzando]
芸人ラフマニノフ
第3楽章で流れてくる不滅のメロディは映画「逢い引き」で使われたことによって万人に知られるようになり、そのために、現在のピアニストたちにとってなくてはならない飯の種となっています。
まあ、ラフマニノフ自身にとっても第1交響曲の歴史的大失敗によって陥ったどん底状態からすくい上げてくれたという意味で大きな意味を持っている作品です。(この第1交響曲の大失敗に関してはこちらでふれていますのでお暇なときにでもご覧下さい。)
さて、このあまりにも有名なコンチェルトに関してはすでに語り尽くされていますから、今さらそれにつけ加えるようなことは何もないのですが、一点だけつけ加えておきたいと思います。
それは、大失敗をこうむった第1交響曲と、その失敗から彼を立ち直らせたこのピアノコンチェルトとの比較です。
このピアノコンチェルトは重々しいピアノの和音で始められ、それに続いて弦楽器がユニゾンで主題を奏し始めます。おそらくつかみとしては最高なのではないでしょうか。ラフマニノフ自身はこの第1主題は第1主題としての性格に欠けていてただの導入部になっていると自戒していたそうですが、なかなかどうして、彼の数ある作品の中ではまとまりの良さではトップクラスであるように思います。
また、ラフマニノフはシンコペーションが大好きで、和声的にもずいぶん凝った進行を多用する音楽家でした。
第1交響曲ではその様な「本能」をなんの躊躇いもなくさらけ出していたのですが、ここでは随分と控えめに、常に聞き手を意識しての使用に留めているように聞こえます。
第2楽章の冒頭でもハ短調で始められた音楽が突然にホ長調に転調されるのですが、不思議な浮遊感を生み出す範囲で留められています。その後に続くピアノの導入部でもシンコペで三連音の分散和音が使われているのですが、えぐみはほとんど感じられません。
つまり、ここでは常に聞き手が意識されて作曲がなされているのです。
聞き手などは眼中になく自分のやりたいことをやりたいようにするのが「芸術家」だとすれば、常に聞き手を意識してうけないと話は始まらないと言うスタンスをとるのが「芸人」だと言っていいでしょう。そして、疑いもなく彼はここで「芸術家」から「芸人」に転向したのです。ただし、誤解のないように申し添えておきますが、芸人は決して芸術家に劣るものではありません。むしろ、自称「芸術家」ほど始末に悪い存在であることは戦後のクラシック音楽界を席巻した「前衛音楽」という愚かな営みを瞥見すれば誰でも理解できることです。
本当の芸術家というのはまずもってすぐれた「芸人」でなければなりません。
その意味では、ラフマニノフ自身はここで大きな転換点を迎えたと言えるのではないでしょうか。
ラフマニノフは音楽院でピアノの試験を抜群の成績で通過したそうですが、それでも周囲の人は彼がピアニストではなくて作曲家として大成するであろうと見ていたそうです。つまりは、彼は芸人ではなくて芸術家を目指していたからでしょう。ですから、この転換は大きな意味を持っていたと言えるでしょうし、20世紀を代表する偉大なコンサートピアニストとしてのラフマニノフの原点もここにこそあったのではないでしょうか。
そして、歴史は偉大な芸人の中からごく限られた人々を真の芸術家として選び出していきます。
問題は、この偉大な芸人ラフマニノフが、その後芸術家として選び出されていくのか?ということです。
これに関しては私は確たる回答を持ち得ていませんし、おそらく歴史も未だ審判の最中なのです。あなたは、いかが思われるでしょうか?
時代の気分の反映
シャーンドル・ジェルジというピアニストの名前を見て「Who are You?」と思ってしまったのですが、演奏を聞いてみれば大変な切れ味で、かなり早めのテンポでこの難曲を見事に弾ききっているではないですか。さらに言えば、まさに一瞬たりとも緩みのないその引き締まった演奏には、再び感嘆の思いを込めて「Who are You?」と叫んでしまいました。
いやぁ、実にお恥ずかしい話で、いまさら何を言っているんだ、「ジェルジ・シャーンドル」という名前を見て「Who are You?」とはまだまだ修行がたりんとお叱りをうけそうです。
この時代のピアニストとしては素晴らしいテクニックの持ち主であり、その一音一音がこの上もなく明晰なのには驚かされます。もっとも、46年に録音されたSP盤でどこまでそういうことが判断できるのかという声も聞こえてきそうなのですが、この時代のコロンビアの録音はSP盤というものに対する概念を根底から覆すほどに優秀なのです。SP盤ですから高域は8000kHzくらいまでしか伸びていないはずなのですが、音楽的に重要な中音域がしっかりと拾い上げられていて、優秀なLPのモノラル盤の録音と遜色がないレベルを持っていたのです。
それから、もう一つつけくわえておかなければいけないのはシャーンドル・ジェルジとバルトークとの強いつながりです。
彼はリスト音楽院でバルトークにピアノを学んでいるのですが、後年、そういう師弟の関係をこえてお互いが生涯の友として尊敬しあうようになっていったということです。
バルトークが亡命先のアメリカでひっそりと亡くなった時には10人しか葬儀に参列しなかったと伝えられいます。そして、その10人のうちの一人がシャーンドル・ジェルジだったとのことです。
そして、彼はバルトークの遺作ともいうべきピアノ協奏曲第3番の世界初演も行っているのです。
ですから、彼を紹介するうえではバルトーク作品の演奏から紹介しなければいけないのですが、どうしたわけか私の手元にある音源の中からは彼の録音がほとんど見当たらないのです。
ウィキペディアによると、彼が生前にコロンビアで録音したものは一時すべて廃盤となっていたようなのです。故に私の手元には彼のレコードは一枚も見当たらなかったのです。
言い訳を許してもらえれば、それ故にシャーンドル・ジェルジというピアニストの名前を見て「Who are You?」と思ってしまったのです。(^^;・・・と、言い訳が過ぎるでしょうか。
しかし、最近になって彼が残した録音が再びそのまとまった形で復刻されているそうなので、できる限り早く何らかの形で入手したいと考えています。
それにしても、この演奏はすごいです。
ここにはロシア的な憂愁は微塵も存在しません。
ラフマニノフの音楽といえば美しくもあるけれども、どこかそういう「憂愁」なるものがまとわざるを得ない「重たさ」みたいなものからは逃れられません。そして、そういう「重たさ」がどうにも胃にもたれるという方もおられるでしょう。また、気分的にそういう重たさは敬遠したいという時もあるでしょう。
しかし、ここにはそういう「重たさ」は微塵もありません。さらに、ソリストを支えるロジンスキーもそれにふさわしい音楽づくりに徹しています。
この両者の協働関係によって、重たくないからといって軽いわけではなく、ある意味では駆け抜けていくような爽快感に近いようなものすら感じさせるのです。
それはもしかしたら第二次大戦に勝利したアメリカという国の「時代の雰囲気」みたいなものを映しこんでいるのかもしれません。。
ラフマニノフにスラブの憂愁みたいなものを求める方には全くお勧めできませんが、そういう重さ抜きにラフマニノフを聞きたいという人にはこれ以上にふさわしい演奏なないでしょう。