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モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488(Mozart:Piano Concerto No. 23 in A major, K.488)


(P)マルグリット・ロン:フィリップ・ゴーベール指揮 パリ交響楽団 1935年12月13日録音(Marguerite Long:(Con)Philippe Gaubert The Paris Symphony Orchestra Recorded on December 13, 1935)をダウンロード

  1. Mozart:Piano Concerto No. 23 in A major, K. 488 [1.Adagio]
  2. Mozart:Piano Concerto No. 23 in A major, K. 488 [2.Andante]
  3. Mozart:Piano Concerto No. 23 in A major, K. 488 [3.Presto]

憂愁を含んだ旋律が情熱的なドラマへと発展していく



モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 , K.488
モーツァルトの数ある協奏曲の中でも極めて人気の高い作品の一つです。しかし、この作品のオーケストラ編成は前作の22番と較べればはるかにこぢんまりとしています。オーケストラはフルート1本に、クラリネットファゴット、ホルンがそれぞれ2本だけです。
しかし、イ長調で書かれた第1楽章の輝かしい響きはモーツァルトの優れた管弦楽法の手腕の典型であり、さらに、嬰ヘ短調で書かれた第2楽章は通常の「Andante」ではなくて「Adagio」が指定されていて、その憂愁を含んだ旋律が情熱的なドラマへと発展していくのはこの上もなく魅力的です。そして、最終楽章では独奏ピアノとオーケストラが一体となって陽気な音楽を心ゆくまで展開するのは、中間楽章の毒消しを行う必要があることをモーツァルトが忘れてはいなかったと言うことです。

この作品は前作の22番と、このあとの24番とあわせて1786年の四旬節(復活祭の46日前の水曜日から復活祭の前日までの期間)の時期に行うコンサートのために書かれたものと思われます。しかし、そのコンサートでこの作品が演奏される機会があったのかどうかは不明です。
逆に、モーツァルトはこの作品(K.488)とK.451,K.453,K.456,K.459の合計5曲の協奏曲に筆写譜をパトロンであったフェステンベルク侯に売り込んでいるのです。その時に、モーツァルトはそれらの作品を「自分のために、あるいは愛好家や小さなサークルのため」に書いたものだと述べ、そのサークルのメンバーにも「外に漏らさないことを約束させた」と保障しているのです。
それ故に、それらの作品はウィーンでさえ知られていないことを請け負っているのです。

この言葉を信じるならば、そして、その言葉を信じてその筆写譜をフェステンベルク侯が買い込んだという事実からしても、この作品は公開の演奏会では披露されなかったと考えられます。
そして、モーツァルトの未亡人から彼の作品を購入したアントン・アンドレーなる人物が1800年に出版することによって初めて広く世に知られるようになったのです。
コンスタンツェは「悪妻」の典型のように言われるのですが、モーツァルトが亡くなった後に借金を整理し、彼が残した作品をしっかりと管理したという功績を私たちは忘れてはいけないでしょう。

ウィーン時代後半のピアノコンチェルト



  1. 第20番 ニ短調 K.466:1785年2月10日完成

  2. 第21番 ハ長調 K.467:1785年3月9日完成

  3. 第22番 変ホ長調 K.482:1785年12月16日完成

  4. 第23番 イ長調 K.488:1786年3月2日完成

  5. 第24番 ハ短調 K.491:1786年3月24日完成

  6. 第25番 ハ長調 K.503:1786年12月4日完成


9番「ジュノーム」で一瞬顔をのぞかせた「断絶」がはっきりと姿を現し、それが拡大していきます。それが20番以降のいわゆる「ウィーン時代後半」のコンチェルトの特徴です。
そして、その拡大は24番のハ短調のコンチェルトで行き着くところまで行き着きます。
そして、このような断絶が当時の軽佻浮薄なウィーンの聴衆に受け入れられずモーツァルトの人生は転落していったのだと解説されてきました。

しかし、事実は少し違うようです。

たとえば、有名なニ短調の協奏曲が初演された演奏会には、たまたまウィーンを訪れていた父のレオポルドも参加しています。そして娘のナンネルにその演奏会がいかに素晴らしく成功したものだったかを手紙で伝えています。
これに続く21番のハ長調協奏曲が初演された演奏会でも客は大入り満員であり、その一夜で普通の人の一年分の年収に当たるお金を稼ぎ出していることもレオポルドは手紙の中に驚きを持ってしたためています。

この状況は1786年においても大きな違いはないようなのです。
ですから、ニ短調協奏曲以後の世界にウィーンの聴衆がついてこれなかったというのは事実に照らしてみれば少し異なるといわざるをえません。

ただし、作品の方は14番から19番の世界とはがらりと変わります。
それは、おそらくは23番、25番というおそらくは85年に着手されたと思われる作品でも、それがこの時代に完成されることによって前者の作品群とはがらりと風貌を異にしていることでも分かります。
それが、この時代に着手されこの時代に完成された作品であるならば、その違いは一目瞭然です。

とりわけ24番のハ短調協奏曲は第1楽章の主題は12音のすべてがつかわれているという異形のスタイルであり、「12音技法の先駆け」といわれるほどの前衛性を持っています。
また、第3楽章の巨大な変奏曲形式も聞くものの心に深く刻み込まれる偉大さを持っています。

それ以外にも、一瞬地獄のそこをのぞき込むようなニ短調協奏曲の出だしのシンコペーションといい、21番のハ長調協奏曲第2楽章の天国的な美しさといい、どれをとっても他に比べるもののない独自性を誇っています。
これ以後、ベートーベンを初めとして多くの作曲家がこのジャンルの作品に挑戦をしてきますが、本質的な部分においてこのモーツァルトの作品をこえていないようにさえ見えます。


「マダム・ロン」という主観を通した上で表現される音楽


これはもう、好き嫌いがはっきりしそうだなと思ってしまう演奏です。
それは、マルグリット・ロンというピアニストの特徴がはっきりと刻み込まれているからです。

マルグリット・ロンは「ハイ・フィンガー・テクニック」の信奉者だったそうです。
昨今は至って評判の悪いテクニックらしいのですが、おそらくは「マダム・ロン」が愛した音楽にとってそれはとても有効な演奏法であり、彼女が愛したフォーレやラヴェル、ドビュッシー、そして何よりもモーツァルトの音楽にとっては、「ハイ・フィンガー・テクニック」による「ジュー・ベルレ(真珠をころがすようなタッチ)」こそが相応しかったのです。

さらに、何度も書いてきていることですが、マルグリット・ロンの特徴はその恣意的とも言えるほどの主観性に貫かれた語り口にあります。
そして、その語り口が独特であるがゆえに、今のスタンダードな演奏を聞きなれた耳からすればどこか基本的な構成が壊れてしまっているような気がするのです。

しかし、振り返ってみれば、昔はみんな好き勝手な・・・いや、これはいささか表現が悪いですね・・・気をとりなおして・・・、己の信じるモーツァルトをやっていたのです。
そして、そこにはその人ならではの物語性があったような気がするのです。なかには音楽だけの物語性の枠を超えていくようなピアニストもいました。

ざっと思い出すだけでも、例えばシュナーベル。
ブルーノ・ワルター指揮のニューヨーク・フィルハーモニックとブラームスの変ロ長調協奏曲を演奏した時に途中で何処を演奏しているか分からなくなって演奏が止まってしまった事がありました。
その時の様子をショーンバーグは次のように回顧しています。
ワルターは青くなった。シュナーベルはただ、にやっと笑い、肩をすくめ、ピアノから立ち上がり、指揮者のほうに近寄った。二つの白髪はスコアをのぞきこみ、つぶやくような指示がオーケストラに与えられ、シュナーベルはピアノに戻り、音楽はまた始まった。ほかのピアニストなら、精神的なショックと困難を乗り越えるのも不可能だったろう。シュナーベルにはそうではなかった。彼はそれまでと同じように見事に弾き続けた。聴衆にこの失敗を忘れさせようとして、もしかしたら、それまで以上に見事だったかもしれない。

まさに千両役者です。

さらに、マリア・ユーディナ。
独裁者スターリンが最後まで手もとに大切に取ってあったのは自分のために録音させた彼女のピアノ協奏曲第23番のレコードでした。しかし、その対価として破格の報酬をもらった彼女は修道院の修理費用として全額寄付してしまい、さらに、次のような手紙をスターリンに送りました。
「ヨシフ・ヴィッサリオノヴィッチ、あなたの支援に大変感謝いたします。私はこれから、国民や国に対するあなたの罪を神が許してくれるよう、昼も夜も神に祈りを捧げてまいる所存です。慈悲深い神はきっと許してくださることでしょう。いただいた2万ルーブルは、私が通っております教会の改修工事のために遣わせていただきます」

当時のソ連においては十分に「犯罪的」な行為でした。しかし、不思議なことにスターリンはこの手紙を無視したようで、いかなる処罰も受けなかったのです。

そして、マルグリット・ロンもまた、そこまでの突き抜けた物語を持った存在ではなくても、音楽の枠の中であれば十分すぎるほどに魅力的な物語を持った素敵なピアニストでした。
ただし、彼女の物語は大仰な語り口とは全く無縁であって、実にさりげなく語られるのです。しかし、そこにあるのは何処まで行っても「マダム・ロン」という主観を通した上で表現される音楽です。

それ故に、それをもってあまりにも恣意的な演奏だとか、好き勝手に演奏しすぎているなどと批判しても始まらないのです。
でも、嫌いな人は嫌いでしょうね…。仕方がないか。