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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調, Op.104(Dvorak:Cello Concerto in B Minor, Op.104)
(Cello)アンドレ・ナヴァラ:ルドルフ・シュワルツ指揮 ナショナル交響楽団 1954年録音(Andre Navarra:(Con)Rudolf Schwarz The New Symphony Orchestra Recorded on, 1954)をダウンロード
- Dvorak:Cello Concerto in B Minor, Op.104 ; B.191 [1.Adagio]
- Dvorak:Cello Concerto in B Minor, Op.104 ; B.191 [2.Adagio ma non troppo]
- Dvorak:Cello Concerto in B Minor, Op.104 ; B.191 [3.Finale. Allegro moderato]
チェロ協奏曲の最高傑作であることは間違いありません。
この作品は今さら言うまでもなく、ドヴォルザークのアメリカ滞在時の作品であり、それはネイティブ・アメリカンズの音楽や黒人霊歌などに特徴的な5音音階の旋律法などによくあらわれています。しかし、それがただの異国趣味にとどまっていないのは、それらのアメリカ的な要素がドヴォルザークの故郷であるボヘミヤの音楽と見事に融合しているからです。
その事に関しては、芥川也寸志が「史上類をみない混血美人」という言葉を贈っているのですが、まさに言い得て妙です。
そして、もう一つ指摘しておく必要があるのは、そう言うアメリカ的要素やボヘミヤ的要素はあくまでも「要素」であり、それらの民謡の旋律をそのまま使うというようなことは決してしていない事です。
この作品の主題がネイティブ・アメリカンズや南部の黒人の歌謡から採られたという俗説が早い時期から囁かれていたのですが、その事はドヴォルザーク自身が友人のオスカール・ネダブルに宛てた手紙の中で明確に否定しています。そしてし、そう言う民謡の旋律をそのまま拝借しなくても、この作品にはアメリカ民謡が持つ哀愁とボヘミヤ民謡が持つスラブ的な情熱が息づいているのです。
それから、もう一つ指摘しておかなければいけないのは、それまでは頑なに2管編成を守ってきたドヴォルザークが、この作品においては控えめながらもチューバなどの低音を補強する金管楽器を追加していることです。
その事によって、この協奏曲には今までにない柔らかくて充実したハーモニーを生み出すことに成功しているのです。
- 第1楽章[1.Adagio]:
ヴァイオリン協奏曲ではかなり自由なスタイルをとっていたのですが、ここでは厳格なソナタ形式を採用しています。
序奏はなく、冒頭からクラリネットがつぶやくように第1主題を奏します。やがて、ホルンが美しい第2主題を呈示し力を強めた音楽が次第にディミヌエンドすると、独奏チェロが朗々と登場してきます。
その後、このチェロが第1主題をカデンツァ風に展開したり、第2主題を奏したり、さらにはアルペッジョになったりと多彩な姿で音楽を発展させていきます。
さらに展開部にはいると、今度は2倍に伸ばされた第1主題を全く異なった表情で歌い、それをカデンツァ風に展開していきます。
再現部では第2主題が再現されるのですが、独奏チェロもそれをすぐに引き継ぎます。やがて第1主題が総奏で力強くあらわれると独奏チェロはそれを発展させた、短いコーダで音楽は閉じられます。 - 第2楽章[2.Adagio ma non troppo]:
メロディーメーカーとしてのドヴォルザークの資質と歌う楽器としてのチェロの特質が見事に結びついた美しい緩徐楽章です。オーボエとファゴットが牧歌的な旋律(第1主題)を歌い出すと、それをクラリネット、そして独奏チェロが引き継いでいきます。
中間部では一転してティンパニーを伴う激しい楽想になるのですが、独奏チェロはすぐにほの暗い第2主題を歌い出します。この主題はドヴォルザーク自身の歌曲「一人にして op.82-1 (B.157-1)」によるものです。
やがて3本のホルンが第1主題を再現すると第3部に入り、独奏チェロがカデンツァ風に主題を変奏して、短いコーダは消えるように静かに終わります。 - 第3楽章[3.Finale. Allegro moderato]:
自由なロンド形式で書かれていて、黒人霊歌の旋律とボヘミヤの民族舞曲のリズムが巧みに用いられています。
低弦楽器の保持音の上でホルンから始まって様々な楽器によってロンド主題が受け継がれていくのですが、それを独奏チェロが完全な形で力強く奏することで登場します。
やがて、ややテンポを遅めたまどろむような主題や、モデラートによる民謡風の主題などがロンド形式に従って登場します。
そして、最後に第1主題が心暖まる回想という風情で思い出されるのですが、そこからティンパニーのトレモロによって急激に速度と音量を増して全曲が閉じられます。
音楽の核心にまっすぐに切り込んでいく真摯さ
アンドレ・ナヴァラは早熟の天才でした。しかし、彼は決して道を急がなかった人でした。
20歳でラロの「チェロ協奏曲 ニ短調」を演奏してソリストとしてデビューしていながら、ソリストとしての活動をメインにする前にパリ・オペラ座管弦楽団の首席チェリストとして長く活動しています。
彼はそこで戦前の華やかなパリの空気に包まれながら、トスカニーニやワルター、フルトヴェングラー等の偉大な指揮者たちの音楽を間近で経験して、彼の音楽のバックボーンを形づくったのではないかと思われます。
そのおかげで、フルニエやトルトゥリエ、ジャンドロンに代表されるような、フランス風のチェリストとは一味違う音楽を作り上げていったのです。
そのことはこの上もなくエネルギッシュなシューマンやエルガーの協奏曲を紹介した時にも少しふれました。
そして、ドヴォルザークはナヴァラにとっては十八番ともいうべき作品でしたから、悪かろうはずはなく、まさにナヴァラならではの音楽の核心にまっすぐに切り込んでいくような真摯さにあふれています。
ただし、あまりにも数多くの録音に恵まれている作品ですし、ナヴァラとは異なる方向性で見事な演奏を聞かせてくれたチェリストも数多くいます。それだけに、どこか武骨で不愛想なナヴァラの演奏には物足りなさを感じる人がいるかもしれません。
しかし、バックがルドルフ・シュワルツ指揮のナショナル交響楽団というのは、いささか興味が惹かれます。
まず、この録音を行った当時のナショナル交響楽団を率いていたのはハワード・ミッチェルでした。このハワード・ミッチェルというのは、調べてみると、彼の前にこのオケを率いていたハンス・キンドラーの時代には主席チェリストを務めていた人物らしいのです。つまりは、この録音当時のナショナル交響楽団はチェリストによって率いられていたオーケストラだったのです。
それならば、そのまま音楽監督のハワード・ミッチェルが指揮して録音すればよいと思うのですが、なぜかこの録音で指揮をしたのはルドルフ・シュワルツでした。
このルドルフ・シュワルツなる人物はヴィオラ奏者としてキャリアをスタートさせるのですが、1920年代にデュッセルドルフ歌劇場でジョージ・セルのアシスタントをつとめたことがきっかけで指揮者に転向しているのです。そして、その後の彼の人生は実に過酷なものでした。
地方の歌劇場の指揮者を振り出しに活動を始めるのですが、ナチス政権下でユダヤ人故に解雇され、さらには1939年に身柄を拘束され1941年にはアウシュヴィッツに送られます。その後いくつかの収容所を転々とするも無事に生き残るのですが、強制労働で肩に負った傷は終生癒えるこはなく彼を悩ませることになりました。
この辺りの事情はカレル・アンチェルトに似通っていると思えますから、媚びを売るような美音とは無縁のナヴァラとは相性が良かったのかもしれません。
やはり、男泣きの音楽にはルドルフ・シュワルツも共感できるものがあったのでしょう。