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ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第2番, Op.72a(Beethoven:Leonora Overture No.2, Op.72a)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1939年11月25日録音(Arturo Toscanini:NBC Symphony Orchestra Recorded on November 25, 1939)をダウンロード
彫琢の限りを尽くした作品
ベートーベンは生涯にたった一つの歌劇しか残しませんでしたが、そのたった一つのために9年もの歳月を費やしています。そして、その改作のたびに彼は新しい序曲を作曲しましたので、後世の私たちはなんと幸いなことに合計で4曲もの素晴らしい管弦楽作品をもつことで出来たのです。
その改作の履歴と序曲の関係を簡単に振り返っておきましょう。
- 「レオノーレ」序曲第1番(1805年)
この作品はベートーベンの死後に遺品の競売に際して発見されたもので、実際に歌劇の序曲として演奏されたことはありません。おそらくは1805年に作曲されたものと思われリヒノフスキー邸で試演もされたようです。
しかし、作品そのものが歌劇の序曲としては軽すぎると言うことでベートーベン自身も不満があり、さらには周辺の人々も好意的ではなかったためにお蔵入りになってしまったようです。
なお自筆楽譜には「性格的序曲」としか記述されていないのですが、フロレスタンのアリアの引用などがなされていることから、間違いなくフィデリオの序曲として考案されたものと思われます。
- 「レオノーレ」序曲第2番(1805年:第1版)
フィデリオの初演はナポレオンの軍隊がウィーンの町を占領する中で行われたために成功をおさめることは出来ず、わずか3日で上演は打ち切られます。
それは、フランス語しか解さないフランスの兵士が聴衆の大部分を占める中でドイツ語による歌劇を上演したのですからやむを得なかった結果だと言えます。
今日、「レオノーレ」序曲第2番と呼ばれる作品は、この初演の時に使用された序曲です。ですから、フィデリオの序曲としてはこの作品はわずか3日にしか演奏されなかったことになります。
- 「レオノーレ」序曲第3番(1806年:第2版)
初演の大失敗を反省して、3幕だったフィデリオを2幕構成の作品に大改訂し、さらに序曲の方も大幅に改訂してほとんど新作といっていいほどの作品が生み出されます。それが今日、「レオノーレ」序曲第3番と呼ばれる作品です。
この作品はその後フィデリオ序曲が作曲されることで歌劇の序曲としてのポジションは失うのですが、純粋に管弦楽作品として見ても傑出した作品であるために、今ではコンサート・レパートリーとして演奏されるようになっています。
さらには、マーラーが始めたと言われているのですが、聴衆へのサービスとして第2幕第2場の前に演奏されることが一つの習慣として定着しています。(最近は原点尊重と言うことでこのサービスをカットする上演も増えてきているようです)
強力な斧で真っ二つ
気づいてみると、ベートーベンの一連の序曲をあまりアップしていないことに気づきました。もっとも、序曲ならば一通り紹介しておいてもらえればそれで十分だという人も少なくないでしょう。しかし、マルケヴィチとラムルー管弦楽団による録音を聞きなおして紹介してみると、指揮者とオケによってずいぶん特徴があることに改めて気づかされ、そして、セルやトスカニーニのようなビッグ・ネームの録音を一つも取り上げていないことにも気づくと、やはりもう少し同曲異演の録音を紹介しなければ納得がいかないという気持ちになりました。
もちろん、そんな気持ちになってもらわなくてもいいですという人いるでしょうが、管理人がそう思った以上は少しは我慢しておつきあいください。(^^;
さて、まず最初はトスカニーニです。オケは言うまでもなくNBC交響楽団です。マルケヴィチとラムルー管弦楽団による録音を聞いたときは「思い切り踏み込んでのフルスイング」というイメージがわいたのですが、トスカニーニの場合は「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」という言葉が浮かびました。
しかし、まてよ、いかに序曲とはいえベートーベンの音楽を鶏扱いはないだろうということで、これは却下、次に浮かんだのが「強力な斧を用いて巨大な丸太を真っ二つ」というイメージです。
うん、イメージとしてはこちらのほうがぴったりかもしれません。
おそらく、両者の違いは相対しているオケの違いでしょう。
ラムルー管弦楽団の場合は必死でマルケヴィッチの棒についていっています。まさに必死であり、そこから感じ取れるるのはほとばしる汗のにおいです。ただし、高校野球ならばその汗のにおいもドラマの一コマなのでしょうが、プロのエンターテイメントとしてはNGです。聞き手に汗のにおいを感じ取らせてはエンターテイメントとは言えません。
ですから、マルケヴィッチはそこからさらに鞭を入れて「思い切り踏み込んでのフルスイング」というレベルになるまで搾り上げています。
しかし、オケがNBC交響楽団となると、そこからはひとかけらの汗のにおいを感じることはなく、ひたすらその「凄み」のようなものが聞き手に迫ってきます。まさに巨大な丸太をいともたやすく真っ二つに断ち割られるのを聞き手は眼前で見せつけられるのです。
さらに言えば、おそらくは悪名高き8Hスタジオでの録音のせいなのでしょうが、フレーズの最後が短く切り上げられているように聞こえる部分があちこちで見受けられます。それがトスカニーの意図だったのか、もしくは残響に乏しい8Hスタジオのせいなのか判断に苦しみますが、最初は多少の違和感は感じても次第にその切り上げが音楽にとてつもない推進力と凄みを与えているかもしれないなどと感じてきてしまいます。
やはり、ベートーベンの音楽です。指揮者とオケの違いによってその相貌が変わるほどの器の大きさを持っているのです。
ということで、間隔はあけますが少しずつあれこれの序曲の録音を紹介していきますので、まあ、辛抱しておつきあいください。
それから、自明のことであるかのように「悪名高き8Hスタジオ」と書いたのですが、わかる人はわかっても何のことじゃという人も少なくないでしょうから簡単に捕捉をしておきます。
この「8Hスタジオ」というのは、当時のニューヨークのRCAビル内に作られたNBC放送の巨大スタジオのことです。このスタジオ、驚くなかれ、オーケストラが演奏できるスペースがあっただけでなく、1200名を超える聴衆も同時に収容できました。しかし、基本がラジオ放送用に設計されていたため残響が非常に短く、クラシックの演奏会場としては異質な空間でした。
ですからその響きは酷評されることが多かったのですが、なぜかトスカニーニはそのスタジオに文句をつけることもなく、逆にその残響の短い響きを好んだとも言われています。おそらく、トスカニーニはその残響の短さゆえに細かい部分がごまかしなしに響くことを好んだのでしょう。
そして、最近になって、それまで流通していた録音は実際の音よりもさらにデッドになっていたことが分かってきて、本来の音により近い復刻版が出てくることでかつてほどは酷評はされなくなってきています。