クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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ヴィオッティ:協奏交響曲第1番(Viotti:Sinfonia concertante No.1 in F Major, W 1.30)


(Vn)ヴァーシャ・プシホダ:(Vn)フランコ・ノヴェロ エンニオ・ジェレッリ指揮 RAIトリノ交響楽団 1956年録音(Vasa Prihoda:(Vn)Franco Novello (Con)Ennio Gerelli Orchestra Sinfonica Nazionale della RAI Recorded on 1956)をダウンロード

  1. Viotti:Sinfonia concertante No.1 in F Major, W 1.30 [1.Allegro brillante]
  2. Viotti:Sinfonia concertante No.1 in F Major, W 1.30 [2.Adagio non tanto]
  3. Viotti:Sinfonia concertante No.1 in F Major, W 1.30 [3.Rondo: Allegro]

時代の変わり目を象徴する存在



ヴィオッティは18世紀後半で最も人気のあったヴァイオリン奏者だったそうです。しかし、その生涯を眺めてみるとまさに波乱万丈です。
イタリアのフォンタネット・ポーで生まれ、ガエターノ・プニャーニの下でヴァイオリンを学びます。そして、トリノの宮廷に仕えるのですが、やがて独奏者として独立し巡回公演を行うようになります。そんなヴィオッティが次の目標に定めたのがパリでした。その前は師であるプニャーニと巡業を行っていたのですが、パリでは師からも独立し活躍を始めるようになります。彼の人気がたかまるにつれて王室との結びつきも強くなっていき、やがてマリー=アントワネットに仕えるようになります。

しかし、そんな彼に降りかかったのがフランス革命でした。革命は彼が取り組みを始めていたオペラの制作など不可能なものにしてしまったので、次に活躍の場をロンドンに求めます。ちなみに、ロンドンではハイドンと親交を深めまたようです。
やがてフランスの社会状況が落ち着くと再びパリに戻り、次はなんとワイン製造に乗り出したというのですから吃驚仰天です。しかし、演奏活動を中断してまでのめりこんだワイン製造も結局は失敗に終わると仕方なくパリ・オペラ座の音楽を務め、最後はロンドンでその一生を終えています。まさに類稀なる野心の持ち主だったようです。

そんなヴィオッティの最大の功績はヴァイオリンのヴィルトゥオーゾとして多くのヴァイオリニストに影響を与え、その血脈はパガニーニまで結びつくものであり、19世紀のフランス・ヴァイオリン楽派の創設の父と呼ばれことです。
また、数多くの協奏曲を残し、それらの作品はベートーベンにも少なからぬ影響を及ぼしています。

ちなみに、ここで紹介している協奏交響曲は2曲が残されているのですが、ともに2つのヴァイオリンと管弦楽のために書かれた作品です。このスタイルは彼が人気を得ていたパリで流行していた音楽です。
複数のソリストによる美しい響きをオーケストラとのやり取りの中で楽しむというのは、当時のパリの優雅さにはぴったりだったのでしょう。
しかし、フランス革命はそういう優雅な古い体制を覆し、個人がより強く前面に出てくる時代を作り出し、音楽もまたそういう優雅さよりは一人のソリストの「個」の強さを誇示する方向に変わっていったのです。

そういう意味では、ヴィオッティこそはそういう時代の変わり目を象徴する存在だったのかもしれません。



主張は権利だが、表現は義務だ


「主張は権利だが、表現は義務だ」という言葉に出会ったときに、なぜに私があんなにもピリオド演奏を拒否したのかの理由がわかったような気がしました。

ピリオド演奏というのは一つの主張です。ですから、その事の正しさを主張することは当然の権利であり、それが権利である以上は耳を傾けるのが最低限の誠実さといえるでしょう。そして、その主張に対して誠実に耳を傾けたうえで己の態度を「否」と決める事は許されるはずです。
しかし、主張する側からすれば、間違いなく正しいと信じていることをどうしても受け入れてもらえないことに苛立ちを覚えることがあるのもまた当然です。

ここで道は二つに分かれます。
一つはその拒否を受け入れて、それでも己の主張にしたがって義務である表現に全力尽くす道です。
もう一つは、さらに主張の精緻さを高めてより完璧な論へと磨き上げ、その力によって主張を受け入れない相手を説き伏せようとする道です。

しかし、考えてもみてください。どうしても受け入れがたい主張に対してさらに説得を積み上げられても、それでどこかで「回心」するなんてことがあるでしょうか。
人の心を変えるのは主張ではなくて表現です。

ジェンダーが語られる時代に至って不適切な表現であることは承知して、以下のような言葉を思い出します。
一人の女性が道端で大声で泣きわめいていれば、その理由がいかにくだらないものであったとしてその涙は人の心を動かさずにはおれない。

なぜならば、彼女の表現は心の中から湧き出した真実のものであり、義務であるべき表現を見事に果たしているからです。もしも、彼女がその義務を果たさず、その代わりに道端で自らの涙の理由を声高に訴えていたとすれば、そんな主張などに耳を傾ける人はほとんどいないでしょう。

音楽においても、いや、いかなる芸術的営為においても同様だと思うのですが、もっとも重要なことは権利としての芸術的主張を振りかざすことではなくて、己の心の中から湧き出す心の真実を己に課せられた神聖な義務として表現することです。
音楽に限ればそれがピリオド演奏だけに限った話ではなくて、作曲家の意図に忠実な原点尊重という錦の御旗も同じような危険性をはらんでいます。

演奏家は己の演奏の正当性を主張するためにひたすら完璧を目指します。それは、決して悪いことではありません。しかし、その完璧性への追及の結果としてスコアの向こうからくみ取るべき心の声を表現するという義務を忘れてしまえば、それはもはや音楽ではありません。
逆に言えば、完璧さとは程遠くても、そこで己の声を真摯に表現するという義務を果たしている演奏は、時にプロの演奏家の完璧さだけの演奏よりもはるかに聞く人の心を揺さぶります。

そのことはヴァイオリニストだけに限ってみても、すぐに何人もの顔が浮かびます。ティボーにしても、シゲティにしても、さらにはプシポダやメニューヒンにしても、若い頃はそれなりのテクニックを誇っていましたが、その晩年の技術の衰えは明らかでした。しかし、彼らは義務である表現に対しては常に真摯であり続けました。そのことをよく評論家たちは「高い精神性」という分かったような言葉で説明していたのですが、それはあまりにも無責任な物言いだったといわざるを得ません。
彼らは、己の心の声に従って神聖な義務である表現に生涯を費やしただけだったのです。

まあ、そう書いておきながら自分でも何を言っているのかよくわからなくなってくるのですが、最近、そういう下手だけど心動かされる演奏に出うと思わずニヤリとしてしまう自分がいるのです。
もちろん、ふざけるなという異論が返ってくるのもまた当然でしょう。でも、そういう演奏を掘り返したくなっている自分がいることもまた確かなのです。