クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


FLAC モノラルファイルデータベース>>>Top

ダンディ:フランス山人の歌による交響曲, Op.25(D'Indy:Symphony on a French Mountain Air, Op.25)


シャルル・ミュンシュ指揮 (P)ロベール・カサドシュ ニューヨーク・フィルハーモニック 1948年12月20日録音(Charles Munch:(P)Robert Casadesus New York Philharmonic Recorded on Dcember 20, 1948)をダウンロード

  1. D'Indy:Symphony on a French Mountain Air, Op.25 [1.Assez lent]
  2. D'Indy:Symphony on a French Mountain Air, Op.25 [2.Assez modere]
  3. D'Indy:Symphony on a French Mountain Air, Op.25 [3.Anime]

交響曲?ピアノ協奏曲?



ダンディと言えば、シャルル・ボルドらと共同でスコラ・カントルムを創設したことで知られています。スコラ・カントルムは古典主義的で厳格な音楽教育で知られていて、1902年に初演されたドビュッシーのオペラ、「ペレアスとメリザンド」と同時期に初演されたダンディのオペラ「異邦人」をめぐって、ドビュッシー派とスコラ・カントルム派との間に激しい論争が起こったことも有名なエピソードです。

ダンディはワーグナーの「リング」を聞いて感動し熱心なワグネリアンとして音楽家の第一歩をスタートさせますが、後にフランスの国民主義的な作曲へと変容を遂げていきます。その変容の第一歩を記したのが、この「フランス山人の歌による交響曲」です。
ダンディはパリに生まれてパリで育った人物ですが、もとは南仏アルデーシュ地方の貴族の血をひいています。その父祖の地とも言うべきアルデーシュ地方の民謡を採取する中で出会った牧夫の歌を素材として書き上げたのがこの作品です。
その素材とは、第1楽章の冒頭にコールアングレで奏される旋律で、実に伸びやかでのどかな風情がただようメロディです。ダンディはこの主題を核として、師であるフランクの交響曲と同じように循環形式によって全体の統一を図っています。

ダンディは当初この作品を管弦楽とピアノのための幻想曲として着想したようですが、結果としてそれを交響曲にスタイルを変えて1887年の夏に一気に書き上げました。ですから、聞きようによってはピアノ協奏曲の範疇に入れる方が妥当なような気もしますが、もう一歩踏み込んで聞いてみると、ピアノはあくまでもオケの中の一つの楽器として有機的に扱われているような気もします。
ダンディ自身はこの作品に「交響曲第1番」という名前を与えていますので本人としては交響曲として扱われるのが本意だったことは間違いありません。

なお、この作品にはワーグナーからの影響が色濃く残っていると指摘されることが多いのですが、ユング君にはそれよりもブルックナーのような響きがあちこちから聞こえてくるように思うのですが、いかがなものでしょうか?


実に整然とした演奏


ミンシュの録音を見てみるとモノラル時代にも取り上げていて、その後ステレオ録音でも取り上げているものが数多くあります。もっとも、モラルからステレオへの移行期にはよくある話でした。
クレンペラーなんかはモノラル時代にベートーベンの交響曲全集を録音し始めたものの、その後しばらくしてステレオ録音が始まったので、モノラル録音をもう一度ステレオ録音で録り直していたりします。
ワルターなんかは引退してから「あなたの残した録音はモノラルだったので、このままだとあなたの音楽は忘れ去られてしまうかもしれない」などと脅されて、そこへ破格のギャラと待遇を条件に示されたので、最晩年にまとまった録音をステレオ録音で残したのは有名な話です。

ただしミンシュの場合に面白いのは、全く同じ作品であるのにモノラルとステレオでは演奏のスタイルが全く異なる事です。それは、モノラルとステレオの両方で録音しているほぼ全ての作品に言えることのようです。
例えばこのあたりです。

私たちがミンシュと言って思いかべるスタイルはほぼ全てステレオ録音の時の演奏スタイルです。
例えば、ステレオ録音によるサン・サーンスの「オルガン付き」なんかを聞くと、オルガンが入ってきてからの絢爛豪華なオケの響かせ方は、さすがはミンシュだ!!と拍手をおくりたくなります。そして、そういう熱気のようなものがさらに色濃くなったのが最晩年のパリ管との録音でした。
それに対して、モノラル録音の時代の演奏は、それとは対照的に実に整然としたものです。

そういえば、吉田秀和氏が「世界の指揮者」の中で、ミュンシュの初来日の時の演奏を「目の前にスコアが浮かび上がってくるような明晰きわまりない演奏で驚かされた」みたいなことを書いていて驚かされたものです。ミンシュといえば真っ先にパリ管との録音が思い浮かぶのが当時の私でしたから、この吉田秀和氏の言葉は何かの間違いではないかと思ったものです。

ちなみにミンシュの初来日は1960年ですから、ボストンを離れる少し前です。その頃のミンシュの録音を聞けば、それは確かにパリ管との録音を比べてみればはるかに整然とした演奏ではあったのでしょう。しかし、「目の前にスコアが浮かび上がってくるような明晰きわまりない演奏」という言葉がよりふさわしいのは1950年台前半のモノラル時代の録音です。
おそらく、初来日の時の演奏はこのモノラル時代の録音のような演奏だったのかもしれません。

それにしても、わずかな時を隔ててこんなにも対照的な二面性を持った指揮者はなかなか思い当たりません。
確かに、ワルターのようにヨーロッパ時代とアメリカ時代で芸風を大きく変えた指揮者はいます。しかし、ワルターのアメリカ時代の男性的で剛毅な演奏は、言い方がいささか下世話になるのですが、どこか「営業上の理由」が大きかったようにに思えます。なぜならば、ワルターの本質は最後までヨーロッパ時代の演奏にあったように思えるからです。戦後になって、ウィーンに凱旋してのモーツァルトの40番や25番の録音を聞くとそう思わずにはおれません。

しかし、ミュンシュの場合は明晰でクリアな演奏も彼の本質から発したものであれば、後の熱い激情の爆発も彼の本質であったように思えます。ある意味では二律背反するようなアポロ的な側面とデモーニッシュな側面がミュンシュという男の中では何の矛盾も感じず同居していたように見えるのです。
それだけに、モノラルとステレオの二種類の録音が存在するものは、その両方を聞き比べてみるのは面白いのかもしれません。個人的にはどちらも魅力的です。