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ベルリオーズ:幻想交響曲


オッテルロー指揮 ベルリンフィル 1951年6月18〜25日録音をダウンロード

  1. Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, Op.14 [1.Reveries - Passions. Largo - Allegro agitato e appassionato assai - Religiosamente]
  2. Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, Op.14 [2.Un bal. Valse. Allegro non troppo
  3. Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, Op.14 [3.Scene aux champs. Adagio]
  4. Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, Op.14 [4.Marche au supplice. Allegretto non troppo]
  5. Berlioz:Symphonie fantastique in C minor, Op.14 [5.Songe dune nuit de sabbat. Larghetto - Allegro]

ベートーベンのすぐ後にこんな交響曲が生まれたとは驚きです。



ユング君はこの作品が大好きでした。「でした。」などと過去形で書くと今はどうなんだと言われそうですが、もちろん今も大好きです。なかでも、この第2楽章「舞踏会」が大のお気に入りです。

 よく知られているように、創作のきっかけとなったのは、ある有名な女優に対するかなわぬ恋でした。
 相手は、人気絶頂の大女優であり、ベルリオーズは無名の青年音楽家ですから、成就するはずのない恋でした。結果は当然のように失恋で終わり、そしてこの作品が生まれました。

 しかし、凄いのはこの後です。
 時は流れて、立場が逆転します。
 女優は年をとり、昔年の栄光は色あせています。
 反対にベルリオーズは時代を代表する偉大な作曲家となっています。
 ここに至って、漸くにして彼はこの恋を成就させ、結婚をします。

 やはり一流になる人間は違います。ユング君などには想像もできない「しつこさ」です。(^^;

 しかし、この結婚はすぐに破綻を迎えます。理由は簡単です。ベルリオーズは、自分が恋したのは女優その人ではなく、彼女が演じた「主人公」だったことにすぐに気づいてしまったのです。
 恋愛が幻想だとすると、結婚は現実です。そして、現実というものは妥協の積み重ねで成り立つものですが、それは芸術家ベルリオーズには耐えられないことだったでしょう。「芸術」と「妥協」、これほど共存が不可能なものはありません。

 さらに、結婚生活の破綻は精神を疲弊させても、創作の源とはなりがたいもので、この出来事は何の実りももたらしませんでした。
 狂おしい恋愛とその破綻が「幻想交響曲」という実りをもたらしたことと比較すれば、その差はあまりにも大きいと言えます。

 凡人に必要なもは現実ですが、天才に必要なのは幻想なのでしょうか?それとも、現実の中でしか生きられないから凡人であり、幻想の中においても生きていけるから天才ののでしょうか。
 ユング君も、この舞踏会の幻想の中で考え込んでしまいます。

なお、ベルリオーズはこの作品の冒頭と格楽章の頭の部分に長々と自分なりの標題を記しています。参考までに記しておきます。

「感受性に富んだ若い芸術家が、恋の悩みから人生に絶望して服毒自殺を図る。しかし薬の量が足りなかったため死に至らず、重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見る。その中に、恋人は1つの旋律となって現れる…」
第1楽章:夢・情熱

「不安な心理状態にいる若い芸術家は、わけもなく、おぼろな憧れとか苦悩あるいは歓喜の興奮に襲われる。若い芸術家が恋人に逢わない前の不安と憧れである。」

第2楽章:舞踏会

「賑やかな舞踏会のざわめきの中で、若い芸術家はふたたび恋人に巡り会う。」

第3楽章:野の風景

「ある夏の夕べ、若い芸術家は野で交互に牧歌を吹いている2人の羊飼いの笛の音を聞いている。静かな田園風景の中で羊飼いの二重奏を聞いていると、若い芸術家にも心の平和が訪れる。
無限の静寂の中に身を沈めているうちに、再び不安がよぎる。
「もしも、彼女に見捨てれられたら・・・・」
1人のの羊飼いがまた笛を吹く。もう1人は、もはや答えない。
日没。遠雷。孤愁。静寂。」

第4楽章:断頭台への行進

「若い芸術家は夢の中で恋人を殺して死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。その行列に伴う行進曲は、ときに暗くて荒々しいかと思うと、今度は明るく陽気になったりする。激しい発作の後で、行進曲の歩みは陰気さを加え規則的になる。死の恐怖を打ち破る愛の回想ともいうべき”固定観念”が一瞬現れる。」

第5楽章:ワルプルギスの夜の夢

「若い芸術家は魔女の饗宴に参加している幻覚に襲われる。魔女達は様々な恐ろしい化け物を集めて、若い芸術家の埋葬に立ち会っているのだ。奇怪な音、溜め息、ケタケタ笑う声、遠くの呼び声。
”固定観念”の旋律が聞こえてくるが、もはやそれは気品とつつしみを失い、グロテスクな悪魔の旋律に歪められている。地獄の饗宴は最高潮になる。”怒りの日”が鳴り響く。魔女たちの輪舞。そして両者が一緒に奏される・・・・」


幻想交響曲の演奏史における金字塔


オッテルローという名前を聞いてピント来る人はほとんどいないのではないでしょうか。実はユング君もその「ピントこない」人の一人でした。
興味はフルトヴェングラー治下のベルリンフィルが他の指揮者を相手にどんな演奏を展開していたか?でした。フルトヴェングラーが戦後の活動を再開し54年にこの世を去るまでの10年足らずの期間はベルリンフィルの長い歴史においてもかけがえのない黄金時代だったはずです。その時代にベルリンフィルはフルトヴェングラーー以外の指揮者を相手にどんな演奏を展開していたのかという興味のもとにあれこれ音源を探っていて出会ったのがこのオッテルローでした。何とも回りくどい出会い方ですが、まあそんなことでもなければまっすぐにオッテルローにたどり着くという人はほとんどいないでしょう。

さて、このオッテルローですが、1907年にオランダで生まれ、1978年にオーストラリアのメルボルンで自動車事故で亡くなっています。そのキャリアの大部分を(1949年から亡くなるまで)ハーグ・レジデンティ管弦楽団というマイナーなオケの指揮者ですごしたためにオランダ以外ではマイナーな存在でしたが、実力的にはメンゲルベルグやハイティンクと肩を並べる存在としてオランダでは認知されていたそうです。
もちろん、こういう身内への贔屓というのはどこの国でも存在するので、この手の話は話半分として聞いておかなければいけません。しかし、この幻想交響曲を聴く限りではどうやら掛け値なしに受け取っておいていいようです。

まず51年の録音としては極上の部類に属するほどの音質です。そして、この時代にベルリンフィルに特徴的な重厚で野太い響きが堪能できます。しかし、そう言う分厚い響きでありながら音楽は決して重くなることはなく、この上もなく熱いものに満ちあふれています。月並みな表現をお許し願えるならば、まさに切れば血が飛び散りそうなほどに熱い演奏です。
特に素晴らしいのは第1楽章!!
第2楽章はいささか夢見心地にには欠ける舞踏会ですが、第3楽章の不気味さはまさに絶品です。そして、この前半3楽章を聞かされれば処刑の場面からサバトの夜の夢にいたる後半2楽章はもっとえぐくやれそうですが、ここは意外と端正に仕上げています。もちろん全てが100点満点とはいかないでしょうが、この時代における幻想交響曲の演奏として忘れることの許されない金字塔だと言えます。