万葉集を読む(6)~山上憶良「日本挽歌 巻五 794~799番歌」(5)

憶良の手になると思われる「前置漢文」から「長歌」を経て、漸くにして反歌五首に至ります。
そして、この反歌五首こそが、中国的価値観とも言うべき「理」による追悼の世界を抜け出して、憶良が探り当てた日本的な追悼の姿だったのでしょう。
そして、その自負があったからこそ、彼はこの「挽歌」に対して敢えて「日本」という文字を追加して「日本挽歌」としたのです。

  1. 家に行きて如何にか吾がせむ枕付く妻屋寂しく思ほゆべしも
  2. 愛(は)しきよしかくのみからに慕ひ来し妹が心のすべもすべ無さ
  3. 悔しかもかく知らませば青丹よし国内(くぬち)ことごと見せましものを
  4. 妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに
  5. 大野山霧立ち渡る我が嘆く息嘯(おきそ)の風に霧立ち渡る

ここには、時系列に添って妻の死を嘆き、悼む旅人の心情を描き出そうとしています。

家に行きて如何にか吾がせむ枕付く妻屋寂しく思ほゆべしも

ここでの「家」とは本来の住まいである「家」なのか、それとも太宰府における「家」なのかは意見の分かれるところらしいです。
しかし、どちらに解釈しても、妻を埋葬して家路につく旅人の深い喪失感が歌われています。

意味的には「家に行きて如何にか吾がせむ/枕付く妻屋寂しく思ほゆべしも」と切れます。
妻を埋葬して帰ってきたとしても私はどうすればいいのだ。枕を並べた妻屋も寂しく思われるだけだろう。

愛(は)しきよしかくのみからに慕ひ来し妹が心のすべもすべ無さ

自分を慕ってはるか太宰府までやってきた妻への思いが吐露されます。
まずは「愛しきよし」、「愛しい事よ」と詠嘆します。そして、その後は一気にそう言う妻の思いに何も応えることが出来なかった己の無力さを「すべもすべ無さ」と嘆きます。

悔しかもかく知らませば青丹よし国内(くぬち)ことごと見せましものを

これは問題の多い一首だそうで、「国内(くぬち)」をどう解釈するかが意見の分かれるところらしいです。
普通に考えれば「国内」には「青丹よし」という枕詞がついていますから、それはどう考えたって「国内」とは「奈良の都」のことを指し示します。

そう考えると、「悔しかも」、悔しい事よと詠嘆した後に、こうなることが分かっていたならば奈良の都の事如くを見せてやりたかったという意味になります。
しかし、旅人とその妻は長く奈良の都に暮らしていたのですから、今さら「奈良の都の事如くを見せてやりたかった」では聞き手に迫ってくるものがありません。

そこで、ここでは「青丹よし」という枕詞は「奈良の都」につくという絶対的アリバイを覆して、この「国内」はそのまま「日本という国」と解釈してはと言う意見が出されます。
そうすると、この歌は「日本という国の隅々まで見せてやりたかった」という意味になります。個人的にはこの解釈をとりたいと思います。

この一首からは深い喪失感と嘆きという感情から、悔恨の情へと移り変わっていく事が読み手にはスレートに伝わってきます。

妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに

ここでは容赦なくな流れていく時の流れが読まれています。
「楝(あふち)の花」は「あふ」という言葉にかけられていて、今一度妻に会いたいという旅人の未練のようなものが込められています。しかし、その「楝の花(栴檀のこと)」も「散りぬべし」、まさに散り果てようとしているというのです。
そして、その容赦のない時の流れは「我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに」、私の涙は未だかわく事もないのにと歌うのですが、そこに少しずつ妻の死を受け容れようとする旅人の心情もうかがえます。

大野山霧立ち渡る我が嘆く息嘯(おきそ)の風に霧立ち渡る

「日本挽歌」全体を締めくくるに相応しい秀歌です。
ここで歌われる「大野山」とは太宰府の背後に鎮座する山で、おそらくは旅人の妻が葬られた場所だと考えられています。

意味的には「大野山霧立ち渡る/我が嘆く息嘯の風に霧立ち渡る」と切れるのでしょうか。

妻が葬られた大野山に霧が立ちこめます。おそらく、楝の花も散り果てて、さらに時は流れたはずです。
そして、その大野山に立ち渡る霧は「我が嘆く息嘯の風に霧立ち渡る」、その霧は妻の死を嘆く我が息の風によって立ちこめたものだと歌うのです。

ここでは、死者への追悼が自然の中へと溶融していきます。
そこには一切の「理」が入り込む余地はなく、ただひたすら自然の中へと融合していく事で悲しみは昇華し、結晶化していきます。

おそらく、それは「理」による「納得」ではなくて、自然を媒介とする事でより深い部分で死者と結びついている事を実感していく過程といえるかもしれません。そして、それは憶良が見いだした日本的な死者への挽歌の姿だったのです。

以上、私なりの勝手な解釈がたくさん紛れ込んでいるかも知れないのですが、概ねその様な内容が語られた講座でした。
次回は7月18日(水)14時から万葉文化館で行われます。