万葉集を読む(15)~山上憶良「世間の住り難きを哀しびたる歌 巻五 804~805番歌」(1)

9月の「万葉集を読む」講座は「巻5の804~805」の「世間(よのなか)の住(とどま)り難きを哀しびたる歌」でした。講師は大谷歩先生でした。

この「世間(よのなか)の住(とどまり)り難きを哀しびたる歌」はいわゆる憶良の「嘉摩郡三部作」の最後を飾る作品なのですが、前回も少しふれたように、この三部作を深掘りすることによって「山上憶良」という存在に対する認識が根底からくつがえる思いでした。

この「世間(よのなか)の住(とどまり)り難きを哀しびたる歌」も、それに先立つ2作と同じように「題詞」+「漢文による序」+「長歌と反歌」というスタイルを取っています。
このスタイルのモデルは言うまでもなく中国の漢詩におけるスタイルであって、そこでは「題詞+序+詩」となっています。

おそらくは、中国文化に対する深い知識を持っていた憶良や旅人などが漢詩のスタイルを参考にして生み出したスタイルなのでしょう。
そして、このスタイルは「古今和歌集」では全く姿を消してしまいますから、万葉集独特の表現形式と言えます。

まず題詞は以下のようになっています。

世間(よのなか)の住(とどま)り難きを哀(かな)しびたる歌一首并せて序

この「世間の住り難き」というのは言うまでもなく仏教の根本教義である「無常」の教えをイメージしています。

そして仏教では、そう言う無常の世の中に対して変わらぬものの理想として「常住」という概念を対置します。
例えば仏典の中には「世間のことは無常なり なお雲の雷を出す如し 尊者よ今や時至る まさに捨家(しゃけ)すべし」として、すぐにでも無常な人の世を捨てて出家することをすすめます。それこそが仏教の基本的なスタンスだからです。

しかし、憶良は人の世は無常であることを認めながらも、「出家」をすすめるのではなくてそれを「哀しむ」というスタンスを取るのです。
それは明らかに仏教的価値観とは相容れないものです。

つまりは、憶良はこの題詞において、仏教的価値観とは相容れない憶良的な世界観を展開することを宣言しているのです。

それに続く「序」は以下の通りです。

集(つど)ひ易く排(はら)ひ難きは八大の辛苦にして、遂(と)げ難く尽し易きは百年の賞楽なり。
古人の歎きし所は、今亦これに及(し)けり。
所以因(かれよ)りて一章の歌を作りて、二毛の歎きを溌(はら)ふ。
其の歌に曰はく

これは意外に意味が取りやすいです。
「集(つど)ひ易く排(はら)ひ難き」と「遂(と)げ難く尽し易き」が対句表現になっています。いわゆる「対比」になっているわけです。

「集(つど)ひ易く排(はら)ひ難き」は「簡単に集まって来ちゃうんだけど、それを払いのけるのがとっても難しい」と言うような意味でしょうか。
それに対して「遂(と)げ難く尽し易き」はそれとは正反対で「なかなか手に入らないのに、手に入ったとしてもあっという間になくなってしまう」みたいな感じです。

つまりは「集ひ易く」と「遂げ難く」が対になっていて、「排ひ難き」と「尽し易き」が対になっているのです。「易」と「難」が巧妙に組み合わされた、なかなかに洒落た言い回しです。

では、「集(つど)ひ易く排(はら)ひ難き」ものが何かと言えばそれは「八大の辛苦」だというのです。
この「八大の辛苦」とは仏教の教義の根本にあるもので、人間が持っている逃れたい苦しみのことを言います。

その苦しみとは生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を加えたものをいいます。いわゆる四苦八苦の語源となった教えです。
こういう苦しみというものは自分が何をしなくても自然とその身に集まってきて、それをいくら振り払おうと思っても振り払うことは出来ないというのです。


それに対して「遂げ難く尽し易き」ものは「百年の賞楽」だというのです。
この「賞楽」と言う言葉は万葉集の中には他に用例がないので、それが何を意味するのかについては諸説あるそうです。

こういうあたりがこの講座の凄いところで、サラッと流せばそれですみそうな所でも、諸説あるところでは必ず親切に立ち止まってくれるのです。

この「賞楽」の出典らしきモノを始めて突き止めたのが江戸時代の万葉学者である契沖で、彼は中国の詩人、謝霊運の「擬魏太子業中集詩八首」の中にある「天下良辰美景 賞心樂事 四者難並(天下の良辰と美景、賞心と樂事、四者は並せ難し)」に由来した表現だと主張したのです。
膨大な漢詩の中から「賞心樂事」を見つけてきた契沖は凄いと思うのですが、もしもこの説を取ると、魏の文帝(曹丕)が主宰するだロンでの文学的な楽しみという意味を持つので、そうなると「賞楽」の意味するものが非常に限定的なものになってしまいます。

ですから、「賞心樂事」を見つけ出してきた契沖には敬意を払いながらも、そこまで深読みをしなくてもただ端に「楽しみを集めてくる」という意味を含んだ憶良の造語だと見た方がいいのではないかという説もあるのです。

なお、「百年の賞楽」とした「百年」というのは人の寿命を指し示す表現で、仏典の中などで「人の寿百年にして」などとあるのを根拠にした表現のようです。

ちなみに、奈良時代に於いては最も重要な鎮護国家のための経典の一つとされていた「金光明最勝王経」の中には「彼の釈迦牟尼仏、五濁(ごちょく)の世に於いて出現の時、人の寿百年にして、稟性下劣、善根微薄にして、また信解(しんげ)なし」みたいな感じで、人間のことをボロクソに貶している文脈の中に登場します。
ちなみに「信解なし」とは仏教の教えを全く理解しようともしないという意味だそうです。

「人の寿百年にして、稟性下劣、善根微薄にして、また信解(しんげ)なし」って言う表現は今でもそのまま使えそうですね。(^^v

と言うことで、「百年の賞楽」とは「人の一生における楽しみ」というような感じになるのですが、それはなかなか得ることが難しく、それが手に入ったとしてもあっという間に終わってしまうと言うのです。

集(つど)ひ易く排(はら)ひ難きは八大の辛苦にして、遂(と)げ難く尽し易きは百年の賞楽なり。

そして、「古人の歎きし所は、今亦これに及(し)けり。」、つまりはその様に古人が嘆いたのだが、それは今も何も変わるものはないと断じるのです。
万葉人の憶良がその様に断じてから1000年以上の時が流れているのですが、この表現は21世紀の今だってそのまま仕える表現です。

古人の歎きし所は、今亦これに及(し)けり。

そして、最後に「所以因(かれよ)りて一章の歌を作りて、二毛の歎きを溌(はら)ふ。」として、これに続く歌を作った意図を明確に述べて「序」を締めくくるのです。
つまりは、憶良は「二毛の歎き」をはらうために歌を作ったと述べているのです。

では、「二毛の歎き」って何なのよ!と言うことなります。
しかし、これは明確に出典を明示することが出来ます。

それは中国の詩集「文選」におさめられた潘岳の「秋興の賦」にある「晉十有四年,余春秋三十有二,始見二毛(晉の十有四年、余春秋三十有二にして始めて二毛を見る)」に求められます。
潘岳は西晋時代を代表する文人であり、類稀な美貌の持ち主としても知られていました。そんな潘岳が三十を過ぎた頃に始めて二毛、つまりは黒い髪の中に白い髪がまじっているのを発見したのです。
それ以来「二毛の歎き」と言えば、それは「老いの嘆き」という意味を持ったのです。

ですから、「二毛の歎きを溌(はら)ふ」というのは「老いの嘆き」をはらうという意味になるのです。

つまり憶良は序の最初のところで「八大の辛苦」についてふれるのですが、その中の「老苦」に絞って歌を作ったと述べているのです。
確かに、歌一首で「八大の辛苦」の全てをはらうことは不可能ですから、取りあえずは「老いの嘆き」に焦点を絞ったからね!といところなのです。(続く)