憶良が「二毛の嘆き」をはらうとして詠んだ長歌が以下のものです。
その論理は実に明確であり、その展開の仕方は近代的ですらあります。
全体としてかなり長い長歌ですので、その論理の展開に従って全体を四つの部分に分け、さらには中間部の二つについては意味が取りやすいように切れに従って行を変えました。
世の中の 術(すべ)なきものは 年月(としつき)は 流るるごとし とり続き 追ひ来るものは 百種(ももくさ)に 迫(せ)め寄り来(きた)る
少女(をとめ)らが 少女(をとめ)さびすと 唐玉(からたま)を 手本(たもと)に纏(ま)かし 〔或いはこの句あり、いわく、白栲の 袖ふりかわし 紅の 赤裳裾引き いへるあり〕
同輩児(よちこ)らと 手たづさはりて 遊びけむ 時の盛りを 留(とど)みかね 過ぐしやりつれ
蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に いつの間(ま)か 霜の降りけむ
紅(くれなゐ)の〔一(ある)は云はく、丹の穂なす〕 面(おもて)の上(うへ)に 何処(いづく)ゆか 皺(しは)が来(き)りし〔一(ある)は云はく、常なりし 笑まひ眉引き 咲く花の 移ろいにけり 世間は かくのみならし〕
大夫(ますらを)の 男子(をとこ)さびすと 剣太刀(つるぎたち) 腰に取り佩き 猟弓(さつゆみ)を 手(た)握り持ちて 赤駒に 倭文(しつ)鞍うち置き はひ乗りて 遊び歩きし 世の中や 常にありける
少女(をとめ)らが さ寝(ね)す板戸を 押し開き い辿(たど)り寄りて 真玉手(またまて)の 玉手さし交(か)へ さ寝(ね)し夜の 幾許(いくだ)もあらねば
手束杖(たつかつゑ) 腰にたがねて か行けば 人に厭(いと)はえ かく行けば 人に憎まえ 老男(およしを)は かくのみならし
たまきはる 命惜しけど 為(せ)むすべもなし
二毛の嘆きをはらうどころか、その嘆きがますます深くなるのではないかと思うような内容です。
世の中の 術(すべ)なきものは 年月(としつき)は 流るるごとし とり続き 追ひ来るものは 百種(ももくさ)に 迫(せ)め寄り来(きた)る
まず最初の句は前段の「世の中の 術なきものは 年月は 流るるごとし」と後段の「とり続き 追ひ来るものは 百種に 迫め寄り来る」に分かれます。
この前段の「世の中の 術なきものは 年月は 流るるごとし」は言うまでもなく題詞の「世間の住り難き」に相当する表現です。
つまりは、世の中は無常であると言うことを述べて、そこへ後段の「とり続き 追ひ来るものは 百種に 迫め寄り来る」がつながるのです。
この「とり続き 追ひ来るものは 百種に 迫め寄り来る」というのは、それだけを読めば抽象的な表現なのですが、「序」に於いて「集(つど)ひ易く排(はら)ひ難きは八大の辛苦」と述べていますから、この「迫め寄り来る」百種とは生老病死などの逃れがたい苦しみであることは明らかです。
憶良は「序」を引き継ぐ形で、もう一度課題を確認しているわけです。
そして、それに続けて「男女」それぞれにおける「二毛の嘆き」の具体的な描写に移ります。
この描写がなかなかにえげつないのです。
まずは「女性編」からいきます。
少女(をとめ)らが 少女(をとめ)さびすと 唐玉(からたま)を 手本(たもと)に纏(ま)かし 〔或いはこの句あり、いわく、白栲の 袖ふりかわし 紅の 赤裳裾引き いへるあり〕
「少女さびす」と言う表現は「男性編」でも「男子さびす」という形で出てきます。この「さびす」というのは「らしく」という意味で、「少女らが 少女さびす」というのは「少女らが少女らしく」と言う意味になります。
そして、この表現が男性編の「大夫の 男子さびす」と対になっていることは容易に気づくはずです。
憶良は、まず最初に少女らしい華やか様子を描き出していきます。
「唐玉」は舶来の高価なブレスレットのことです。少女達はそんな華やかなブレスレットを手首に巻いているというのです。
なお、それに続けて「或いはこの句あり」として「白栲の 袖ふりかわし 紅の 赤裳裾引き」と「いへるあり」と記しています。
これは、憶良の初稿では「唐玉(からたま)を 手本(たもと)に纏(ま)かし」の後に「白栲の 袖ふりかわし 紅の 赤裳裾引き」という句が続いていたようなのです。しかし最終的には憶良はその句を削除しものを決定稿としたようなのです。
おそらく、憶良は少女達の華やかな様子を描き出すのに、そこまでしつこく表現する必要はないと判断したのでしょう。
何故ならば、華やかなブレスレットを手首に巻く少女達を描いた後に、さらに続けて以下のように描写しているので、それで十分と考えたものだと思われます。
同輩児(よちこ)らと 手たづさはりて 遊びけむ 時の盛りを 留(とど)みかね 過ぐしやりつれ
「同輩児(よちこ)」と言う表現は万葉集の中では「切り髪の吾同子(やちこ)」という形でよく出てくるそうです。
この「切り髪」というのはおかっぱ頭のことで、その髪が肩を過ぎて束ねるようになると成人の女になるとされていました。
そして、憶良は「同輩児(よちこ)らと 手たづさはりて 遊びけむ」時を人生の盛りとしているのですが、それもまた、いつまでも留めおくことは出来ずに、いつの間にか過ぎ去っていくというのです。
さあ、ここからが憶良の真骨頂です。
では、「時の盛りを 留みかね」て過ぎ去った後に待っているものは何でしょうか。
蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に いつの間(ま)か 霜の降りけむ
「蜷(みな)」はタニシのことで、その腸のように真っ黒だった髪にいつの間にか霜が降ったように白い家がまじってきたというのです。
さらに、憶良は続けます。
紅(くれなゐ)の〔一(ある)は云はく、丹の穂なす〕 面(おもて)の上(うへ)に 何処(いづく)ゆか 皺(しは)が来(き)りし〔一(ある)は云はく、常なりし 笑まひ眉引き 咲く花の 移ろいにけり 世間は かくのみならし〕
ここにも注釈が入るのですが、こんどは〔一(ある)は云はく〕になっています。
これは、〔或いはこの句あり〕が「挿入」だったのに対して、〔一(ある)は云はく〕は「置換」を意味するようです。
つまり、決定稿は「紅(くれなゐ)の 面(おもて)の上(うへ)に 何処(いづく)ゆか 皺(しは)が来(き)りし」と言うことになっています。
それに対して、「丹の穂なす 面(おもて)の上(うへ)に 何処(いづく)ゆか 皺(しは)が来(き)りし」とした別項が存在しているというのです。
もしくは、全く別の「常なりし 笑まひ眉引き 咲く花の 移ろいにけり 世間は かくのみならし」となっているものもあると言うことを意味しています。
ただし、「紅」も「丹の穂なす」も意味は全く同じですから、その異動はたんなる表現上の問題に留まります。
かつては紅の容だったのに、いつの間にかどこからともなく皺がやってくるというのです。
それに対して、「常なりし 笑まひ眉引き 咲く花の 移ろいにけり 世間は かくのみならし」のほうには、いつも耐えなかった笑いや引き眉も、咲く花のように移ろい衰えていったと述べた後に、「世の中とはそう言うものだ」という「詠嘆」が入っています。
おそらく、憶良はここではその様な「詠嘆」は無用だと最終的に判断したのでしょう。
そして、それは文学的には妥当な判断だった思われるのですが、それは最後のところで詳しく述べたいと思います。(続く)