それでは最後に「前文」と「歌」に「後の人の追ひて和へたる歌」4首を読んでいきたいと思います。
まず最初に重要なことは、この4首は「後の人の追ひて和へたる歌」と「最後(いとのち)の人の追ひて和へたる」の2首と、その後の「最最後(いといとのち)の人の追ひて和へたる」2首の間には表現しようとするものに大きな違いがあることです。
まず前半の2首は以下の通りです。
後(のち)の人の追ひて和(こた)へたる
山の名と言ひ継げとかも佐用姫(さよひめ)がこの山の上(へ)に領布(ひれ)を振りけむ
最後(いとのち)の人の追ひて和へたる
万代(よろづよ)に語り継げとしこの岳(たけ)に領布(ひれ)振りけらし松浦佐用姫
ともに、焦点は「領巾麾の嶺」という「地名」に焦点が当てられていて、それは元歌の「遠つ人松浦佐用姫夫恋(まつらさよひめつまごひ)に領巾(ひれ)振りしより負(お)へる山の名」に素直に呼応したものです。
元歌が「領巾麾の嶺」」という地名は佐用姫がそこで「領巾」を振ったことに負っていると述べているのに対して、後の人は「山の名前として後の世に言い継げと領巾を振ったのだろうか」と応え、最後(いとのち)の人も「万年の後までも語り継げと佐用姫はこの山で領巾を振ったのだろ」と応えているのです。
その関係は極めて真っ当ではあってもいささか平板だと言わねばなりません。
ところが、最後の2首である「最最後(いといとのち)の人」の2首は、地名ではなくて、そこで領巾を振った「佐用姫」の心情に踏み込んでいます。
最最後(いといとのち)の人の追ひて和(こた)へたる二首
海原(うなはら)の沖行く船を帰れとか領布(ひれ)振らしけむ松浦佐用姫
行く船を振り留(とど)みかね如何(いか)ばかり恋(こほ)しくありけむ松浦佐用姫
今さら確認するまでもなく、前の2首とは明らかにトーンが違います。
それは「前文」と「歌」だけでは表現しきれなかった「佐用姫」の切ないまでの別れへの心情に踏み込んだものになっているのです。この2首では焦点は「地名」ではなくて「佐用姫」の心情にあてられているのです。
佐用姫は、大海の沖へと去っていく船に対して帰って欲しいとの万感の思いを持って「領布」を振ったのです。
そして、そこまでの思いを持って「領布」を振ってもとどめることが出来ない現実を前にして、去っていく佐提比古をどれほど恋しく思ったことだろうと、その悲しみに共感を寄せるのです。
大谷先生は、この2首に関しては、かなり高い確率で山上憶良の作品ではないかと述べておられました。
その根拠として、「佐用姫」を漢字原文において「佐欲比賣」と表記しているのは憶良だけだという事実を指摘されていました。
憶良は巻5の868番から870番までの書簡の中でも「佐用姫」についてふれているのですが、そこでも漢字原文では「佐欲比賣」と表記しているのです。そして、これが重要なことなのですが、「佐用姫」を「佐欲比賣」と表記している人は憶良以外にはいないと言うことです。
もちろん、学問的な厳密さから言えばこれだけで憶良の作品だとは断定できなことは留意して欲しいと大谷先生も言われていました。しかし、素人的な気楽さから見れば、この歌の持つ深い情感も考え合わせれば、少なくとも憶良の作品と見て間違いはないのではないかと思われます。
そして、この2首が最後に付け加えられることで、「前文」から始まった「佐用姫」と「佐提比古」の物語が文学的に完結していくのです。
ですから、この「松浦佐用姫の歌」は、憶良が旅人に宛てた書簡で「松浦に出かけたのならば他に読むことがあるでしょう、例えばあなたの偉大な祖先である佐提比古の事なども・・・」みたいな事を述べただけでは気が済まず、さらに追い打ちをかけるように「佐用姫」と「佐提比古」の物語をこんな風に読むことだってえ出来るんですよと、「作者不詳」の形で示したものだとみることが出来るのです。
しかしながら、「前文」の書き方などを見ると大伴旅人のような雰囲気も漂っているので、憶良からの挑戦に対して大伴旅人が応えたものだという見方も決して不可能ではありません。
さらに言えば、何かの集まりで憶良からの書簡の事が話題になって、それに対して旅人が応える形で「前文」と「歌」を披露し、それに対して太宰府の官人が応え、最後に憶良がまとめる形で一編の文学作品として完成させたという見方も可能です。
つまりは、作者に関しては本文に何も示されていないのですから、あれこれと類推は出来ても最終的な決め手となる資料がないのですから学問的には「分からない」とするしかないのです。
しかし、「松浦河に遊ぶの序と歌:巻5 853~863 」から始まって、それに対する「山上憶良の書簡:巻5 868~870」とこの「松浦佐用姫の歌:巻5 871~875」に至るやり取りは、いわゆる「筑紫歌壇」と呼ばれた当時の太宰府を中心としたメンバーの文学的な息吹と意気込みみたいなものを今に伝えてくれていることは間違いないようです。(終わり)