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ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」


パウル・ファン・ケンペン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年5月26日~28日録音をダウンロード

  1. ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」「第1楽章」
  2. ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」「第2楽章」
  3. ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」「第3楽章」
  4. ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」「第4楽章」

音楽史における最大の奇跡



「のだめカンタービレ」の中で千秋が指揮者としてデビューした作品です。

最初は「7番」を練習していたのが、シュトレーゼマンの指示で突然「3番」に変更になりました。
おまけに、大学の定期公演にでることも決めてしまっていました。

「あと一ヶ月しかないのにこんなオケで」「本気ですか?!」と驚きながらも「まあ・・・オレが出るわけじゃないけど」と傍観者を決め込む千秋に「それから・・今日からこのオケの副指揮者を千秋にやってもらいます」・・・という展開になっていきます。
「ジジイ・・・今度はいったいどーゆーつもりだ?」と訝りながらも「これで堂々とオケが振れる!!」「素直に感謝してがんばらなくては」と意気込む千秋だったのです。

そんなあれこれの中で千秋は次のようにこの作品を解説していました。

「フランスの共和主義を守るために闘っていたナポレオンにインスパイアーされたらしいベート・ベンが「ボナパルドに捧げる」という標題をつけた有名なエピソードつきの曲・・」
「ベートーベンはこの3番で音楽史上革新的な交響曲の世界へ踏み込んでいった・・」
「それまでの形式にとらわれない音の純粋な芸術性だけを追求した美しく雄大な・・・(曲)」


「音楽史上革新的な交響曲の世界」と言う言葉がポイントです。
それはどんな世界なのでしょうか?

ベートーベン以前の作曲家がソナタ形式の音楽を書こうとすれば、まず何よりも魅力的で美しい第1主題を生み出すことに力が注がれました。
しかし、ベートーベンはそれとは全く異なる手法で、より素晴らしい音楽が書けることを発見し、実証して見せたのです。

冒頭の二つの和音に続いて第1楽章の第1主題がチェロで提示されます。

「運命」がたった4つの音を基本的な構成要素として成立したことと比べればまだしもメロディを感じられますが、それでもハイドンやモーツァルトの交響曲と比べればシンプルきわまりないものです。それは、もはや「主題」という言葉を使うのが憚られるほどにシンプルであり、「構成要素」という言葉の方が相応しいものです。

しかし、そんな小難しい理屈から入るよりは、実際に音楽を聞いてみれば、このシンプルきわまりない構成要素が楽章全体を支配していることをすぐに了解できるはずです。
もちろん、これ以外にもいろいろな楽想が提示部に登場しますが、この構成要素の支配力は絶対的です。
そして、この第1主題に対抗するべき柔和な第2主題が登場してきてもその支配力は失われないのです。

ベートーベンは音楽の全てがこの構成要素から発し、そしてその一点に集中するようにな綿密な設計に基づいて交響曲を書き上げるという「革新」をなしえたのです。
そして、第5番「運命」ではたった4つの音を基本的な構成要素として巨大な交響曲全体を成立させるという神業にまで至ります。

単純きわまる構成要素を執拗に反復したり、その旋律を変形・重複させたり、さらには省略することで切迫感を演出することで、交響曲の世界を成立させてしまったのです。

音楽において絶対と思われた「歌謡性」をバラバラの破片に解体し、その破片を徹底的に活用することで巨大な建築物を作り上げる手法を編み出してしまったのです。
そして、それこそが、千秋が述べた「音楽史上革新的な交響曲の世界」の正体なのです。

こうして作り上げられた巨大な第1楽章に対抗するために第2楽章もまた巨大な葬送行進曲が配置されることになります。
この、あまりにも有名な葬送のテーマでしっかりと第1楽章を受け止めます。

しかし、ここで問題が起こります。
果たして、この2つの楽章を受けて続く第3楽章は従前通りの軽いメヌエットでよいのか・・・と言う問題です。

答えはどう考えても「否」です。
そこで、ベートーベンはここで始めてメヌエットを捨ててスケルツォを採用することになります。つまりは、優雅さではなくて諧謔、シニカルな皮肉によって受け止めざるを得なかったのです。

そして、これら全ての3つの楽章を引き受けてまとめを付けるのが巨大な変奏曲形式の第4楽章です。
ベートーベンはこの主題がよほどお気に入りだったようで、「プロメテウスの創造物」のフィナーレやピアノ用の変奏曲などでも使用しています。

結果として、ハイドンやモーツァルトの時代には考えられないような音の構築物が出来上がってしまったわけです。
当時の聴衆にとってこれは異形の怪物ととも言うべき音楽であり、第1、第2というすばらしい「傑作」を書き上げたベートーベンが、どうして急にこんな「へんてこりんな音楽」を書いたのかと訝ったという話も伝わっています。

しかし、この「エロイカ」の登場によって、「交響曲」という音楽形式はコンサートの前座を務める軽い音楽からクラシック音楽の王道へと変身を遂げたのです。


モノラル録音への再評価


何も今さらこんな古い録音を引っ張り出してこなくてもいいだろう、と言う声が聞こえてきそうです。
それに、ケンペンって誰?ケンペの間違いじゃないの、と言う声も聞こえてきそうです。


  1. パウル・ファン・ケンペン:1893年5月16日 - 1955年12月8日(オランダ生まれのドイツの指揮者)

  2. ルドルフ・ケンペ:1910年6月14日~1976年5月12日(ドイツの指揮者)



ともにドイツで活躍した指揮者ですが、年代的には二回りくらい違います。そして、ケンペンは早く亡くなったというイメージがあったのですが、こうしてみるとケンペも意外なほどに若くして亡くなっていることに気づいて驚きました。
60代半ばでなくなってしまうと言うのは、指揮者の業界では間違いなく「早逝」の部類にはいります。

ケンペンはオランダ生まれなのですが、何故か活動の拠点をドイツに置き、ナチス政権下での活動が徒となって戦後は1949年まで演奏活動禁止の処分を受けます。さらにはドイツ国内ではその処分が1953年まで継続されましたので、まさにこれからという時期に亡くなってしまったと言うことになります。
結果として残された録音は全てモノラルで、且つ数も少ないので「ケンペンって誰?ケンペの間違いじゃないの」と言うことになってしまうのです。

と言うことで、「何もそんな過去の人の古いモノラル録音を引っ張り出してこなくてもいいでしょう」と言うことになってしまうのです。
実際、私もそう感じていたので、今までほとんど紹介もしてこなかったのです。

しかし、この数ヶ月、モノラル録音の再生というテーマに取り組んでいて、その中でケンペンのベートーベン録音を聞き直す機会があったのです。そして、昔聞いたときは何となくぼけた録音だと思っていたのが大間違いで、53年録音の7番や8番だけでなく51年録音のエロイカでさえもかなりの優秀録音であることに気づかされたのです。

録音はフィリップスなのですが、可もなく不可もない(不可になることも多かった(^^;)ステレオ録音時代のフィリップスとは別人のような好録音です。
ちなみに、モノラル録音の再生に関わる問題はこちらの方で少しふれていますので、興味のある方はご覧ください。

Christopher Parker(2)~エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 作品38

自分も同じ愚を犯していたのであまり偉そうなことは言えないのですが、ステレオ再生を前提とした2チャンネルシステムでモノラル録音を十全に再生するのは難しいのです。そして、この事に気づいたおかげで、最近はますます古い録音の世界に舞い戻っているのです。
そして、これが一番困った話なのですが、そうやってそれなりのクオリティでモノラル録音が再生できるようになってくると、演奏の印象も随分と変わってくるのです。

出所ははっきりしないのですが、50年代の初頭には、ケンペンのベートーベンはフルトヴェングラーよりも凄いと言われていたという話が出ていたそうです。それをはじめて聞いたときは何をぼけたことを言っているのだと思ったのですが、こうして聞き直してみるとそれほどぼけた話ではないことに気づかされるのです。

もちろん、ケンペンとフルトヴェングラーでは音楽の方向性が違います。
ケンペンの音楽は「剛毅」という言葉が一番似合います。その美質が一番よく出ているのがベートーベンの7番でしょう。最初の2つの楽章はまさに「正当派」という言葉がピッタリ来る演奏なのですが、第3楽章にはいるとやや遅めのテンポで押し切っていきます。そして、一見すると剛毅な直線性で造形しているように見えながら、微妙にアクセルとブレーキを調整しながらクライマックスに向けたドラマを演出しているのが分かります。

それは、エロイカにおいても同様で、最終楽章のコーダに突入していく前で少しずつ息をひそめるように身を小さくしていき、そして、吐ききったところで大きく息を吸い込むように間をとってから、一気にコーダに突入していきます。
ですから、表面的にはザッハリヒカイトな音楽のように見えてそう言う時代の流れに迎合した音楽とは本質的に異なるものです。

フルトヴェングラーよりも凄いかどうかはひとまず脇におくとしても、両者は並べて論じるに値する存在であったことだけは確かです。