クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜


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ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95(B.178)「新世界より」


エーリヒ・クライバー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 1929年録音をダウンロード

  1. Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 "From the New World" [1.Adagio - Allegro molto]
  2. Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 "From the New World" [2.Largo]
  3. Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 "From the New World" [3.Molto vivace]
  4. Dvorak:Symphony No.9 in E minor, Op.95 "From the New World" [4.Allegro con fuoco]

ボヘミアの郷愁を歌った音楽であると同時にアメリカの息吹に触れることによってのみ生まれた作品である



ドヴォルザークが、ニューヨーク国民音楽院院長としてアメリカ滞在中に作曲した作品で、「新世界より」の副題がドヴォルザーク自身によって添えられています。

ドヴォルザークがニューヨークに招かれる経緯についてはどこかで書いたつもりになっていたのですが、どうやら一度もふれていなかったようです。ただし、あまりにも有名な話なので今さら繰り返す必要はないでしょう。
しかし、次のように書いた部分に関しては、もう少し補足しておいた方が親切かもしれません。

この作品はその副題が示すように、新世界、つまりアメリカから彼のふるさとであるボヘミアにあてて書かれた「望郷の歌」です。

この作品についてドヴォルザークは次のように語っています。
「もしアメリカを訪ねなかったとしたら、こうした作品は書けなかっただろう。」
「この曲はボヘミアの郷愁を歌った音楽であると同時にアメリカの息吹に触れることによってのみ生まれた作品である」


この「新世界より」はアメリカ時代のドヴォルザークの最初の大作です。それ故に、そこにはカルチャー・ショックとも言うべき彼のアメリカ体験が様々な形で盛り込まれているが故に「もしアメリカを訪ねなかったとしたら、こうした作品は書けなかっただろう」という言葉につながっているのです。

それでは、その「アメリカ体験」とはどのようなものだったでしょうか。
まず最初に指摘されるのは、人種差別のない音楽院であったが故に自然と接することが出来た黒人やアメリカ・インディオたちの音楽との出会いです。

とりわけ、若い黒人作曲家であったハリー・サンカー・バーリとの出会いは彼に黒人音楽の本質を伝えるものでした。
ですから、そう言う新しい音楽に出会うことで、そう言う「新しい要素」を盛り込んだ音楽を書いてみようと思い立つのは自然なことだったのです。

しかし、そう言う「新しい要素」をそのまま引用という形で音楽の中に取り込むという「安易」な選択はしなかったことは当然のことでした。それは、彼の後に続くバルトークやコダーイが民謡の採取に力を注ぎながら、その採取した「民謡」を生の形では使わなかったののと同じ事です。

ドヴォルザークもまた新しく接した黒人やアメリカ・インディオの音楽から学び取ったのは、彼ら独特の「音楽語法」でした。
その「音楽語法」の一番分かりやすい例が、「家路」と題されることもある第2楽章の5音(ペンタトニック)音階です。

もっとも、この音階は日本人にとってはきわめて自然な音階なので「新しさ」よりは「懐かしさ」を感じてしまい、それ故にこの作品が日本人に受け入れられる要因にもなっているのですが、ヨーロッパの人であるドヴォルザークにとってはまさに新鮮な「アメリカ的語法」だったのです。
とは言え、調べてみると、スコットランドやボヘミアの民謡にはこの音階を使用しているものもあるので、全く「非ヨーロッパ的」なものではなかったようです。

しかし、それ以上にドヴォルザークを驚かしたのは大都市ニューヨークの巨大なエネルギーと近代文明の激しさでした。そして、それは驚きが戸惑いとなり、ボヘミアへの強い郷愁へとつながっていくのでした。
どれほど新しい「音楽的語法」であってもそれは何処まで行っても「手段」にしか過ぎません。
おそらく、この作品が多くの人に受け容れられる背景には、そう言うアメリカ体験の中でわき上がってきた驚きや戸惑い、そして故郷ボヘミアへの郷愁のようなものが、そう言う新しい音楽語法によって語られているからです。

「この曲はボヘミアの郷愁を歌った音楽であると同時にアメリカの息吹に触れることによってのみ生まれた作品である」という言葉に通りに、ボヘミア国民楽派としてのドヴォルザークとアメリカ的な語法が結びついて一体化したところにこの作品の一番の魅力があるのです。
ですから、この作品は全てがアメリカ的なもので固められているのではなくて、まるで遠い新世界から故郷ボヘミアを懐かしむような場面あるのです。

その典型的な例が、第3楽章のスケルツォのトリオの部分でしょう。それは明らかにボヘミアの冒頭音楽(レントラー)を思い出させます。
そして、そこまで明確なものではなくても、いわゆるボヘミア的な情念が作品全体に散りばめられているのを感じとることは容易です。

初演は1893年、ドヴォルザークのアメリカでの第一作として広範な注目を集め、アントン・ザイドル指揮のニューヨーク・フィルの演奏で空前の大成功を収めました。
多くのアメリカ人は、ヨーロッパの高名な作曲家であるドヴォルザークがどのような作品を発表してくれるのか多大なる興味を持って待ちかまえていました。そして、演奏された音楽は彼の期待を大きく上回るものだったのです。

それは、アメリカが期待していたアメリカの国民主義的な音楽であるだけでなく、彼らにとっては新鮮で耳新しく感じられたボヘミア的な要素がさらに大きな喜びを与えたのです。
そして、この成功は彼を音楽院の院長として招いたサーバー夫人の面目をも施すものとなり、2年契約だったアメリカ生活をさらに延長させる事につながっていくのでした。


SP盤時代の録音を聞くという行為は巨匠達の「音楽力」と対峙すること


すでに、管理人ブログの方でも報告したのですが、本年の12月30日に「TPP11」が発効することによって著作権法の改訂が施行されることになりました。これまでは、新しい年を迎えるたびに大量の音源をパブリック・ドメインとして迎え入れていたのですが、この施行を持って少なくとも向こう20年はそれもなくなることになりました。
しかしながら、すでにパブリック・ドメインになっている音源に関しては変更はありませんので、これからも紹介していきたい音源はたくさん残っています。とりわけ、今までは新しいステレオ録音が次々とパブリック・ドメインの仲間入りをする状況を受けて、なかなか手の回らなかった古い音源についても少しずつ紹介していくことが出来るかと考えています。

ただし、世の中には、モノラル録音と言うだけで「聞くべき対象」から外してしまう人もいるようですから(^^;、SP盤時代の音源なんかは「論外」という人も多いかと思われます。しかしながら、そう言うバイアスは外して虚心坦懐に音楽に耳を傾ければ、今の演奏からは味わえない魅力がその様な「古い録音」には溢れていることに気づくかれる方もおられるはずです。
今回の法改訂は基本的には「国益」に反するものだと考えますが、それでも、今までは手の回らなかったそう言う「古い音源」を紹介するための手間と時間を与えてもらったと思えば、多少は腹立ちもおさまるというものです。

振り返ってみれば、クラシック音楽などと言うものを意識的に、そして積極的に聞き始めてから40年を超える時間が経過しました。それは、結果として、どんな演奏や録音を聞いてもそれほど大きな驚きを感じないという「不幸」をもたらすことにつながります。
しかし、そう言う「不幸」の中にあって、このエーリッヒの「新世界より」には久々に大きな驚きと喜びを与えてもらいました。もしかしたら、今年聞いた数多くの録音の中で、もっとも驚かされた一枚かもしれません。

これを一言で表現すれば「爆裂型演奏」と言うことで切って捨ててしまう人もいるかもしれません。

「今」という時代はどのような作品においても「スタンダード」というものの形が出来上がっている時代です。溢れるほどに多様な録音が世に溢れている状況の下では、譜面を読めない一般の人であっても、聞くという行為を通して音楽の形は記憶の中に刻み込まれてしまっています。そして、新しい演奏や録音と出会うたびにその記憶の中の「スタンダード」と照合しては、いいとか悪いとかという評価を下しているのであって、さらにはその「スタンダード」から著しく逸脱しているものがあればそれを「爆裂型演奏」として「珍重」したり「駄目出し」をしたりしているのです。

指揮者のなかにもぞんざいな人がいて、次の演奏会で取り上げる作品に関して何人かの指揮者の録音を指名して、それをテープにダビングしておくようにオケの事務局に依頼する奴もいるようです。そして、次回の演奏会ではその指名した指揮者風の音楽になっているというのです。
アマチュアのオケなんかではみんなで話し合って、次回の定期は○○風の演奏にしようと一年かけて仕上げるという話を聞いたことはあるのですが、それと大差ないことをプロの指揮者がやっているというのは情けなさの限りです。
しかし、事務局にテープのダビングを頼むほど厚かましくはなくても、こっそりと色んな録音を聞いては「勉強」したことにしている指揮者はたくさんいるのかもしれません。

そう考えると、昔の指揮者は掛け値なしに大変だったはずです。いろいろな指揮者の録音を聞いて参考にすることは出来なかったのですから、ほんとうにスコアだけと対峙して自分の音楽を作りあげていくしかなかったのです。今の指揮者の多くもスコアと向き合っていることを信じたいのですが、たとえ向き合っていたとしても、そこにはすでに多くの演奏や録音を聞くという形で「スタンダード」が影響を及ぼしていることは否定できません。情報量が多いというのは一般的にはプラスに働くのでしょうか、ほんとうに深い部分については必ずしもそうとは言いきれない面もあるのです。
そして、そう言う「情報量」が圧倒的に少ない状況の下で必要なのは自分なりの音楽を作りあげていく「力」だろうと思われます。個人的にはそう言う力を「音楽力」とでも呼びたいのですが、そう言う真の「音楽力」がもたらした演奏に関しては、いかに「スタンダード」とかけ離れていても、それを「爆裂型演奏」などと言う安直な言葉で評したくはないのです。
この1929年にエーリッヒが録音した「新世界より」の演奏には、疑いもなくエーリッヒという天才の「音楽力」が明瞭に刻み込まれています。とりわけ、第2楽章の「Largo」からこれほど絶対的な孤独と弧愁感に満ちた世界を引き出した演奏は聞いたことがありません。そこには、「家路」などと言うイメージから想起される「郷愁」などは欠片も存在しません。

残念なことは、そう言うエーリッヒがイメージしたこの交響曲の世界にオーケストラが付いてこれていない部分があることです。それが結果として、エーリッヒの棒がオケを置いてきぼりにしているように聞こえる部分があちこちにあり、その事が「爆裂」しているように聞こえてしまっているのです。
しかし、聞き手が聞き取るべきものはその「爆裂」した外形ではなくて、その「爆裂」の奥にあるエーリッヒが求めた音楽の形なのです。そして、そう言う音楽力が作り出した音楽は、テープのダビングを平気で依頼するような指揮者の棒のもとでは、100年かけてもその1小節たりとも再現することは出来ないのです。

ですから、SP盤時代の録音を聞くという行為は、そう言う巨匠達の「音楽力」と対峙することでもあるのです。