続けて、憶良の「日本挽歌」を読んでいきます。
大王(おほきみ)の 遠の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫の国に 泣く子なす 慕ひ来まして
息だにも いまだ休めず 年月も 幾だもあらねば 心ゆも 思はぬ間に 打ち靡き 臥(こ)やしぬれ
言はむ術 為む術知らに 石木をも 問ひ放(さ)け知らず
家ならば 形はあらむを
恨めしき 妹の命の 吾をばも いかにせよとか
にほ鳥の 二人並び居 語らひし 心背きて 家離(ざか)りいます
最初は全く意味の取れなかったこの「長歌」も、講座の中でポイントを指摘してもらうことで、少しずつ姿が見えてきます。
続く部分は「言はむ術 為む術知らに 石木をも 問ひ放(さ)け知らず」です。
まず、「言はむ術 為む術知らに」は万葉集の中ではよく使われる「定型的」な言い回しらしいです。
こうしてポイントだけを取りだして眺めていると、その言葉の意味するところのイメージが浮かび上がってきます。現代語に訳せば「何を言えばいいのか、何をすればいいのか分からない」というような感じになるのでしょうが、そうして理解してしまえば「言はむ術 為む術知らに」という言い回しに込められた古代人の思いはスルリと取りこぼしてしまいます。
愛する妻の突然の病に驚き慌てる旅人の動揺を言い表すには「言はむ術 為む術知らに」でなければいけないのです。
そして、これに続く「石木をも 問ひ放(さ)け知らず」は憶良ならではの表現らしいです。
妻の病を前にした旅人の動揺を表現するのに「定型」と「オリジナル」を組み合わせるところに憶良の才能を感じます。
それでは、「石木をも 問ひ放け知らず」とはどういう意味でしょうか。
これはかなり意味の捉えにくい言葉です。
意味としては「石や木に問いかけてみても仕方のないことだ」となるのでしょうか。しかし、ここでの「石木」とは感情を持たない存在として万葉人には共通認識されていた事を知ればイメージがはっきりとしてきます。
「どうしてこんな事になってしまったのだ」という旅人の思いは、そう言う感情などを持たないものへも向けられたと言うことで、その動揺の激しさを暗喩しているのです。そして、当然の事ながら、その様な存在が何かを答えてくれるはずもないので「問ひ放け知らず」」となるのです。
これも見事なレトリックだと思います。
そして、これに続く「家ならば 形はあらむを」も誤解を招きやすいセンテンスです。
問題はこの「家ならば」の「家」が何を意味するのかと言うことです。
当然の事ながら、旅人もその妻も九州の太宰府にたどり着いているのですから、通常は「家」と言えば太宰府での住まいと言うことになります。しかし、そう解釈してしまうとそれに続く「形はあらむを」の意味が分かりません。
大谷先生が指摘されていたのですが(メモっていなかったので曖昧な記憶が頼りです^^;)、憶良は別のところで病を得て亡くなっていく子供の様子を描いているらしいのですが、その衰えていく様を「形が壊れる」というような表現をしているらしいのです。
ネットでも調べたのですが、該当する詩文は見つけられませんでした。
ですから「形はあらむを」とは「健やかであったろうに」という意味になるのです。しかが、「家」を太宰府での住まいと解釈すれば、「家ならば 形はあらむを」は全く意味の通らない一文と言うことになってしまいます。
何しろ、太宰府の住まいにたどり着くやいなや旅人の妻はたおれてしまったのですから「家ならば 形はあらむを」って、なんのこっちゃ!となります。
しかし、万葉集で「家」と言えば、それは「本来住まうべき場所」という意味を持っていると知れば、解釈はガラリと変わります。
そうなのです、ここでの「家」とは左遷されてやってき太宰府の住まいではなくて、彼らが睦まじく暮らしていた奈良の都の住まいのことを意味しているのです。
そうすれば、「家ならば 形はあらむを」からは旅人の深い後悔の念が浮かび上がってきます。ストーリー展開としてはこの「嘆き」の前に妻は亡くなったのでしょう。
大谷先生は、この部分で憶良の長歌は転調すると指摘されていました。
なるほど納得です。
ですから、「本来の住まいである奈良にいたならば健やかであったろうものを」と現代語に訳した途端に旅人の慟哭はスルリと手の間からこぼれ落ちてしまいます。
万葉人の心を少しでも感じとるためには「家ならば 形はあらむを」は「家ならば 形はあらむを」のままで受け取る必要があります。
そして、その後悔の念は行き場がなく、ついには亡くなった妻へと向けられていきます。
恨めしき 妹の命の 吾をばも いかにせよとか
これも最初は意味が取りにくかったのですが、「妹の命」とは亡くなった人への尊敬を表す言葉だと指摘されれば、はっきりと情景が浮かび上がってきます。
旅人は自分だけを残して先立った妻のことを「恨めしき妹の命」と言っているのです。そして、そう言う恨めしい妻に対して「吾をばも いかにせよとか」、この私に対して何をしろというのかと憤りをぶちまけているのです。
はっきり言えば、男の甘えです。しかし、その甘えには驚くほどのリアリティを感じます。
もちろん、この歌を作ったのは憶良であるのですが、憶良は妻を亡くして悲嘆にくれる旅人が乗り移ったかのようなリアリティを持って歌い上げているのです。
大王(おほきみ)の 遠の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫の国に 泣く子なす 慕ひ来まして
息だにも いまだ休めず 年月も 幾だもあらねば 心ゆも 思はぬ間に 打ち靡き 臥(こ)やしぬれ
言はむ術 為む術知らに 石木をも 問ひ放(さ)け知らず
家ならば 形はあらむを
恨めしき 妹の命の 吾をばも いかにせよとか
こういう講座は行ってみるものです。
それがなければ、これほどのリアリティを持ってこの長歌をイメージする事は出来なかったでしょう。(続く)