万葉集を読む(20)~山上憶良「世間の住り難きを哀しびたる歌 巻五 804~805番歌」(6)

前回は、世の無常を「為(せ)むすべもなし」として全て受け容れる日本的価値観を自覚して、それを中国的価値観、もしくは仏教的価値観と対峙させる憶良という存在の大きさについて考えてみました。
そして、そう言う思いは当時の万葉人にもあったようで、とりわけ、万葉集を編纂した中心人物である大伴家持には憶良への敬慕の念が強かったようです。

家持の残した作品を見てみると、至るところに憶良へのリスペクトが感じられる表現に出会います。

例えば、「世間の住り難きを哀しびたる歌」の「序」において「所以因(かれよ)りて一章の歌を作りて、二毛の歎きを溌(はら)ふ」と憶良は記しています。
これは、「二毛の嘆き」のような物は「歌」でしか溌(はら)う事は出来ないという、憶良ならではの価値観を吐露した物です。それは裏返せば、「歌」という物が持っている「力」の表明でもあります。

大伴家持

そして、家持もまたこの憶良と同じような価値観を吐露しているのです。

万葉集巻19 4292番歌

うらうらに照れる春日に雲雀上がり情(こころ)悲しも独りし思へば

あまりにも有名な歌ですが、この歌の左注に次のような一文を見いだす事が出来ます。

春日は遅遅にして、雲雀正に啼く、悽惆(せいちう)の意(こころ)は歌にあらずは撥(はら)ひ難しのみ。仍(よ)りて此の歌を作り、式(も)ちて締(むすば)れし緒(こころ)を展(の)ぶ。

「悽惆(せいちう)とは「哀しみの心」という意味ですから、そう言う「哀しみの心」は歌でしかはらう事は難しいと述べているのです。
そこからは、「歌」というものが持っている力、もっと突き詰めて言えば「言葉」というものが持っている力を一途に信じた憶良への憧憬が感じられますし、併せて、自分もまたその様な場所に立ち位置を定めた事を表明しているとも受け取れるのです。

雲雀

それ以外にも、憶良しか使っていない表現が家持の歌の中にたくさんあらわれる事も注目すべき点です。

「同輩児(よちこ)らと 手たづさはりて 遊びけむ 時の盛りを 留(とど)みかね 過ぐしやりつれ」の中の「時の盛りを」とか「留みかね」という表現はこの二人の歌の中でしか見いだせないものだそうです。

巻17 3969番歌

・・・少女(をとめ)らが 春菜摘(つ)ますと 紅の 赤裳の裾の 春雨に にほひひづちて 通ふらむ 時の盛りを徒(いたづら)に 過ぐし遣(や)りつれ ・・・(一部抜粋)

万葉集巻19 4160番歌

天地し 遠き初めよ 世の中は 常なきものと 語り継ぎ 流らへ来たれ
天つ原 振り放け見れば 照る月も 満ち起きしけり あしひきの 山し木末(こづゑ)も 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜負(を)ひて 風交り もみち散りけり
うつせみも かくのみならし 紅(くれなゐ)の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪変り 朝し咲(ゑ)み
夕変らひ 吹く風の 見えぬがごとく 行く水の 止まらぬごとく 常もなく うつろふ見れば にはたづみ 流るる涙 留めかねつも

この4160番歌は自然の移り変わりと人の移ろいを対比させて世の無常を歌ったもので、内容的にも表現的にも憶良への強いリスペクトが感じられます。

さらに、巻19の4164番歌には「右の二首は、追ひて山上憶良臣の作れる謌に和(こた)へたり。」という左注がつけられています。

巻19の4164番歌

ちちの実の 父の命(みこと) 柞葉(ははそば)の 母の命(みこと) おほろかに 情(こころ)尽(つく)して 思ふらむ その子なれやも 大夫や 空しくあるべき
梓弓 末振り起し 投矢(なげや)持ち 千尋(ちひろ)射わたし 剣大刀 腰に取り佩き あしひきの 八峰(やつを)踏み越え さし任(ま)くる 情(こころ)障(さや)らず 後の代(よ)の 語り継ぐべく 名を立つべしも

ここでも「剣大刀 腰に取り佩き」という表現が用いられていて、左注にあるようにこの歌が憶良の「世間の住り難きを哀しびたる歌」の丈夫を描いた部分に家持なりに追加したものだという事がうかがえます。

創作という営みは、どれほどの天才であっても、その一人の中で完結するものではありません。
いや、天才であればあるほど、その霊感は先行する人々に多くを依存しているのであって、その先行する人々の肩の上に乗ってこそ新しい表現を生み出す事が出来るのです。

そして、そう言う「創造の有り様」というのは近代的な価値観かと思っていたのですが、それは大きな勘違いだったようです。
おそらく、人が「創造」という営みを始めた原初の時から、それは常に変わらぬ真理だった事を万葉集は教えてくれます。