万葉集を読む(21)~大伴旅人「龍の馬も今も得てしか 巻五 806~809番歌」(1)

万葉文化館の10月の講座は「巻五」から806番~809番歌「龍の馬も今も得てしか」4首でした。講師は井上さやか先生です。

井上先生によると、この4首は謎の多い作品であり、その解釈をめぐっては様々な説が提出されてきたものの、確かなことは今もよく分からないそうです。そういう意味では、ある種の「謎解き」の面白さがあり、それ故に「想像の上に想像」を重ねて学問的な厳密さからはどんどん離れていってしまう危険性を持った作品であると井上先生は述べておられました。

そのあたりは、「万葉学者」としての自制心からの言葉なのでしょうが、気楽な「万葉愛好家」であるならばそう言うことは気にせず、自由に創造力を羽ばたかせてみるのも面白いのかなとは思います。

藤原京跡の秋桜

まず、この作品は「序」と4首の歌からなっています。

しかし、問題はこの「序」であって、それを本当に「序」と言っていいのかどうかが問題なのです。
何故ならば、原文は漢文によって書かれているので「序」のように見えるのですが、その内容とスタイルは明らかに「お手紙」だからです。

原文

伏辱来書、具承芳旨。忽成隔漢之戀、復、傷抱梁之意。唯羨、去留無恙、遂待披雲耳

読み下し文

伏して来書を辱(かたじけな)くし、具(つぶさ)に芳旨を承りぬ。
忽ちに漢(あまのかは)の隔(へだ)つる恋を成し、復(また)、梁(はし)を抱く意(こころ)を傷ましむ。
唯だ羨(ねが)はくは、去留(きょりゅう)に恙(つつみ)無く、遂に雲を披(ひら)くを待たまくのみ。

これを「書簡文」だと見れば、作品全体はこの書簡文に付された歌が2首、それに対する返歌が2首というスタイルになります。

書簡文に付された2首

歌詞両首 大宰帥大伴卿
龍(たつ)の馬(ま)も今も得てしかあをによし奈良の都に行きて来む為
現(うつつ)には逢ふよしもなしぬばたまの夜の夢(いめ)にを継ぎて見えこそ

返歌2首

答へたる歌二首
龍(たつ)の馬(ま)を吾(あ)れは求めむあをによし奈良の都に来む人の為(たに)
直(ただ)に逢はず在(あ)らくも多く敷栲(しきたえ)の枕離(さ)らずて夢(いめ)にし見えむ

全体の並び方を素直に受け取ればこれがもっとも一般的な解釈と言えるはずです。そして、これで何の問題もないのであれば「謎の多い作品」と言われることもありません。
しかし、このように素直に解釈をすれば、どうにも解せない部分が出てくるのです。

まず、この「書簡文」とそれに付された2首の歌に関しては「歌詞両首 大宰帥大伴卿」と記されていますので、「大宰帥大伴卿」の作と見るのが自然です。
そして、この時代に「大宰帥(太宰府の長官)」を務めた大伴氏の人物と言えばそれは「大伴旅人」しかいませんから、これは間違いなく旅人の作と考えられます。

大伴旅人(菊池容斎・画)

確かに、「序」に当たる「書簡文」を読んでみると、そこには豊富な「漢籍」の教養が散りばめられていてさすがは旅人だと思わせる文章になっているのですが、その内容をじっくりと検証してみると、それは女性が書いた文章のように思われるのです。
と言うことで、まず手始めにこの「書簡文」をじっくりと読んでいきたいと思います。

率直にいって、この「書簡文」の内容を正確に理解するのは現代人にとっては非常に困難です。
何故ならば、この書簡文は奈良時代の高級官僚ならば当然知っているはずの「文選」などの漢籍に対する知識を前提として書かれているからです。
ですから、そう言う「知識」が前提として持ち得ていない現代人にとっては何を言っているのか分からないという部分がたくさんあるのです。

まず「伏して来書を辱(かたじけな)くし、具(つぶさ)に芳旨を承りぬ」ですが、これは問題はありません。現在でも、これをそのまま返信に使っても意味は通じますし、使えばかなり格好いいです。
「お手紙ありがとうございました。あなたのお気持ちはよく分かりました。」としたためるよりは「伏して来書をかたじけなくし、つぶさに芳旨を承りぬ」とした方が絶対に格好いいはずです。

ただし、不思議なことにこの手紙がどういう便りに対する返書なのかが何も記されていません。いきなり「伏して来書を辱くし」と書かれているだけなので、その事がこの書簡文の立ち位置を分かりにくくしています。
そして、これに続く文が分かりにくいのです。

忽ちに漢(あまのかは)の隔(へだ)つる恋を成し、復(また)、梁(はし)を抱く意(こころ)を傷ましむ。

全く分かりません。
とりわけ、「梁(はし)を抱く意(こころ)」が分かりません。

とは言え、それはひとまず脇に置いておいて、「忽ちに漢(あまのかは)の隔(へだ)つる恋を成し」から検証していきます。

「漢」はこれ一文字で「あまのかわ」と読むそうです。
「あまのかわ」は言うまでもなく「天の川」のことですから、「漢(あまのかは)の隔(へだ)つる恋」とは織女星と彦星のことを意味しています。
しかし、「隔漢之戀(漢の隔つる恋)」と言えば一般的には「天の川を隔てた織女星の恋」の事を意味するらしいのです。ですから、これは「たちまちにして天の川を隔てる織女星のようのようにお慕いする気持ちがわきがってきました」みたいな意味になるのです。

これが、この書簡文が女性の立場で書かれているのではないかと言われる要因の一つです。
そして、これを織女星と解してしまうと、この書簡文が旅人が書いたと見るには無理が出てくるのです。

織女星

ただし、「漢の隔つる恋」を織女星ではなくて彦星だと解することは不可能ではないので、それを織女星と見る一般的な解釈にこだわる必要はないという説もあるそうです。
確かに、これを彦星と解すれば旅人の手になる書簡と解しても無理は生じません。

しかしながら、それでもこの書簡文全体から漂ってくる雰囲気は「ひたすらあなたをお待ちしています」というニュアンスなのです。
特に、最後の部分は「待たまくのみ」と締めくくっているので、それは何処まで行っても待ち続ける姿勢と心情を吐露しているのです。

ここで問題になるのは、当時の男女の関係と、それに伴う婚姻形態です。
それは言うまでもなく、男が女のもとへ通っていくという「妻問婚」であり、そこでは「待つ」というのは女性の立場なのです。

そうなると、織女星か彦星かという解釈以前に、この書簡文は女性の手になるものとしか思えないのです。
しかし、それでありながら、この書簡文に続けて「歌詞両首 大宰帥大伴卿」と記されているので困ってしまうのです。

まずは、このあたりからして謎が多い作品と言われる所以なのです。(続く)