万葉集を読む(22)~大伴旅人「龍の馬も今も得てしか 巻五 806~809番歌」(2)

忽ちに漢(あまのかは)の隔(へだ)つる恋を成し、復(また)、梁(はし)を抱く意(こころ)を傷ましむ。

続けて、「梁(はし)を抱く意(こころ)」を検証していきます。

これは本当に、全く持って意味が取れません。
ところが、奈良時代の教養人であれば「抱梁之意(梁を抱く意)」と詠むだけでその意味は了解できたようなのです。

何故ならば、この「抱梁之意」を見れば、奈良時代の高級官僚にとっては必読の書であった「文選」に収められている「琴賦」の「尾生以之信(尾生の信)」を思い出さなければいけないからです。
そして、この「尾生の信」とは荘子の「盗跖」に収められている故事に由来することは「常識」であったからです。

このあたりが万葉集を読むときのハードルであって、それはこういう講座に通う利点であるとも言えます。
万葉集の中の一語一句を漢籍や仏典などに遡ってその意味するところを理解していくのは個人の力だけでは限界があるのです。

この「荘子」に収められている一篇は、孔子が盗賊の頭目である盗跖のもとをたずねて論争し、その盗賊に徹底的にやりこめられるという面白い話です。
その論争の中で、盗跖は孔子が説くところの儒教的価値観を頑なに守って命を無駄にした人のことを次々にあげていくのですが、その中に登場するのが「尾生」なのです。

尾生は女子と梁下に期す。女子来たらず、水至れども去らず。梁柱を抱きて死す

孔子

「尾生は娘と橋の下で逢い引きの約束をした。しかし、娘は来なかった。やがて水かさが増してきてもその場を去らず、ついには橋桁を抱いたまま溺れて死んでしまった。」というエピソードです。
普通なら「馬鹿」がつくほどの融通のきかなさであって、荘子はそう言う儒教的価値観にしがみつくことの愚を語っているのです。しかし、このエピソードは儒教的価値観の中においては「かたく約束を守ること」の素晴らしさを象徴するものへと変遷していくのです。

やがて、「文選」に収められている「琴賦」では「尾生これを持って信なり」と読まれるようになり、儒教における「信」という徳目の象徴となるのです。

そして、奈良時代の教養人であれば「抱梁之意」という4文字を見ただけでこれら一連の漢籍のことが思い浮かぶのであって、「復(また)、梁(はし)を抱く意(こころ)を傷ましむ。」というのは、「橋の柱を抱いて待ち続けて死んでいった尾生のように、あなたを待ち続ける哀しみが胸を傷めるのです」と言う意味が取れるのです。

そして、この「待ち続ける」哀しみと「漢の隔つる恋」が合わさると、天の川を隔てて思いを募らせているのはどう考えても彦星ではなくて織女星だとしか思えないのです。

唯だ羨(ねが)はくは、去留(きょりゅう)に恙(つつみ)無く、遂に雲を披(ひら)くを待たまくのみ。

姜太公(太公望)

この最後の一文もなかなかに意味をとるのが難しいです。
何故ならば、これもまた典拠となる「漢籍」があって、それへの理解がなければ正しく意味を解することが出来ないからです。

まず最初の「去留無恙」ですが、これは漢籍には至るところに出てくる表現らしくて、相手の生活や健康を気遣う定型的な表現だったようです。
「去留」とは日々の生活全般を指し示す言葉で、それが何の障りもなく恙なくすごせることを願う気持ちです。

しかし、これに続く「披雲(雲を披(ひら)く)」の意味は分かりにくいです。
これも中西進先生の解説によれば、「文王が姜太公(一般的には太公望として知られている)と遭うと、輝くこと雲を披いて(披雲)太陽を見るが如くだった」という故事に由来するそうです。

さらに井上先生は「世説新語」の中の「賞誉」から出典を示されていました。
この「賞誉」は、そのタイトル通りに様々な誉め言葉を収録してあるのですが、その中に今は廃れてしまったと思っていた哲学的な論議を今もかわしている楽広を誉めて次のように言ったというのです。

此の人は人の水鏡なり。之を見れば、雲霧を披き晴天を観るが若し

つまりは、「披雲」とは「その人と会うことによって、雲をはらって晴れ渡った青空を観るような思い」になることだということを、奈良時代の教養人ならば即座に理解できたのです。
ですから、「遂に雲を披(ひら)くを待たまくのみ。」というのは、「ついには、雲をはらって青空を仰ぎ見るような喜びを持ってあなたとお会いできることを待つばかりです」と言うくらいの踏み込んだ解釈が許されるのです。

そして、今さら繰り返すまでもないことですが、ここでも待ち続ける姿勢をしっかりと示して書簡文は閉じられるのです。
それが、最初に述べたように、此の書簡文全体を覆う雰囲気が「女性的」だという所以なのです。そして、それが此の書簡文とそれに賦された4首に謎が多いと言われる理由なのです。

そして、それ故に様々な解釈が成されてきたのですが、今の時代ならば、旅人はもしかしたらLGBTだったのかもしれないというような説も可能かもしれません。
と言うか、そう考えてしまえば一切の矛盾は解決してしまうのですが、それは万葉館の講座とは一切関係のない私の妄説でありますので誤解のないように。(続く)