万葉集を読む(37)~(大伴旅人)「梅花の宴 巻五 815~846番歌」4)

ここからが宴に招かれた招待客の第3グループになるようなのですが、官職などを見ると現場レベルの実務官僚のトップという雰囲気です。ですから、歌の方は全般的に「無難」というレベルをでるものではなくて、上級職が詠んだ歌の内容を取り込んで「大過」なく次へ回すという雰囲気を感じています。
今も昔も、お役人とって大切なことは「大過なく」だったようです。

春なれば宜(うべ)も咲きたる梅の花君を思ふと夜眠(よい)も寝(ね)なくに
壱岐守板氏安麿(いきのかみはんしやすまろ)

「壱岐守板氏安麿」ですから、おそらくは「壱岐」の国守だったのでしょう。官職として「従六位下」相当だそうです。これも、前のグループの流れから行くとかなり高い官位なのですが、おそらくは新しいグループのオープニングとしての意味合いがあったのかも知れません。
「板氏安麿」は「板持泰麿」だと考えられています。

「君を思ふと夜眠も寝なくに」と、あなたのことを思うと夜も寝られないと言っているのですが、必ずしも「恋歌」というわけではないようです。と言うか、ここでそんな「恋歌」を読んだならば場違いに過ぎます。
それは、その前段で「宜も咲きたる梅の花」と詠んでいますから、彼が思う相手は見事に咲いた梅の花であることは明らかなのです。宴が進んで、それぞれが梅の花に寄せる思いを歌い上げて雰囲気が盛り上がってきた中でのオープニングとしては実に相応しい一首と見えます。

梅の花折りてかざせる諸人(もろびと)は今日(けふ)の間(あひだ)は楽(たの)しくあるべし
神司荒氏稲布(かむづかさこうしのいなしき)

「神司荒氏稲布」の「神司」は字義の通り祭祀官で、官位は「正七位下」相当だったようです。僧職としては「笠沙弥」が主賓に名を連ねていますから、この時代は僧の方が神官よりも上位だったようです。さらに言えば、「笠沙弥」さんは官位は持っていなかったようなので、そう言う意味でも「僧」というのは特別なポジションを占める存在だったようです。

「梅の花折りてかざせる諸人は」と詠んでいますから、この頃になるとおじさんたちがみんな梅の花を頭にかざして、かなり盛り上がってきていたのかも知れません。
現在的な感覚からすれば、かなりシュールな光景ではあります。

毎年(としのは)に春の来(きた)らばかくしこそ梅を插頭(かざ)して楽しく飲まめ
大令史野氏宿奈麿(だいりやうしやしのすくなまろ)

「大令史野氏宿奈麿」の「大令史」は司法書記官のことで司法関係の実務官僚のトップだったようです。官位は「大初位上」相当と言うことになっていたようです。「大初位上」とは「従九位下」よりも下の位で、その下には「小初位」しかないというかなり下のレベルの官位です。このあたりの位置づけのされ方は現在の「キャリア官僚」と「ノンキャリア官僚」の違いを見るようです。
「野氏宿奈麿」はおそらくは「小野宿奈麿」ではないかと考えられています。

ここでも、「梅を插頭して楽しく飲まめ」と、頭に梅の花かをかざして騒いでいるお偉いさんたちの様子を盛りあげようとしてます。まさに可もなく不可もなく、実に無難な一首です。

梅の花今盛りなり百鳥(ももどり)の声の恋(こほ)しき春来たるらし
少令史田氏肥人(せうりやうしでんしのうまひと)

「少令史田氏肥人の「少令史」とはその字の通り「大令史」の部下で、官位は「大初位下」に相当します。「田氏肥人」は残念ながら「名未詳」のようです。
しかしながら、歌の方は「梅の花今盛りなり」と読み切って一呼吸置き、その次に何が来るのかと期待を持たせ「百鳥の声の恋しき春来たるらし」と続けたのはけっこう技巧的なような気がします。
無難な歌が続いた中ではキラリとと光る一首ではないでしょうか。

春さらば逢(あ)はむと思ひし梅の花今日(けふ)の遊びにあひ見つるかも
薬師高氏義通(かうしのぎつう)

「薬師高氏義通」の「薬師」は先にもでたように医師のことです。官位は「正八位上」相当ですから、実務官僚のトップよりは上位者です。しかし、おそらくは「役人」ではないと言うことで、それ以外の「専門職」は後回しになっている節があります。
それから「高氏義通」は「名未詳」となっているのですが、高麗系の渡来人ではないかという説もあります。

歌の方は「春さらば逢はむと思ひし梅の花」と、詠み手ではなくて梅の花に思わせるという「擬人化」を行っているのが目を引きます。この宴においては、今まで誰もやっていないようなやり方で詠んだと言うことで、参加者の間ではそれなりに受けたのではないかと想像されます。
なかなかに洒落たお医者さんです。

梅の花手折(たを)り插頭(かざ)して遊べども飽(あ)き足(た)らぬ日は今日にしありけり
陰陽師礒氏法麿(おんやうしぎしののりまろ)

「陰陽師礒氏法麿」の「陰陽師」に関しては今さら説明は不要でしょう。ただし、「陰陽師」といえば「安倍晴明」のような超人的な力を持った存在を想像してしまうのですが、実態は占いをなどを行う「専門職」「技術職」だったようです。官位は「正八位上」相当です。
ここでも、官位としては実務官僚よりも上位なのですが、専門職と言うことでこの順番になったのでしょう。

歌の方は、さらにしつこく梅の花を頭にかざした場面を読んで、「飽き足らぬ日は今日にしありけり」とさらに盛りあげようとしていますが、これだけ同じ話題が何度も出てくると「もうひとひねりしてよ!」と言う声が聞こえてきそうです。

春の野に鳴くや鶯懐(なつ)けむとわが家(へ)の園に梅が花咲く
算師志氏大道(さんしししのおほみち)

「算師志氏大道」の「算師」は「計数の官」と呼ばれる専門職です。いわゆる会計担当の専門職だったのではないかと考えられます。官位はこれもまた「正八位上」相当で実務官僚よりも上位です。
「志氏大道」は「志紀連大道」ではないかと考えられています。

「春の野に鳴くや鶯懐けむと」と歌うことで、頭に梅の花をかざして馬鹿騒ぎしている光景から転換を図ります。そして、「春を告げる鶯をなつけて我が家の庭に招こうとして梅の花が咲いている」という関連づけは実にほっこりとした風情で好ましく思えます。
計数の官と言うことでひたすらいつも計算をしていると思うのですが、なかなかに文学に造詣が深い人物と見ました。

梅の花散り乱(まが)ひたる岡傍(び)には鶯鳴くも春かた設(ま)けて
大隅目榎氏鉢麿(おほすみのさくわんかしのはちまろ)

「大隅目榎氏鉢麿」の「大隅目」とは大隅国に赴任した地方官で四等官です。おそらくは国守に次ぐ地位だと思われるのですが官位としては「大初位下」に相当します。
「榎氏鉢麿」は残念ながら「名未詳」です。

今までは各グループの締めはそれなりの上級職が行っていたのですが、ここではもっとも地位の低い人物が配されています。と言うことは、もしかしたら第三グループと第四グルー王の間には切れ目はなかったのではないかとも考えられます。
ただし、歌の方はかなり難しい言葉を使っていますから、今の感覚からするとかなり肩肘張って頑張ったという雰囲気がします。大隅の地方官が太宰府の偉いさんが招待される宴に賛歌したのですから、それなりの緊張と意気込みがあったのかも知れません。

「岡傍」の「傍」とは「辺」と同じ意味です。「梅の花散り乱ひたる岡傍には」とは「梅の花が散り乱れる岡のあたりでは」と言う意味になります。ただし、「乱う」には二者が紛れるという意味合いがありますから、「散り乱ひたる」というのはただ梅の花が散っているのではなくて、視界を遮るほどに舞い散っているというイメージになるようです。
それに続く「かた設けて」も難しい表現で、「設く」とは物事にそなえるという意味で、それに「片」がついて「片設く」となると半ば実現する状態を意味するようになります。
ですから、「春かた設けて」となると、「いよいよ春色が濃くなっていく」というイメージだととらえるべきもののようです。

つまりは視界が遮られるほどの梅の花が散る岡辺で鶯が鳴く情景を歌い上げ、そこに春色がいよいよ濃くなっていくという感慨を歌い上げたのです。
まさに、地方官「榎氏鉢麿」さんにしてみれば渾身の一首だったことでしょう。(続く)