万葉集を読む(46)~(大伴旅人)「松浦河に遊ぶの序と歌 巻5 853~863」(4)

ここからは歌のやり取りになりますから漢籍に対する知識がなければ理解が出来ないというような厄介さはありません。さらに言えば、この11首は主人公である男性と女性である仙女とのやり取りが8首、そしてその松浦川での出来事を聞いた人が後に読んだ歌3首に別れるのですが、前半の8首はまさに男女の恋の駆け引きと言ってもいいような「贈答歌」なので、実に楽しいやり取りになっています。

まず、前半の8首なのですが、まずは男性から1首、それに応えて女性から1首、そしてさらに男性から3首、最後に女性から3首という構成になっています。基本的なスタイルは男性が女性に対して積極的にアプローチをして、最終的に女性が軽く受け流せば恋は不成立、逆にそのアプローチを受けレいれば恋が成立と言うことになります。

まずは男性である主人公から仙女に対して歌が贈られます。

漁(あさり)する海人(あま)の児(こ)どもと人はいへど見るに知らえぬ良人(うまひと)の子と (巻5:853)

「あなたは漁をする海人の子だと言いますが、どこからどう見たって賤しからぬ家の女性ですよ」、と言う感じで、いわば軽いジャブと言えます。
それに対して、女性の方も軽いジャブで応酬します。

答へたる詩(うた)に曰はく
玉島のこの川上(かはかみ)に家はあれど君を恥(やさ)しみ顕(あらは)さずありき (巻5:854)

「玉島川の上流に住まいする家はあるのですが、あなたに知られるのは恥ずかしいような家なのではっきりとは申し上げなかったのです」と言って、あくまでも身分賤しき漁師の子だと言い張るのです。

川を泳ぐ鮎

蓬客(ほうかく)らの更(また)贈れる歌三首
松浦川(まつらがは)川の瀬光り鮎(あゆ)釣ると立たせる妹(いも)が裳(も)の裾濡(すそぬ)れぬ (巻5:855)
松浦なる玉島川に鮎釣ると立たせる子らが家路(いへぢ)知らずも (巻5:856)
遠(とほ)つ人松浦の川に若鮎(わかゆ)釣る妹(いも)が手本(たもと)をわれこそ巻かめ (巻5:857)

この「蓬客(ほうかく)」の「蓬」は「よもぎ」のことです。この「蓬」は「文選」の中では「転蓬本根を離れ(根を離れて転がっていく蓬」)とか、「蓬のごとく転ずるを陋(いやし)む」」という表現で使われていて、あてもなく転がっていくものというイメージを持っています。ですから、それに「客」をつけて「蓬客」とすることで「あてもなくさすらっている賤しき我が身」のようなイメージとなって、主人公が自分のことをどのように思っているかがうかがわれる表現です。

さて、ここからいよいよ本格的に女性を口説きにかかります。
まず最初の「松浦川(まつらがは)川の瀬光り鮎(あゆ)釣ると立たせる妹(いも)が裳(も)の裾濡(すそぬ)れぬ」なのですが、ポイントは最後の「裳(も)の裾濡(すそぬ)れぬ」にあります。
単純に意味だけを辿れば「松浦川の川瀬は輝き、鮎を釣ろうとそこで立っているあなたの裳の裾は濡れてしまっています」と言うことになります。もちろん、それだけでも美しい情景なのですが、この「裳(も)の裾濡(すそぬ)れぬ」には女性の美しさ、それもどちらかと言えばエロティックな美しさを言いたいときに使う表現なのです。
つまりは、ここからして、早くも女性に対する性的な視線を投げかけているのです。

そして、それに続けて「松浦なる玉島川に鮎釣ると立たせる子らが家路(いへぢ)知らずも」というのは、「あなたのアドレスを教えてよ」と言うことになるのです。この時代は男性が女性の家を訪ねていくのが基本ですから、「家路(いへぢ)知らずも(あなたの家への道を私は知らないのです)」と言うのは、当然の事ながら「あなたのアドレスを教えてよ」と言うことを婉曲に要求しているのです。

そして、最後の3週目でど真ん中に直球を投げ込みます。
「遠(とほ)つ人松浦の川に若鮎(わかゆ)釣る妹(いも)が手本(たもと)をわれこそ巻かめ」のポイントは言うまでもなく「妹(いも)が手本(たもと)をわれこそ巻かめ」です。
「恋しいあなたの腕を枕にしたい」というのですから、それは「共寝」したい、つまりは「一夜をともにしたい」という事になるのです。

娘子らの更報(またこた)へたる歌三首
若鮎(わかゆ)釣る松浦の川の川波の並(なみ)にし思(も)はばわれ恋ひめやも (巻5:858)
春されば吾家(わぎへ)の里の川門(かはと)には鮎子(あゆこ)さ走(ばし)る君待ちがてに (巻5:859)
松浦川七瀬(ななせ)の淀はよどむともわれはよどまず君をし待たむ (巻5:860)

跳び跳ねる鮎

さて、問題はその様な男性側からの口説きに対して女性がどう答えるかです。「ごめんなさい」ならば適当にあしらって終わるのですが、そうでなければそれなりの歌を返すことになります。

「若鮎(わかゆ)釣る松浦の川の川波の並(なみ)にし思(も)はばわれ恋ひめやも」は「松浦河の波」の「波」と「並(なみ)にし思(も)はば」の「並」が係っているのですが、ポイントは言うまでもなく「並(なみ)にし思(も)はばわれ恋ひめやも」です。
「並一通りの思いならばどうしてこんなにも恋いこがれるでしょうか」と返しているのですから、男性からすれば大いに「脈」ありなのです。

続けて「春されば吾家(わぎへ)の里の川門(かはと)には鮎子(あゆこ)さ走(ばし)る君待ちがてに」とくればさらに期待は高まります。特に、男性からすれば「鮎子(あゆこ)さ走(ばし)る君待ちがてに」などと言われれば可愛くて仕方なかったことでっしょう。
「鮎が川を走り回るように、私もあなたが来るのを今か今かと待ちわびることでしょう」というのですから。

そして、「松浦川七瀬(ななせ)の淀はよどむともわれはよどまず君をし待たむ」と言う歌で、さらに深い思いを男性に返します。
「序」との関係で言えば、「松浦川の淀がよどむことはあっても、私は何のよどむこともなくあなたを待ち続けます」と「仙女」が応えることで、彼らは別れていくのです。

ただし、女性の方がこれほど積極的で、さらにその女性が「仙女」であるならば、普通はそれで「さようなら」はないだろうと思うのですが、まあ、「松浦河に遊ぶの序と歌」ではそう言うことになっているのです。(続く)