万葉集というものは古代人の大らかな心情を率直に歌い上げた歌集だと言われますが、実物に接してみると「ぎょっ!」とさせられます。
新元号の発案者と言われる中西進先生の「万葉集 全訳注原文付」全4巻等は注文が相次いで品切れとなり重版が決まったとのことですが、おそらくは実物が手もとに届いて中味を見れば少なくない人が「ぎょっ!」としたはずです。
率直に言って、やはり難しいのです。
もちろん、日本語で書いてあるのですから分からないはずはないとは思うのですが、それでも巻一の冒頭からして「籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串持ち この丘に 菜摘(なつ)ます子 家告(の)らせ 名告らさね・・・」と始まるのですから、どうしても訳注と首っ引きでないと、その意味すら理解できません。
しかしながら、「歌」を「訳注」と照らし合わせながら読み進めるというのはどう考えても楽しい作業ではありません。
ですから、最近は、万葉集に使われる言葉は「外国語」のようなものだと割り切って、特徴的な言葉や言い回しをコツコツと自分の中に蓄積していく必要があると考えるようになってきました。
そして、その蓄積が増えていくにつれて、少しずつ一読するだけでその歌のおおよその意味が感じ取れるようになってきます。そして、そうなることで、漸くにしてどこか取っつきにくかった万葉集が急に近しいものに感じられるようになってきました。
もちろん異論はあると思いますが、万葉集というのは結構難しいものだと腹をくくって向き合った方がいいように思うのです。
しかし、そんな小難しいことを抜きにしてスッと心の中に染み込んでくる「歌」もあります。
それは、奈良の貴族や職業歌人たちが詠んだ歌ではなくて、東歌などと呼ばれる作者不詳の歌の中に多いように思われます。
信濃なる筑摩の川の細石(さざれし)も君し踏みてば玉と拾はむ 〔巻14:3400〕 作者不詳
この「歌」などはそう言う「スッと入ってくる歌」の典型で、何の説明も必要としません。
難しい言葉も、難しい言い回しもなく、実にシンプルな言葉だけで切ないまでの乙女の恋心が歌い上げられています。
この歌から私が感じとるのは切ないまでの初恋の一途さです。
しかし、落ちついて考えてみれば、この歌は作者不詳の「誰か」が呼んで歌ではなくて、おそらくは男女の出会いの場である「歌垣」などで歌われた「伝承歌」だと思われます。
万葉の時代と言えば、男女が大らかに愛をかわしあっていたように思われるのですが、実態はそれほど牧歌的ではなかったようです。
とりわけ、母は娘の日常を厳しく監視して、下らぬ男がつきまとわないように厳しく監視していました。
そんな男女が、特定の日時と場所に集まって、ともに飲み食いをしながら恋の歌を掛け合う場が「歌垣」でした。
現在風に言えば「合コン」と言うことになるのでしょうが、そこでの掛け合いを通して特定の男女が恋愛関係となって、二人きりでその場から離れることは許されていたようです。
ですから、この歌も、いつかどこかで誰かが歌ったものを、多くの人が「定番」のように歌い継ぐ中でその表現が洗練されて言ったのかもしれません。
それにしても、「愛しい君」を媒介としてただの「川の小石(細石)」が魔法のように「宝石(たま)」へと変化し、それをこの上もなき愛おしさで拾い上げる乙女の姿の何といじらしいことでしょう。