AIはこんな事も出来るのか…確かに手間は省けるね。

ハイドンの弦楽四重奏曲を紹介するときに、「弦楽四重奏曲への道」という一文を書いたことがあります。
今回はその文章をAIに読み込ませて要約させ、それへのインフォメーショングラフィックを作成させました。

要約はともかく、インフォメーショングラフィックに関しては、とてつもなく手間が省けることは間違いないようです。

AIが要約した内容は以下の通りです。

クラシック音楽を聴くとき、私たちはつい有名な「名曲」ばかりを選んでしまいがちです。ベートーヴェンの『運命』、モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』。それらは確かに素晴らしい作品ですが、もしこの「グレイテスト・ヒッツ」的な聴き方が、作曲家の真の天才性を見えなくしてしまっているとしたら、どうでしょうか?
クラシック音楽、とりわけフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの作品の真価は、個々の傑作の中だけにあるのではありません。それらの作品を繋ぐ壮大な「道のり」そのものにこそ、物語は隠されているのです。

この記事では、クラシック音楽の起源に関する3つの意外な事実を解き明かし、その偉大な開拓者であるハイドンを真に味わうための方法をご案内します。

1. 驚きの事実:かつて音楽は「部屋の装飾」だった

かつて貴族の館において、音楽は「部屋の装飾」のような役割を担っていました。
賓客を招く際、殺風景な部屋がふさわしくないのと同じように、音楽もまたその場に必要不可欠な要素だったのです。

しかし、装飾はあくまで装飾です。あまり自己主張をして表にしゃしゃり出てこられては困ります。音楽は、会話や社交の邪魔にならない、心地よい背景であることが求められました。
このような音楽のスタイルを「ディヴェルティメント(気晴らしの音楽)」と呼びます。
これは、静まり返ったホールで息を殺し、一音たりとも聴き逃すまいとステージに全神経を集中させる現代の私たちにとって、ほとんど異世界の話のように聞こえるかもしれません。おしゃべりや食事の背景として消費される音楽。
それが、交響曲が生まれる以前の、音楽の本来の姿だったのです。

2. 驚きの事実:「室内楽」は経済的な事情から生まれた

現代において「室内楽」、特に「弦楽四重奏曲」と聞くと、どのようなイメージが浮かぶでしょうか。
多くの場合、それは専門家が眉間にしわを寄せて聴くような、いささか取っつきにくい小難しい芸術音楽の世界かもしれません。しかし、その起源は驚くほど実用的なものでした。

貴族社会では、音楽もまた見栄えの良い方が好まれました。つまり、大規模なオーケストラを抱えていることが一種のステータスだったのです。
しかし、自前の管弦楽団を常に維持できるのは、ハイドンの雇い主であったエステルハージ侯のような、ほんの一握りの大貴族だけでした。
そこで、経済的にそこまで豊かではない中小の貴族たちの需要に応える形で生まれたのが「室内楽」です。

それは芸術的な探求心からではなく、少ない人数と予算で「シンプルであっても上品な部屋の装飾」としての役割を果たせる、きわめて経済的な発明でした。
高尚な芸術と思われている室内楽が、実はコストパフォーマンスを重視した背景音楽として始まったというのは、なんとも痛快な事実ではないでしょうか。

3. 驚きの事実:ハイドンの真価は「道」の総体にあり

ハイドンが「交響曲の父」と呼ばれ、また「弦楽四重奏曲」というジャンルにも多大な貢献をしたことは、広く知られています。
彼の残した個々の作品は、単独で聴いても素晴らしいものばかりです。しかし、ハイドンの真の価値は、それらの名曲を点として評価することにあるのではありません。

彼が交響曲と弦楽四重奏曲という二つのジャンルを無から切り拓いた、その長い「道」の総体を見渡すことにあるのです。

もちろん、ハイドンの初期や中期の作品を順番に聴いていくのは、骨の折れる作業かもしれません。うんざりする人もいるでしょう。
しかし、この旅を経験した者には、ある深遠な気づきが訪れます。それは、プレイリストで名曲をつまみ聴きするのではなく、全集ボックスセットなどで作曲家の軌跡を辿るような、献身的な聴き方によってもたらされる体験です。

その道のりを根気強くたどることで初めて、彼の成し遂げた仕事の本当のスケールが理解できるのです。

つまりは、ハイドンの交響曲というのは個々の作品への評価も重要なのですが、真に評価すべきはその総体としての「交響曲の道」なのです。
ハイライトだけを追いかけるのではなく、ある様式に挑み続けた芸術家の軌跡の「総体」として作品を捉えるとき、私たちは初めてその本当の姿を理解できるのではないでしょうか。

Conclusion: 音楽を「点」でなく「線」で聴くということ

かつて音楽は、社交の場を彩る装飾的な「点」でした。しかしハイドンのような作曲家たちの挑戦によって、それは一つの連続した物語、つまり「線」へと進化していきました。
個々の名曲を味わう喜びはもちろん素晴らしいものですが、ときには作曲家が歩んだ道のりを、最初から最後まで旅するように聴いてみてはいかがでしょうか。

そこには、ヒットチャートを駆け巡るのとは全く異なる、一人の天才が生涯をかけて築き上げた壮大な音楽の聖堂が、あなたを待っているのです。

8 comments for “AIはこんな事も出来るのか…確かに手間は省けるね。

  1. yseki118
    2026年1月8日 at 9:22 PM

    インフォメーショングラフィックをよく見ると、所々変な漢字で表記されているのが分かります。この辺がAIの怖いところですね。

    • yung
      2026年1月9日 at 9:45 AM

      そうですね。その辺がまだまだのところでしょうか。
      別の内容ですが、動画を作らせた時にも「愛でる」を「あいでる」と読み上げていました。愛嬌ですですね。

  2. 弦楽四重奏曲の父 ハイドン
    2026年1月9日 at 9:20 PM

    素人には室内楽というとどの範囲の規模をさすのかわかりにくいですね。ピアノとかも室内楽になるし、オーケストラなんかも室内楽って言えないのか?

    • yung
      2026年1月10日 at 10:12 AM

      どうなんでしょうね。「器楽曲」とか「管弦楽曲」というくくりで曖昧に区別しているんでしょうかね。

  3. たつほこ
    2026年1月11日 at 5:44 PM

    本年もよろしくお願いします。AIの進歩は速いですね。うまく使う方法を知りたいです。そのうち、私たちが追いつけなくなるかもしれないと思うこともあります。2026年のバイロイト音楽祭では、新制作の指環に演出家の名前はなく、AIが演出?するそうです。どんなんでしょうね。

    • yung
      2026年1月12日 at 8:06 PM

      こちらこそ今年もよろしくです。
      AIは確かに便利ですが、逆に使われないようにすることも大事かもしれませんね。

  4. yk
    2026年1月20日 at 6:02 PM

    今年の大学共通テストで、ChatAIは9科目で満点を取った・・・と言うニュースが有りました。生成AIが”進歩”している事は事実ですが、人間の”思考”が今後向かうべき方向性をより明確に示唆する(歓迎すべき!)結果と言うべきでしょう。
    yungさんの”試み”の結果も、人間の(為すべき)領域を侵食するものとするより、極めて出来の良い(愛想のよい?)”要約”の上手い評論家が一人・・・一匹?・・・いや、一台?・・・現れたということに過ぎない・・・と言うべきでしょう。内容を読むと、確かに良くできた要約で如何にも試験では満点を取りそうですが、ソレが”ユニーク”であるとか”目から鱗”とか評価できるかどうかは可成り疑問だとも言えます(”役に立たない”・・・と言う意味ではありません・・・”役に立つか否か”はソレを利用する人間の能力に依存することです)。

    上述の共通テストの結果の例で言うと、数学、化学などでは満点だった一方、国語では満点ではなかった・・・と言うことで、ある評論家はこの結果を、今後さらにAIが精度を高めるべき目標・・・と評価している様ですが、こう言った評価こそ人間がAIに従属・隷属する考え方に直結する可能性があって注意すべきことでしょう。人間の可能性は寧ろ、試験問題の出題者の想定内の”正解”を出す”出来の良い”思考から外れて、従来の規格化された(凡庸な?)思考では”不正解”とされる解答を出す所にあって、その中にこそ”ブレーク・スルー”が潜んでいる可能性があるのであって、少なくとも”現”AIにはソウ言った”規格外”を発想・評価する能力は無いと言ってよいでしょう。
    無暗にAIの”正しさ”に躊躇し評価してしまうのは、過去の音楽界の例で言えば、ピリオドは作曲家の時代の楽器・奏法であるが故に”正しい”・・・と、盲目的に評価・隷従する思考法・感性に似ている・・・とも言える・・・?

    • yung
      2026年1月21日 at 7:56 PM

      そうですね、このあたりのことについては以前に少しばかり考えたことがあって、それをAIに読み込ませると面白い文章を吐き出しました。
      様子を見て、その辺のことをまたこちらで紹介したいと思います。

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