、世の人々はどのように思うか~やはり泰盛は無罪 既に詳しくふれてきたように、安達泰盛こそはこの町石プロジェクトの立役者とも言うべき人物です。 幕府の有力御家人や朝廷の有力貴族、さらにはその様な有力者につながる富貴の人々に
続きを読む »カテゴリー: 高野山町石道
町石道について~抜き取られた町石事件?(2)
抜き取ったのではなくて、作成時の事務的ミス 前回紹介した以外にも背面に銘文が刻まれている町石はあるのですが、煩雑になるので詳細にはふれずに町数だけ列挙しておきます。 奥の院側20町石→慈尊院側166町石 奥の院側21町石
続きを読む »町石道について~抜き取られた町石事件?(1)
町石道に建てられた町石は参詣者から目につく正面に施主や町数が刻まれていて、背面には何も刻まれていないのが一般的です。左右には建立時期や供養する人の名前が刻まれているものはありますが、背面は誰の目にも触れないわけですから当
続きを読む »町石道について~十方施主と十方檀那
一切衆生之助成と言う願い ここまで、町石道の施主となった幕府や朝廷などの有力者についてみてきました。そして、町石プロジェクトはそのような有力者の支援によって完成したことは間違いありません。 しかし、このプロジェクトの発案
続きを読む »町石道について~誰が数億を円負担したのか(5)
松下禅尼~倹約の教え 次ぎに松下禅尼です。 町石には「菩薩戒尼真行」と刻まれていて3基建立しています。 松下禅尼は安達景盛の娘で3代執権北条泰時の長男である北条時氏のもとに嫁いだ女性です。 北条泰時と言えば、承久の乱では
続きを読む »町石道について~誰が数億円を負担したのか(4)
女性といえどもかなりの財力があった 町石プロジェクトは高野山の僧「覚きょう」が発願し、安達泰盛を中心とした有力者の支援によって、20年という年月をかけて完成しました。そして、落慶法要の中で「覚きょう」はお世話になった人た
続きを読む »町石道について~誰が数億円を負担したのか(3)
町石プロジェクト最大の立役者~安達泰盛 町石の施主となった人たちは、自らの「極楽往生」や亡き人への「供養」、さらには「蒙古襲来」という国難に対する「国家鎮護」の祈りをこめて資金を提供したことがわかりました。 しかし、こう
続きを読む »町石道について~誰が数億円を負担したのか(2)
自らの「極楽往生」や、父母や親しい人への「供養」ために町石の施主となった理由はわかりました。 しかし、それだけが町石をたたて目的ではありません。 昔から町石の下には金銀財宝が埋められているという話が実しやかに伝わっていた
続きを読む »町石道について~誰が数億円を負担したのか(1)
町石を一基たてるだけでとんでもないお金が必要だったことはお分かりいただけたと思います。 そうなると、次の疑問は、誰がそのお金を負担したのかと言うことです。言葉をかえれば、「高野山の参詣道に道しるべを兼ねた町石をたてるので
続きを読む »町石道について~1基あたり数億円!(2)
3.町石の材質と加工 さて、このように巨大な構築物だった町石なのですが、その材料として使われたのはどのような石材だったのでしょうか。 高野山の古い時代の石塔は二上山などで産出する「凝灰岩」が使われていたようです。また、江
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