高野山町石道(5) 二つ鳥居(121町石)~矢立(60町石)

二つ鳥居を過ぎると道はやや下りになり、やがてほぼ平坦な道が矢立まで続く。

本来ならば町石道の核心部とも言うべき部分なのだが、何故か右側に延々とゴルフ場が続くようになりいささか興醒めである。

町石道の横にゴルフ場があらわれる

とりわけ、ティーグラウンドが町石道と被さっているところが2カ所ほどある。
しかし、最初は右手にゴルフ場があらわれていささか驚かされるが、大部分は木立に遮られている。

全体の行程から眺めてみれば、慈尊院から二つ鳥居までで3分の1、二つ鳥居から矢立までで3分の1、折立から大門までで3分の1である。
こういう中間部というのは中だるみしがちである。しかし、そう言う部分は出来る限り平坦にして歩みが遅くならないようにしてあるのは先人の知恵であろう。
森は深く展望も殆どないので、その平坦な道を淡々と進むのみである。

やが「116町石」を過ぎると右手に小さな鳥居が見えてくる。
「白蛇の岩と鳥居」である。

「白蛇岩」と鳥居

説明の看板によると、「この岩の隙間に入り込もうとしていた蛇を杖でつついて驚かせたた僧が、丹生都比売神社からの帰途、この岩の前を通ると白い大蛇が岩の上の木に巻き付いて待ち構えていた」というのである。
確かにそれは怖い。
そこで、僧は自分の非を悟り、再度丹生都比売神社でご祈祷をして戻って見ると、大蛇はすでに消えていた。

この「白蛇の岩」は「垂迹岩」ともういうらしい。
「垂迹(すいじゃく)」とは神や仏が姿を現すことなので、白蛇は神の化身とされたのであろう。高野山への参詣道にこういう伝説が残っているところに、外来の思想である仏教が日本古来の神と融合することで根付いていった姿が垣間見られる。

この「白蛇岩」を過ぎると突然景色が開けて小さな集落があらわれる。

神田地蔵堂を振り返る

「神田の里」である。ここに伝わる「横笛の悲恋物語」は既にふれたので、繰り返さない。

ただ、この地蔵堂を少し下ったところにきれいなトイレが整備されている。ここを過ぎると次は折立までトイレはないので、ここで一度用をたしておいたほうがいいだろ。

「神田地蔵堂」を過ぎると、単調な道が延々と続く。基本的には平坦なのだが緩やかなアップダウンが延々と続く。
そして、このあたりから少しずつ足にきはじめた。上りが少しきついところに来ると左足ふくらはぎが痙攣しそうな感覚が襲ってきた。

全体の行程から見ればまだ半分を少し超えたばかりである。これはどう考えてもまずい。
そこで少し立ち止まってストレッチをすると元に戻る。元に戻ればまた普通に歩けるのだが、上りが少しでもきつくなると再び左足の太腿がぴくぴくしてくる。
そこでまた立ち止まってストレッチをする。

これを3回ほど繰り返したところでようやく元に戻ってくれた。
明らかに、デスクワーク中心だった5年間のツケが回ってきた感じである。

それにしても、こういう道を実際に歩いてみると昔の人は強かったと感心させられる。
漂泊の歌人といわれた西行は、その人生の大部分を高野山で過ごしている。
しかし、彼は一つ所に住み続けるのができなかった人なので、近くは天野の里から始まって、吉野や京をひっきりなしに往復している。その時にはこの町石道を通ったと思われる。

待賢門院の中納言の局の墓と伝えられる(天野の里)

天野の里には待賢門院に仕えた「中納言の局」が移り住んでいて、そこにかつて待賢門院に仕えていた女房たちが訪ねたことがある。
そのときに、お呼びがかかった西行はいそいそと出かけていき、そのあとは粉河寺や紀伊の吹上浜などを見たいという彼女たちに同行している。
そして、彼女たちを吹上浜から送り出した後に、何事もなかったように高野山に帰っているのである。

とてもではないが、まねのできない強健さである。

そんな西行のことを思いながら、へたれた己の体を叱咤しながら歩を進める。

慈尊院をスタートしたときに、「これは無理」と思った時には潔くエスケープすることにはしていた。
最初のエスケープポイントは古峠から上古沢駅へのルート、もう一つは矢立から紀伊細川駅へのルートである。特に、矢立の通過が2時を超えるときは体力的に大丈夫でも、時間的な問題があるので潔くエスケープすることに決めていた。
聞くところによると、この先の笠立峠から上古沢に下山することも可能なようだが、道はそれほど良くはないようなので、やはり決断ポイントは折立ということになる。

ただ、こうなってくると「町石」というのはありがたい存在である。
「100町石」を確認したときはうれしかった。
次に「99町石」と二けたになった時も新しいステージに入ったような気持ちにさせてくれる。
そして「90町石」を見たときはいよいよ後半戦という気持ちにさせてくれる。

ところが、この「90町石」を少し超えたあたりから足の調子が悪くなってきたのである。必死にストレッチをしながら「笠立峠」を超えたので、このあたりの町石は殆どカメラに収めることができていない。
しかし、この「町石」の数字のおかげで、今置かれている状況が正確に把握することができる。
ストレッチを繰り返しているうちに足の痙攣は収まってきて町石を確認すると、矢立まで20町石程度というめどが立つのである。

この辺りは、左手のほうから時々高野線の電車の音が時々聞こえてくる。そして、峠を越えると下のほうから高野山道路を行く車の音もはっきりと聞こえてくる。

そして、64町石のところに「みまもり地蔵」があるらしいのだが見逃してしまったようでカメラには収まっていなかった。

やがて、町石道に手すりがつくようになるとすぐ下に車道が見えてくる。この区間はあまり足元がよくないので注意しながら歩を進めると、九度山からくる車道とかつらぎからくる車道が交差する矢立に出る。

時計を見ると、13時10分。
足の調子も何とかもとに戻ったので残しておいたお弁当も食べて、ペットボトル2本買い込んで13時30分に大門に向けて出発する。

[table id=2 /]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です