町石道について~1基あたり数億円!(1)

1.町石の形状

高野山の町石は「五輪卒塔婆」という形状をしています。

「五輪卒塔婆」とは、長い方柱状の柱の上に、方形の「地輪」、球形の「水輪」、三角の「火輪」、半球形の「風輪」、団形の「空輪」という五輪塔を頂いた形状です。
ただし、こういうことは言葉で説明されてもピンとこないので、かつらぎ町のサイトにわかりやすい図があったので拝借しました。

これが五輪塔の基本形です。

五輪塔の形状

それぞれのパーツにはわけのわからない模様みたいなものが刻み込まれているのですが、「梵字」とよばれるもので、上から順に「ア」「バ」「ラ」「カ」「キャ」と書かれているそうです。
実物で分かりやすいものを示しておきます。

46町石

数えると、長方形の柱の上に4つしか乗っていないように見えますが、それは方形の「地輪」と柱が一体化しているだけで、よく見れば柱の上に「地輪」を表す梵字「キャ」が刻まれている部分があります。
町石によってはこの柱と地輪の間にラインを入れてわかりやすくしたものもあるようですが、それは少数派のようです。そこまで親切にしなくても、当時の人はそれくらいの区別はついたのでしょう。

ちなみに、私はこの区別がつかず、どれもこれも柱の上に4つしかパーツが乗っていないのにどうして五輪塔なのだろうと訝しく思っていました。

2.町石の大きさ

さて、このような形状を持った町石なのですが、その大きさはどれくらいあるのでしょうか?
写真だけでは実感がわかないのですが、慈尊院で最初の180町石をみたときの率直な感想は「でかい!!」の一言でした。

スタート地点を示す「180町石」

まず、町石の幅と奥行きですが、ほぼ30センチメートル程度です。
次ぎに、五輪塔の部分の高さが全てを合計すると約80センチメートルになります。
さらに、それを支える長方形の柱の部分は150センチメートル程度です。

「179町石」 一つの石材から掘り出した「一石彫成」の作り

つまりは、地上に出ている部分は幅と奥行きが30センチメートルで高さが230センチメートルという大きさです。全体の体積はざっくり直方体とみなせば、30センチメートル×30センチメートル×(80+150)センチメートル=207,000立方センチメートルということになります。
かなり巨大な構造物なのです。

しかし、これを地上にたてるためには地面に埋め込む必要があります。この埋め込んでいる部分が概ね100センチメートルと言われていますので、全体の大きさは「30センチメートル×30センチメートル×330センチメートル」になります。

そして、これが重要なことなのですが、町石は五輪塔をパーツ化して後から組み合わせたのではなくて、一つの石材を掘り出して作り上げる「一石彫成(いっせきちょうせい)」の石塔だったと言うことです。
ですから、切り出してきた石材の表面を削ったり、彫ったりし町石に仕上げるのですから、もとの石材はこれよりも一回り大きなものが用意されたはずです。・・・(2)に続く

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