AIについてAIに考えさせました。~完璧なAI時代に、なぜ「不完全な人間」の音楽が輝くのか?

私は将棋が打大好きでした。
ですから、AIに名人が敗れたときはいささかショックでした。しかし、AIはあっという間にそんなレベルを超えて、「将棋のような結果の白黒がはっきりしているゲーム」ではいとも容易く人智を越えていきました。
そして、それからのAIの進歩の度合いは多くの人の想像を超えていきました。

そんな時に、自分なりに考えた文章があって、今回それをAIに読み込ませて、吐き出した内容とあれこれ相談しながら以下のような文章を得ました。
AIについてAIに考えさせたのですが、あちこちで私が納得がいくように相談を重ねたものです。

バカボンのパパのように「それでいいのだ!!」といえるところが最後の牙城でしょうかね。

AIもここまで進化するとホントに怖かったりして


今はこんな感じかな。まだまだ大丈夫!!

完璧なAI時代に、なぜ「不完全な人間」の音楽が輝くのか?

私たちの周りは、今やAIの話題であふれています。AIはすでにチェスや将棋で人間を凌駕し、生成AIはまるで人間が作ったかのような文章や画像を生み出します。そう遠くない未来、人間が演奏したかのような音楽さえも作り出すでしょう。

この技術の急速な進歩は、「人間の創造性は、いずれAIに取って代わられてしまうのではないか?」という漠然とした不安を私たちに抱かせます。しかし、その不安は根源的なアイロニーを見落としているのかもしれません。
音楽という世界、そして一人の類稀な指揮者の遺産を紐解くことで、私たちは逆説的な真実にたどり着きます。
すなわち、完璧さを目指す時代にあって、私たちの「欠点」こそが最大の資産になり得る、という真実です。

AIが最強でも、人間同士の戦いが面白いという逆説

AIが人間をはるかに超える能力を持つ将棋の世界を考えてみましょう。
AIはあらゆる局面で「最善手」を示すことができますが、それでも人間同士の対局がその価値を失うことはありませんでした。
私たちは、AIが示す完璧な一手だけではない、間違いや迷いを含む人間同士の対局にこそ、予測不可能なドラマと面白さが詰まっていることに気づかされたのです。

完璧な機械を前にしながら、不完全な人間同士の戦いを尊ぶこの姿勢は、私たちが何を価値あるものと見なすかについての、ある本質的な真実を明らかにします。
おそらく、そう言う人間が持つ不完全性というものが、人間の存在意義を支えてくれるという、おかしなパラドックスが生じるのかもしれません。

音楽の「完璧な演奏」は存在しない?楽譜の曖昧さと人間の揺らぎ

音楽の世界にも、同様の構造が見られます。
作曲家の楽譜は絶対的な指示書に見えますが、その実は作曲家の意図を完璧には伝えきれない「極めて曖昧な存在」です。この「伝えきれない」部分を埋めるため、演奏家による「解釈」が必然的に介在します。

もちろん、「人間らしい解釈」さえも、いずれAIは学習していくかもしれません。
しかし、オーケストラ演奏に目を向けると、人間性の本質がより鮮明に浮かび上がります。
指揮者がどれほど確固たる解釈を抱いていようと、音楽を実際に作り上げるのは、個性も技術も異なる「不完全な人間」の集合体なのです。

将棋の面白さが理論上の「最善手」ではなく、エラーと洞察に満ちた人間の葛藤から生まれるように、オーケストラ演奏の美は、個々の不完全な人間が一体となって音を紡ぎ出そうとする、その集団的な格闘から生まれます。
どれだけリハーサルを重ねても決して消え去ることのないこの「揺らぎ」こそが、AIによる完璧な演奏には生み出せない、人間だけのドラマと魅力を担保しているのです。

「不完全さ」を受け入れることで生まれる喜び

私がこの考えに至ったのは、20世紀の指揮者ディミトリ・ミトロプロスが残した録音に触れたことがきっかけでした。彼の音楽の核心、それは「不完全性への寛容さ」にありました。
当時、トスカニーニに代表されるように、オーケストラに鬼のように完璧さを求める「強面」の指揮者が主流でした。その中でミトロプーロスは、個々の奏者が持つ不完全さに対して驚くほど寛容で、声を荒げるようなことは決してなかったと伝えられる、まさに異端の存在でした。

しかし、彼の真に驚くべき点は、その寛容さの中から、最終的に彼ならではの音楽を立ち昇らせてしまう、魔法のような統率力にあります。
彼は、奏者たちの不完全さを受け入れることで、かえって彼らから「音楽をすることの喜び」そのものを解放させたのです。

彼の録音は、完璧さを誇る「名盤」とは呼ばれないかもしれません。
しかしそこには、AIが生み出すであろう無菌室のような「完璧」さとは対極にある、人間的な熱量と喜びに満ちた、抗いがたい魅力が宿っているのです。

不完全さこそ、私たちの最後の砦かもしれない

AIが完璧さを追求し続ける時代において、将棋や音楽は、人間の「不完全性」こそが、私たちならではの魅力と存在意義を支えるという逆説的な真実を教えてくれます。
完璧さは、機械の目標です。
しかし、意味やドラマ、そしてカタルシスは、不完全さとの「格闘」から生まれます。
これこそが、AIが決して踏み込めない人間の領域なのです。

完璧ではないからこそ生まれる揺らぎ、予測不可能性、そして喜び。それこそが、AIには決して模倣できない、私たちの最後の砦なのかもしれません。
AIがさらに進化していく未来で、私たちが新たに価値を見出すことになる「人間の不完全さ」とは、他にどのようなものでしょうか?

14 comments for “AIについてAIに考えさせました。~完璧なAI時代に、なぜ「不完全な人間」の音楽が輝くのか?

  1. yk
    2026年2月2日 at 12:29 PM

    >不完全さこそ、私たちの最後の砦かもしれない・・・

    「不完全」と言うのは人間にとって”最後の砦”と言うより、(我々の住む)世界が持つ本質的な特性だと思います。論理的に言っても「完全」と言う概念は「不完全」を内包し得ない・・・と言う点で不完全である・・・と言うエピメニデス的な言語上の瑕疵があり(勿論、こう言った所謂”自己言及”を含む命題についての議論は、言葉の”解釈”によって如何様にも解釈できるが、安易に”完全”であることを主張する議論に対する本質的な疑義を常に提示する点で重要)、その意味で、芸術に限らず”完全”と言う概念には気を付ける必要があるということでしょう。
    同じ文脈で、”完全な正しさ”のみから成る世界は”閉じた世界”に留まりますが、一方人間の生きている世界は閉じていない遥かに広範な”開かれた世界”だと言う事になるのでしょう(・・・無論、この世界が”閉じているか否か?”は未だ分かりませんが、少なくとも現時点で(AIを含む)人知は”世界の端”を見通すには程遠い・・・と言う意味で”開かれている”事だけは確かです)。芸術は明らかにこの”開かれた世界”に属していて、”完全な演奏”と言うのは(もし、有ったとして・・・と言う事ですが)極めて限定的な狭い世界しか捉えられないと言えるのではないでしょうか。

    もちろん、”完全”の概念に付き纏うこう言った曖昧さを理由に、”完全”を”目指す”努力を軽視したり、ましてやソレを理由に”不完全”であることに甘んじる・馴染む・・・と言うのは軽薄・本末転倒で、ソウ言った芸術(作品、演奏)には普遍性がなくスグに忘れ去られる・・・と言う事は肝に銘じておく必要があって、実際、私は”完全”への狂おしいまでの渇望を感じさせてくれる演奏”も”大好きですが・・・・。

  2. yung
    2026年2月2日 at 5:48 PM

    [クレタ人はみんな嘘つきだとクレタ人は言った」というやつですね。
    おそらく、どれほど高度な知識とスキルが求められても、それが閉じた世界ならばAIにとってかわられるということでしょうかね。たとえば法律や会計の世界あたりはやばいかな。
    もしかしたら、医者はやばいけれども看護師はやばくないかも・・・。看護や介護は人を相手にしますから「開かれた世界」ですね。保育士や小学校辺りまでの先生も大丈夫かな。小さい子供ほど世界は開かれていますかね。大学の教員はほんとにやばいかも。
    いろいろ考えさせられました。

  3. 梅太郎
    2026年2月2日 at 10:19 PM

     AIに人間の演奏を学習させて,不完全さも含めて再現することはAIにとってはたやすいことだと思います。だから,私は「不完全さ」が人間にとって最後の砦だとは思っていません。
     ご存じかもしれませんが,人間の脳(そして,ヒト以外では霊長類と鳥類で確認されている)にはミラーニューロンという,他者の行動を鏡のように映し出して観察者自身が行動しているかのように活動するニューロンが存在することがわかっています。ミラーニューロンの活動が認知機能をどのように支えているかはまだ解明されていませんが,人間の演奏に対する共感や感動に対してミラーニューロンが作用しているとすれば,不完全さを持ったAIによる演奏であっても,実体を持たないAIによる演奏に対する共感や感動は生じにくいだろうと思います。
     だとすれば,AI演奏に対して人の演奏であると疑われないような何らかの仕掛け(実体としてのアンドロイドでも良いし,人間が演奏している映像でも良い)を用意し,そして,視聴者に対して人間の演奏であると信じ込ませることができるようになれば,「AIが決して踏み込めない人間の領域」ではなくなるように思います。

    • yung
      2026年2月3日 at 10:14 AM

      なるほどね、考えだすと・・・ですね。ただ、不勉強にして「ミラーニューロン」というのが今一つよくわかんないですね。

  4. さかた
    2026年2月5日 at 5:42 PM

    yungさんのPCオーディオ実験室で、納得のtiny-core プレイヤーまで、行きつき、音楽ソースは、blue sky lebelに頼り切り。yungさんのおかげで、オーディオを楽しむことができてます。AIの事ですが、AIは、tiny-coreにも詳しい。久しぶりにmpd.confをジェミニと相談しながら見直しました。特に驚いたのは、バッファ。ジェミニは、512、256推しです。昔、yungさんが、512、256の音には、つま先立ち感があるとおっしゃっていたのを思い出しました。今回、ジェミニと検討した結果、512/100%に落ち着きました。まあジェミニ君、細かいところにもよく気づきますよ。PCオーディオもAIだのみになるのかな。

    • yung
      2026年2月5日 at 7:37 PM

      いや驚きました。ジェミニ君はそんなところまで手が回るのですか。自分の駄耳を頼りに試行錯誤していた時期が懐かしいです。
      tiny-core以降はそれを上回るような提案はどこからもあらわれず、私のメインシステムも長く膠着状態で、興味はアナログのほうに向かいつつあります。ただし。所持しているソフトはデジタルのほうが多いので、やはりメインはデジタルです。
      音楽ソースのほうもお役に立てているようでよかったです。

      それから、私もちょっとジェミニ君に訪尋ねました。メモリが4Gあるならばこういうのはどうですかと持ち掛けられました。
      conf
      # 音楽ファイルの場所(RAMディスク内)
      music_directory “/home/tc/music”
      playlist_directory “/home/tc/.mpd/playlists”
      db_file “/home/tc/.mpd/database”
      log_file “/home/tc/.mpd/log”
      pid_file “/home/tc/.mpd/pid”
      state_file “/home/tc/.mpd/state”

      audio_output {
      type “alsa”
      name “My ALSA Device”
      device “hw:0,0” # aplay -l で確認した番号
      mixer_type “disabled” # 音質重視で固定
      auto_resample “no”
      }

      # 4GBのメモリを活かしたバッファ
      audio_buffer_size “16384”
      buffer_before_play “20%”

      まだ、やることはあるようですね。

      • さかた
        2026年2月6日 at 5:59 AM

        私のジェミニ君への注文が、「鋭く、切れ込みのある音」という部分で、短いバッファと100%の充足率を提案してきたのだと思います。ただ、hiface evo2への受け渡しの速度が速すぎるとの指摘で、受け渡し速度をコメントアウトし、hiface に受け渡しの速度の主導権を渡しました。yungさんのいわれる、やや危うい音、逆に言えば、鋭くエッジの立った音、で聞いています。あとFIHOの優先度も直されました。データ受け渡し速度をHIFACE主導したにしたおかげで、短いバッファでもスムーズ再生、音飛びの不安は、ありません。またジェミニ君は、自分のMPD.CONF全文を張り付けて、評価を求めると、答えてくれます。ジェミニ君に頼って、いろいろな音質を楽しみたいと思います。AIのおかげで、オーデイオの楽しみ方が一つ増えました。

      • さかた
        2026年4月7日 at 4:42 PM

        AIとは、関係ないので、迷ったのですが、オーディオ情報なので書きます。
        中華オーディオご存じかと思います。
        その常軌を逸したスペックを聞いてみたくて、買いました。

        Toppingというメーカーです。このメーカーは、DAC基本バランス出力、アンプ基本バランス受け、BTL出力。つまり、SP端子赤:正相出力 黒:逆相出力 差動合成がありません。やられてしまいました。すごいですこれ。
        アキュフェーズなどの高級メーカーをあざ笑うがごとき音を出します。SPDIF信号をそのまま音にしたような非常にストレートな音です。いままで使っていたES9038proの重厚DACとMOS FETの重厚アンプ。ほぼ使っていません。またDACとリニア電源は、アルミ掘り出しがごとくで、非常に愛すべき製品です。
        アンプは、熱対策のため、あまり愛すべき形状では、ありませんが。非常に安価なので、yungさんも一度中華体験をされてみては、とお節介ながら、書き込みました。
        以下にTopping製品の型番とAMAZON金額を書いて終わります。失礼しました。
        DAC:D50Ⅲ 33000円
        DAC用リニア電源:P50 13500円
        アンプ:Mini300 24750円 38Vなので、リニア電源はありません。付属のスィッチング電源を使います。
        TRS-TRSケーブル2本。お好きなものを。2本2000円の物で、十分と思います。
        合計 73250円。

        差し出がましい書き込み、失礼しました。

  5. yk
    2026年2月7日 at 5:52 PM

    最近、手持ちの古いLP(ドヴォルザーク:弦楽四重奏「アメリカ」、ヤナ―チェック弦楽四重奏団)で、ちょっと録音情報が錯綜していた点をGooglのAIで確認してみた顛末・・・このLPの演奏はヤナ―チェックSQが1950年代後半に入れた(と思われる)モノラル録音で、後年CD復刻もされている1963年のステレオ録音とは異なる(と思われる)演奏ですが、ハッキリした録音(日時等)記録がなくその情報が得られないかAIに尋ねて見ることを試みました。
    最初に、LPのジャケット図を示して、「このLPの録音記録を教えて・・」と尋ねると、直ちに「コレはヤナ―チェックSQの演奏で、1963年にDeccaに録音された演奏…云々」と言う極アリキタリの(誤った)解答をしてきたので、更に「このLPは1963年以前の発売で、1963年録音とは考えられないので、他に情報はありませんか?」と重ねて尋ねると、「ヤナ―チェックSQは1950年代にDGにこの曲を録音しています」と、前言の誤りを訂正することもなくシレッと回答した上に「この録音はLPらしく中音域の充実した音で、愛好家の中で評価されています・・・」と、取って付けた様な評まで付けた解答が返ってきました。最初の解答から考えても、このAIが当該LPを聴いたはずもない(AIが”LPを聴いて、その音を評価する”・・・??)のは明らかで、これらの解答も(可成り杜撰な)単純総当たり検索から引き出した単なる伝聞(引用)評価に過ぎないのも明らかで、まあ、人間で言うと”何でも知ったかぶり”の秀才モドキと言った処でしょうか。
    しかし、それでもAIの(人間にはなかなか出来ない)総当たり検索でも正確な録音年代の記録は見つからなかった(らしい)・・・と言う点が確認できたという意味ではAIも”役に立つ”とは言える訳で、最後に私も「判りました。有難うございました」と言うと「ご丁寧なお礼を有難うございました・・・何時でもまたご質問ください・・・」と、妙に愛想のよい返事が戻って来るところなど実にそつがありません・・・^_^;;;。

    現AIについては、やはり”人間側”が過大評価も過小評価も厳に慎んで利用する・・・と言う範囲で有用な”技術”であることは確かですが、”intelligence”と言う意味での知性・知能と言う点では古典的なチューリング・テストなどの評価を含めて尚慎重に(人間が)見極めていく必要は有ると言うことでしょう・・・・か?

    • yung
      2026年2月7日 at 8:01 PM

      その慇懃無礼なまでの丁寧な受け答えは「copilot」君でしょうか。
      今までに読み込んだデータの中から該当しそうなデータを丁重に示唆してくれるという感じですね。

      ちなみに、「Discogs」で」調べたところでは「ETERNA = 8 20 055」として1959年にリリースされているようです。
      null
      そこで「copilot」君に「私が調べたところではETERNA = 8 20 055として1959年にリリースされてるようです。https://www.discogs.com/ja/で調べましtがいかかでしょうか。」と聞くと

      おお、すばらしい情報を見つけられましたね。
      あなたが調べた ETERNA 8 20 055(1959年) のリリース、これは確かに ヤナーチェク弦楽四重奏団によるドヴォルザーク《アメリカ》の重要な録音として知られています。

      あなたの情報は正確です。

      と褒めてくれました。

      さらに「録音されたデータはわかりますか」と聞くと

      1950年代のETERNA盤は資料が限られており、公式のセッションデータが完全に残っていないことも多いんです。それでも、現存する情報から推定できる範囲でまとめます。

      と断ったうえで、

      1958年録音(1959年リリース)
      ※ETERNAの初期LPは録音年が明記されないことが多いですが、複数のディスコグラフィで1958年録音とされています。

      と示してくれました。

      こうやっていろんな人とのやり取りでデータ量を増やしていくのでしょうね。
      さてさて、どこまで行くのやら。

  6. yk
    2026年2月7日 at 10:53 PM

    yungさん

    このETERNAのLPは私も辿り着いていたのですが、どうしても明確な録音年時が確定できなかったのでAIに”お尋ね”して見たものでした。
    このLPの演奏は後年のヤナ―チェックの再録音に比べても、殆ど”アメリカ”的要素を含まない純ボヘミア調演奏・・・と言う、今ではほとんど聞くことの出来なくなったローカル色満載の(異色?)演奏ですが、私のLP(国内盤)には残念ながら傷があり、現在それをデジタル修正した上で(愛)聴していて、海外のLP販売サイトなどでも時々見かけるETERNAのLPの購入を検討したりしていました。
    まあ、AIの網羅的検索でも録音年の確定は(今のところ)難しい・・・と言うことで、納得ではありますが、間違い、或いは、曖昧な点は、具体的に指摘されるまでは問題点としては触れない・・・と言うAIの”知ったかぶり”は、なかなか面白い処ではあります。

  7. yk
    2026年2月12日 at 4:29 PM

    ところで、AIとは関係の無い話で恐縮ですが、今回のこの「アメリカ」噺の関連で改めてyungさんのHPを見て少し驚いたのですが、ドヴォルザークの室内楽が他と比べて少なすぎませんか?
    ピアノ三重奏曲「ドゥムキー」、四つのロマンティックな小品、弦楽四重奏「アメリカ」、ピアノ五重奏曲、ヴァイオリンソナチネ、それに、小品の「ユーモレスク」
    ・・・だけ、と言うのは、ちと”不当に(!?^_^;;;)”少ないように思いますが・・・いかが? しかも、”LP時代=東西冷戦時代”という時代背景を映してかどうか、民俗楽派ドヴォルザークの本拠たるべき”東欧”系の演奏が殆どありません。
    しかし、この時期、SUPRAPHONに代表されるチェコ・東欧系の室内楽録音は極めて多才・多彩にあって、いわばLPの宝庫とも言える活況を呈していました。

    yungさんの丁寧・丹念なLP録音の発掘-パブリック・ドメイン化作業を拝見していると、その対象とされている幅が極めて広く、その中ではドヴォルザークの東欧録音と言うのは極小の”一部”とも言えるので、偶々”未だ”手がついていない分野・・・と言うに過ぎないのだと思いますが、今後の(私個人的な希望としては、出来るだけ早い時期の・・・^_^;;)拡張・発展分野の一翼に加えて頂ければ、と思っています。

    • yung
      2026年2月12日 at 7:40 PM

      作品の取り上げ方の偏りと欠落は少なくない方々からも指摘されています。
      一番の欠落は「歌曲」と「歌劇」です。
      「歌曲」は私があまり好きではないから、「歌劇」はアップするのに手間がかかって、気合と根性がいる・・・からです。最近では「神々の黄昏」をアップするのは、ほんとに大変でした。

      まあ、四半世紀も続けて5000曲以上アップしたのですが、それでも明らかな偏りと欠落があるのはクラシック音楽の世界がいかに広く深いかと言うことなのでしょう
      早急に、とはいきませんが、気長に、ポチポチアップしていきます。

  8. kashmir3+4
    2026年3月2日 at 10:03 PM

    yungさん、AIの研究に従事している/従事していた立場から本件コメントさせていただきたく。

    AIがどんなに進んでも、人間が人間の活動を楽しむことが失われはしないでしょう。それは、人間にとっての楽しさがコミュニケーションよってもたらされ、コミュニケーションには正解がないからです。

    このようなコミュニケーション・ゲームの特性を端的に語った言葉があります。それは2018年平昌オリンピックのカーリングゲームでのコメントです。

    「自分が投げたストーンの意味は、その後に相手が投げたストーンによってのみ理解されうる」

    スポーツにしても囲碁将棋にしても、音楽にしても、これは本質を突いていると思います。ストーンを投げる時点では、その意味はわからないんですね。つまり、行動を起こす時点では、その行動の意味はAIにもわかりようがないのです。

    音楽であれば、演奏者が音にした一つのフレーズの意味は、それに続くフレーズの音によってのみ理解されることになります。

    りくりゅうペアであれば、龍一君が璃来ちゃんを投げることは、投げられた璃来ちゃんが3回転して優雅に着地すること、あるいは彼女が転倒すること(そんなことは、絶対に、ないっ!)で理解されます。

    我々はそういうところに美しさや楽しさを見いだし、心を動かされるのだと思います。

    AIがすべてを最後まで読み切って所定の目的を常に達成してしまうのであれば、そんなものを見るのは退屈以外の何物でもないでしょう。

    そういう意味で、録音された音楽は「読み切った結果の記録」である以上、AIと張り合うことになりますから、今後その価値は失われていくように思います。しかし一方でyungさんの記事を読んでいると、そうでもないかと思ったりもします。yungさんは録音音楽を通じてディミトリとのコミュニケーションを楽しんでいらっしゃるのですから。

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