始まってしまいましたね。(^^;
何がって?
もちろんオリンピックです。
後は、出来る限り災禍が小さく収まることを祈るのみです。
それにしても、このどん詰まりに来てのドタバタ劇にはあきれかえります。「炎上聖火リレー」なんて言葉も飛びかっているほどです。
1964年の東京オリンピックは、戦後の復興と日本の社会がこれから大きく成長していくメルクマールとして歴史に刻み込まれています。
もちろん、その「成長」なるものは今となっては検証が必要かもしれませんが、その「成長」の道筋を誤った分岐点は1964年の東京オリンピックよりもはるかに先の話です。
そして、その「成長」の道筋を誤った地点からは経済指標は上昇を続けながらも、明らかに日本の社会は多くの問題を抱え「劣化」していきました。
そして、「劣化」であればどこかでリカバリー出来たかもしれないのですが、それがもはや「劣化」を通りこして「腐敗」の域に達していることをまざまざと見せつけてくれたのが今回のオリンピックでした。
劣化したものは修復可能です。
しかし、腐ったものはもとに戻りません。
その意味で、今回のオリンピックは、この国が坂道を転落していくメルクマールとして刻み込まれるのかもしれません。
はてさて、そんな中で名もなき多くの庶民はどうして我が身を守っていけばいいのでしょうか、などと嘆きそうになるのですが、そこはどっこい、庶民というのは意外なほどにしぶとくてしたたかなものです。
私もまた、そうありたいと思うのみです。
高度成長期の裏歴史としては、公害問題や交通戦争などが挙げられるでしょう。しかし日本人が大きく堕落したのは、バブル期だと私は思っています。そして、行きつくところ、オウム真理教の事件が起きてしまったのです。あれは、世も末かと思わせるようなおぞましい事件でした。
まあ、現在にあっては、一般市民の多くはそれなりに暮らしていると思いますので、大谷翔平らの活躍を一服の清涼剤として自分の身の丈に合った生活をしていけば、何とかなるような気がしています。
人間、必死になれば生きていく上では何とかなるでしょうね。
太平洋戦争後に、ある研究者は多くの餓死者が出ると予測したが、実際はそんなには
餓死者は出なかったことを考えると、人間の生きる力を感じます。
ただ、柔軟に生きられなかった人は不幸な目にあったようですが・・・
ただ、少し上の世代は結構贅沢して高級オーディオ三昧して
いたが、こちらはプアオーディオで我慢かな^^; ま~プアオーディオでも
愛着もてば、それなりに楽しいものですが・・・
それと、若い世代のこと考えると、何とかしてあげたい。
選挙で自分の考えを示すことしかできない、このもどかしさ(TT)
小山田圭吾→絵本作家・のぶみときて、今日もまさかの小林賢太郎!!
ここまでくると、よくぞこれほどのメンバーを選んだと逆に感動的ですらありますね。
いざオリンピックが始まったら、連日の金メダルラッシュで、昨日の時点で8個獲得しました。これは1964年の東京オリンピックの半数の金メダルをすでに獲得したことになります。アスリートたちは、オリンピック開催を渇望していたのかもしれませんね。
私はそれまで東京オリンピック反対論者だったのですが、これは己の不明を恥じなければいけませんね。無事開催されることを祈るばかりです。