フィッシャー=ディースカウ/シューベルト歌曲大全集

“名歌手フィッシャー=ディースカウの業績を代表する21枚組の大全集。シューベルトの男声用リート作品408曲(うち3つは歌曲集)を収録した、個人による歌曲集としては最大規模のセットです。”

フィッシャー=ディースカウ/シューベルト歌曲大全集
icon
20100329-Schubert_s.jpg
icon
うーん、このボックスがマルチバイ特価で6167円かー!
恐ろしいほどの叩き売り状態ですね。
そして、orange_fiberさんがコメントしていたような「知らない人が値段で買うとそのうち唯のゴミ(捨てないまでも家で埋もれる)になってしまう可能性」もないでしょうね。
いくら値段が安買いからと言って、これはドイツリートが好きな人、もしくは勉強しているような人しか買わないでしょうからね。そう言う意味では実にありがたいセットだと言えます。
ただし、値段の安さゆえに扱いが疎かにならないようにココロしなくてはいけませんね。もしかしたら、聞き手の側のそう言うココロの有り様の方が問題になるかもしれません。
ただ、一つだけ気になったのが、宣伝コピーの中の次の一文。
「完璧な発声と徹底したテキストの掘り下げにより、どんな曲でも高い完成度を実現していたという驚異的な能力の持ち主でもあるフィッシャー=ディースカウは、数多くの追随者を産み、また自らも後進の育成にあたってリートの世界を広く深いものとしてきました。
 その才能はあまりにも偉大で、今後ともフィッシャー=ディースカウの偉業に肩を並べ得るリート歌手が現れることはまずありえないものと思われます。
こういう物言いに対して、「本当に昔はよかったのか?」と題してこんな駄文を綴ったことがあります。
「まず始めに確認しておかなければいけないことがあります。それは、「昔の演奏は素晴らしい」という人はその裏側に「今の演奏はつまらない」という思いを内包していることが多いということです。しかし、このような物言いというのは、ともすれば「昔はよかった」という年寄りの愚痴に陥る危険性も内包しています。ですから、昔の演奏を論じるときにはそういう年寄りの愚痴に陥らないようにしっかりと心しておかなければいけません。
例えば、20世紀の初め頃(たしか30年代?)にイザイというヴァイオリニストが亡くなりました。時の評論家は彼の死を悼んで「これで真のヴァイオリニストはこの世から消えてしまった」と嘆いたそうです。そして返す刀で「これからはハイフェッツやエネスコやティボーのような小人輩どもが跋扈するしかないと思えば情けない限りだ」と宣ったそうです。
 また例えば、五味康祐なる人物がいます。
 今の若い人には五味康祐と言ってもピンとこないでしょうが、存命中は剣豪小説の作家として有名な方でした。しかし、私にとっては求道者と言っていいほどに自分の全生涯をかけてクラシック音楽とオーディオを追求した人物として深く心に残っています。ですから、本職の剣豪小説(私は一冊も読んだことはありませんが・・・)以外にも、オーディオやクラシック音楽についてたくさんのエッセイを残しています。
 その中の、例えば、「ベートーベンと蓄音機」などと言う一冊を読んでみますと、作曲家や作品そのものに関しては自分の耳と感性を信じて素晴らしいオマージュを語っています。ところが、演奏に関しての文章となると、そういうしなやかな感性がとたんに影をひそめてしまい、「昔は良かった」の一点張りになってしまいます。フルヴェン・ワルター・メンゲルベルグ・トスカニーニなどへのオマージュが熱く語られ(それはそれで面白いのですが)、それと比べて今の演奏家はダメになっており、これから先も期待はもてないと言う「嘆き」というか「ボヤキ」というか、そう言う言葉が繰り返し語られています。
 私たちはイザイが亡くなった30年代以降の世界を知っていますし、フルトヴェングラーやワルターが亡くなったあとの世界も知っています。ですから、「小人輩が跋扈」し、「なんの望みもない」と言われた「そのあとの時代」においても、数々の素晴らしい演奏や録音が残されたことを知っています。私たちが歴史的録音の演奏について語るときに、このような物言いになることを、つまり年寄りの愚痴になることを十分に注意しなければいけないのです。」
宣伝コピーの中にこんな一文を見てしまうと、もう新しい才能を育てるきもなく、昔の遺産だけで食っていこうとしているのかと心配になってきてしまいます。

1 comment for “フィッシャー=ディースカウ/シューベルト歌曲大全集

  1. orange_fiber
    2010年3月31日 at 11:30 PM

    管理人さん、こんばんは
    私の気ままなコメントに気を止めてくださってありがとうございます。
    その後に続く論評を読ませていただくと、身につまされることもありちょっと恥ずかしいです。
    >このような物言いになることを、つまり年寄りの愚痴になることを十分に注意しなければいけないのです。
    理想は、昔も良かったし今も良いということなのでしょうね。
    私も、以前の映画とか番組とか持ち出してこの頃は面白かったとか言いがちなので耳が痛いのですが・・・。世の中全体としての価値観はどうしても時代とともに変わってゆくので(必要とされているものが変わってゆく)それを自分なりにどう消化できるかで見方が変わってくるのかもしれません。また、本当に悪い方へ変わってしまうこともあるので、その場合は何らかの対策をしなければならないとは思いますが。
    >その才能はあまりにも偉大で、今後ともフィッシャー=ディースカウの偉業に肩を並べ得るリート歌手が現れることはまずありえないものと思われます。
    私はこの一言に、だから聞いた方が良いですよ(買ってね)という営業トークを感じてしまいます。「現れることはないかもしれません」くらいなら何とか納得しまけど(それでも大げさなような)
    ここで述べるのは適当でないかもしれませんが、自分で関わっている仕事も含めて、近年は手の抜きかげんを忘れてしまっているように思います。(逆にその為に本当に力を入れるべきポイントが分からなくなっている。)何をするにもお金が先に来てしまうので、(食べ物などでも売上げ何個とか何百万とか)それでしか物事を見れなくなりがちです。食べ物って価値の基準はおいしさとかではないの?って感じです。
    プロの音楽家たちは当然そういった見方でやっているのではないでしょうが、こういう潮流を作りたい、みたいな考えがもっとアピールされてこないと、やはり響いてくるものが少ないんですよね。
    その辺が以前と違うように感じてしまう点かもしれません。
    P.S
    フィギュアの記事、参考になりました。ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です