マーラーブームなんてことが言われた時期がありましたがそれも今は昔の話です。ブームどころか、今やプログラムにはなくてはならない、必須の音楽になりました。一昔前は、ベートーベンやモーツァルトを聞いてクラシック音楽に入門した人がほとんどでした。(ユング君もそういう一人です。はじめて買ったクラシック音楽のレコードはモーツァルトの40番と41番でした)ところが今や、クラシック音楽を聴き始めるきっかけになったのが、マーラーやブルックナーだったりするのですから驚きます。
「いつか、私の時代が来る」と言い残して死んでいったマーラーですが、まさかこれほどの受容と需要がくるとまでは、彼自身も想像していなかったのではないでしょうか。
そんなわけで、(どんなわけじゃ!)CDを選びます。
・バーンスタイン指揮 ニューヨークpo. 1987年録音
・クレンペラー指揮 フィルハーモニアo. 1961?62年録音
・ワルター指揮 ニューヨークpo. 1957?58年録音
・テンシュテット指揮 NDR 1980年録音
・アバド指揮 ウィーンpo. 1992年録音
バーンスタインには、新旧二つのマーラー全集がありますが、ここで選んだのは、新全集からの一枚です。
ユング君は、全集全体を評価するなら、60年代にNYOといれた旧全集の方が好きです。おそらく、この旧全集の価値は、マーラー演奏の歴史を振り返るとき、その存在が忘れられることは絶対にないでしょう。
しかし、2番に関しては、こちらの新しい方を選びます。
この音楽は、マーラーの交響曲の中では最も人気のある曲だと思います。この最終楽章を聞いてカタルシスを覚えない人はいないでしょう。曲自体が非常によくできていますから、それなりに演奏すれば、聞き手に大きな満足を与えることのできる曲です。しかし、その壮大な音楽を、それなりに演奏してくれれば、満足感はこの上も無しです。
とにかく、ユング君の好みは、ゴージャスに、絢爛豪華に、そして疾風怒濤の勢いで演奏してほしいのです。
正直言って、知的に分析されたクールな演奏が昨今の流行ですが、ユング君は嫌いです。こういうベクトルで選ぶと、バーンスタイン盤は新しい方を選んだ方がピッタリです。
次に、テンシュテットです。
ここに選んだのは、またまた掟を破った海賊盤です。録音年月日に関わるクレジットはCDには一切ありませんが、これは間違いなく、1980年9月29日にハンブルグで行われた、NDR(北ドイツ放送交響楽団)とのライブ録音です。
テンシュテットは、79年からこのオーケストラのシェフの地位にありました。東ドイツから亡命をして活動の場を西側に求めた彼が、はじめて手に入れた大きなポストです。結局はこの両者は喧嘩別れをして81年にはロンドンへとテンシュテットは去っていくのですが、この時期の両者の活動は実に豊かな実りをうんでいます。
テンシュテットはロンドンに移ってから、LPOとの共同で、歴史に残るマーラー全集を完成させ、彼自身が最高のマーラー指揮者であることを証明しました。そして、LPOとの初来日で、そんな彼の実力をいやと言うほどみせつけてくれました。
しかし、LPOとのスタジオ録音も優れた演奏ですが、2番に関してはなぜか燃焼度が低いのです。それが、2番が大好きなユング君にはとても残念だったのですが、この海賊盤の出現で、その乾きは一気に癒されました。このただならぬ演奏は、バーンスタインの熱さをも上回るものだと思います。
さらに、クレンペラーとくれば、いったい何という選択だと言われそうですが、もともとが、ある種の異常さを持った音楽なのです。そんなものをいかに知的に分析をして、クールに演奏しても面白くも何ともないのです。(たとえば、ozawaとBSOの響きの薄い白けた演奏なんかは、どうしても我慢ができません。ただし、そういう演奏こそ、現在のマーラー演奏だ、というスタンスも成り立つわけで、そういうスタンスにたった選択もまた正当であることまでは否定しません。)
彼にとってマーラーは偉大な師であるわけですから、たくさんの録音を残しています。そして、驚くことに、そして、よく知られているように、この曲の最短演奏と、最長演奏の記録を持っているのです。
最短は約71分、最長で100分にせまらんとするほどです。
ここで選んだのその中間のミディアム盤(?)ですが、いかにもクレンペラーらしいスケール感の大きな演奏です。しかし、絢爛豪華でゴージャス(バーンスタイン)でもなく、異常なまでの疾風怒濤(テンシュテット)でもなく、彼が持つマーラーとはこういう音楽なんだ!という頑固なまでの形式感で押し切っていきます。これはこれで凄い演奏です。
そして、ワルター。
これは偉大な師であるマーラーへの心からの愛情が感じ取れる演奏です。普通に落ち着いて聞くのなら、これがベストかもしれません。こう書いても、決してこじんまりとした、安全運転の演奏ではありません。最終楽章で繰り広げられる音楽の巨大さは、上記の「異常な人たち(?)」と比べても、決して遜色はありません。
素晴らしい演奏です。
そして、最後に、こんな古い、昔の名前ばかりではいやだ!という人のために、アバド盤をあげておきます。 だいたい、アバドという人は何もしない人です。しかし、ここでは、その「何もしない」ことがいい面にでています。最初に書いたように、この曲はよく書けていますから、それなりに演奏をすれば十分に満足のいくコンサートになると述べました。下手な考え休むに似たり、つまらぬ分析なんかを加えて音楽を台無しにするよりは、何も考えずに、何もしないアバドのような演奏によって、マーラーの2番という優れた音楽の美質がにじみでてきます。
ただし、アバドファンの方、こんな書き方をしたからと言って、彼を馬鹿にしていると誤解しないでください。何しないで、音楽そのものに語らせながら、その作品の持つ美質を浮かび上がらせるというのは、口で言うほど容易いことではありません。
そして、「異常な人」にはなれない常識人アバドが彼らに対抗しようとすれば、この手しかないのも事実なのです。もっとも曲によっては、常識人故の退屈さしか残らないことも多く、そこがアバドの限界であり、素晴らしさでもあります。