ヴァントの芸

私の手元に、ヴァントがいまだに神様でなかった時代に、ケルン放送交響楽団を相手としてこつこつと完成させたブルックナーの交響曲全集があります。彼はその後神様になり、ベルリンフィルなどを相手に数多くのブルックナー演奏を行い、それらのすべてはライブ録音されてブルックナーファンの「聖典」となっていきました。その結果として、彼が若き時代に精魂を傾けて完成させたケルン時代の録音は忘れ去られていきました。
芸というものはいつまでも上昇曲線をえがいていくものではありません。それはどこかで頂点をむかえ、その後は否が応でも下降していきます。これは厳然たる事実です。年を重ねれば重ねるほど円熟味をまして芸が磨かれていくなどと言うのは錯覚以外の何ものものでもありません。ただ、問題はその下降曲線の傾斜角度です。その下降曲線が緩やかな人もいれば、急激に衰えていく人もいるということです。そして、いわゆる名人・上手と呼ばれる人は、この頂点が高かっただけでなく、その後の下降がきわめて緩やかだったということに最大の特徴があります。彼らは高いレベルで芸を完成させただけでなく、その高いレベルを長期にわたって維持したことにこそ偉大さがあるのです。


しかし、それでもなお、彼らの芸歴を俯瞰して見れば、頂点に向かって上昇曲線を描いている時代の芸の方に強い魅力を感じます。そこには、完成に向けた強い意志と熱い魂が醸し出す「勢い」が感じ取れます。そして、その「勢い」は頂点を通過した後では、いかに高いレベルを維持しているといっても姿を消してしまいます。
ヴァントに関してもこの一般論がそっくり通用するように思えます。ですから、ユング君はケルン時代の録音が大好きでした。
iPodを買い込んでつくづくよかったと思うのは、こういうまとまった録音を気軽にもう一度聴き直すことが出来ることです。そして、自分自身が若い時代に抱いた感慨をもう一度気軽に検証することが出来ることです。
1番はウィーン版を採用していることもあって、若書きの作品としてではなく、円熟したブルックナーに相応しい堂々たるシンフォニーとして構築されています。2番に関しては、もう見事としか言いようがありません。2番シンフォニーはブルックナー作品の中では演奏される機会が最も少なく、ある意味では「前衛的」と言っていいほどの作品なので、ほとんどの指揮者による演奏では混乱した印象しか残りません。しかし、ここではすべての響きに意味を感じとることができます。そして、それらの響きは一定の秩序の中で音楽として構築されていきます。ですから、聞き終わったときにはブルックナーらしい堂々たる音楽を聴かせてもらったという満足感が残ります。こういう感覚は2番シンフォニーの演奏では希有なことです。
さらに、付けくわえれば、このケルン時代の録音は晩年のベルリンフィルなどとの録音と比べれば音質的に勝っています。録音年代は古いのですが、このことはブルックナーのような作品にとっては大きなアドバンテージです。おそらくはスタジオで精緻に録音されたケルン時代と、晩年のライブでの一発録りとの違いなのでしょうが、これは決して無視できない要因です。
この1・2番以外にでも3番や6番なども晩年の録音と比べれば明らかにケルン時代の方に魅力を感じます。そして、おそらくは拒絶反応をおこす人が多いことを承知しながらも、ケルン時代の9番はユング君の大のお気に入りでした。荒々しいまでに金管楽器を強奏させるその演奏には「闘う男ヴァント」の面目が刻み込まれています。
こういう演奏が全集から分売されて再び多くの人の目に触れるというのは素晴らしいことです。

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