『タンホイザー』全曲 セル&メトロポリタン歌劇場

“このCDの重要なポイントは2つ。オペラ作品の少ないセルの指揮であること。エリーザベト役を演じたマーガレット・ハーショウはメトロポリタン歌劇場所属の歌手のため活動がアメリカ国内に限られていたことで海外では知名度が低いものの、メトで22シーズンにわたり演じてきた実力派のワーグナー歌手であることです。”

『タンホイザー』全曲 セル&メトロポリタン歌劇場
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これはセルファンにとっては実に興味深いCDです。
ご存知のように、世界大戦の勃発でアメリカに居残りとなったセルは1942年にメトロポリタン歌劇場の指揮を始めます。タンホイザーに関しても1942年のものが残されています。(音質は最悪ですが・・・。)
さて、問題はこの1954年のタンホイザーです。
この時にセルはメトの支配人であるビングと決定的な衝突を引き起こしてメトを去ります。この辺の経緯は最後まで詳らかにはなりませんでしたが、一説によるとこのタンホイザーの配役をビングがセルに何の相談もしないで変更したことがきっかけだと囁かれています。
実際このCDで聞くことのできる配役と、14日の公演の配役は少し変わっています。
調べてみると、
タンホイザー:ラモン・ヴィナイ→チャールズ・クルマン
エリーザベト:マーガレット・ハーショウ→アストリッド・ヴァルナイ
ヴォルフラム:ジョージ・ロンドン→ヨゼフ・メッテルニヒ
ヴェーヌス:アストリッド・ヴァルナイ→レジーナ・レズニック
と、変わっているようです。
これでは、当時のセルの日程はかなり過密でしたから、おそらくは十分なリハなど出来ずに、ぶっつけ本番で指揮をする羽目になったのではないでしょうか。もしかしたら、本番当日に歌劇場にやってきて、初めて配役の変更を知ったのかもしれません。
セルという「完璧性」への異常なまでの執念を持ち続けた男にしてみれば、到底許せるような事ではなかったはずです。
そりゃぁ、怒るワナ・・・(-゛-メ) ヒクヒク
もしかしたら、メトにデビューしてから10数年、似たようなことが何度もあったのかもしれませんね。未だ地盤が固まらないセルにしてみれば、「耐え難きを耐え、忍びがたきを忍んで」職務に励んできた・・・のかもしれません。
しかし、クリーブランドに地歩を固め、ニューヨークフィルやヨーロッパのオケにも地盤を固めて自信を強めてきたセルが、ついに積年の恨みを爆発させた・・・などと想像を逞しくしてしまいます。
逆に、支配人のビングにしてみれば、伏魔殿である歌劇場にとってはそんなゴタゴタは「日常の茶飯事」であり、配役がちょっと変わったぐらいで「今日は振らない!」とごねるなんて夢にも思っていなかったのでしょう。
おそらくは、セルを甘く見すぎていたと言うことなのでしょう。
結果として、セルは「歌劇場ほど忌まわしいところはない」とのたまってメトを去っただけでなく、オペラそのものから基本的に撤退してしまいます。この事は、セルマニアにとっては最大の痛恨事と言っても言い過ぎではありません。
また、ビングはビングで、セルが「自分にとっての最大の敵は自分自身だ」と語ったときに、「俺の目が黒いうちはやつの最大の敵は俺だ!」と言って、終生、セルに対する 敵愾心を失うことはなかったと伝えられています。大人げないと言えば大人げない話です。
とは言え、真実は藪の中です。しかし、この大騒動の原因となったのがこのタンホイザーの公演であったことは間違いありません。
そして、上記のような事情が事実に近いならば、この1月9日の公演はセルが納得した配役による公演と言うことになります。
セルマニアにとっては必聴の一枚といえます。(ただし、そうでない人にとってはほとんど意味のない一枚であることも保障できます)
ワーグナー:歌劇『タンホイザー』全曲
<配役>
 ラモン・ヴィナイ(タンホイザー)
 マーガレット・ハーショウ(エリーザベト)
 アストリッド・ヴァルナイ(ヴェーヌス)
 ジョージ・ロンドン(ヴォルフラム)
 ジェローム・ハインズ(領主ヘルマン)、他
 メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団
 ジョージ・セル(指揮)
 録音:1954年、ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場(ライヴ、モノラル)
配役から見る限り、おそらくは1月9日の公演と思われます。

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