宝蔵寺(奈良 東吉野)の枝垂れ桜

このお寺の枝垂れ桜が一躍有名になったのは2011年に放送された「プレミアムカフェ 秀吉が愛した桜~“醍醐の花見”物語」によってでした。この番組は最近も再放送され、私もその再放送でこの枝垂れ桜のことを知りました。

宝蔵寺は国道166号線沿いにあるのですが、この国道は大宇陀あたりから良く整備された2車線になり、宝蔵寺のある東吉野にはいるとほとんど信号もないのでまるで自動車専用道路のような雰囲気になります。ですから、注意をしていないとあっという間に通り過ぎてしまいそうになります。まあ、それだけ目立たない小さなお寺だと言うことです。

そんな目立たないお寺の枝垂れ桜が何故に注目されるようになったのかというと、このお寺の枝垂れ桜と醍醐寺の枝垂れ桜がDNA検査の結果によって、非常に近しいことが分かったからです。
よく知られているように、秀吉は醍醐の花見のために近江・山城・大和・河内から700本の桜を取り寄せたと記録が残っています。
そこで、上記のNHKの番組では、それらの地方に残る樹齢が200年を超える枝垂れ桜のDNAと醍醐寺の枝垂れ桜のDNAを分析して「遺伝的な近しさ」を調査をしたのです。

小さなお寺の枝垂れ桜

結果は、調べた数多くの枝垂れ桜の中で、この宝蔵寺の枝垂れ桜と近江の薬樹院の枝垂れ桜だけが近親関係を証明できたのです。
さらに歴史的な経緯を調べてみると、近江の薬樹院の桜は醍醐の花見の後に醍醐寺から譲られた桜だと分かりました。
つまりは、この宝蔵院の桜だけが醍醐の花見のために移植された桜の生き残りであることが分かったのです。

宝蔵寺の枝垂れ桜は樹齢が430年と言われていますので、醍醐の花見が催されたときはまだ小さかったのでしょう。そして、彼(彼女?)のまわりで咲き誇っていた先輩達はある日突然引っこ抜かれて醍醐寺に運ばれてしまったというわけです。
とは言え、今でもかなり山深いこの東吉野から京都の醍醐まで僅か10日足らずで輸送したというのは俄には信じがたい話です。

専門家は、おそらく川を使った水上輸送で運んだのだろうと推測していましたが、Google Mapで醍醐寺と宝蔵寺を徒歩で移動すれば16時間と表示されます。この距離を巨大な桜を何本も、それも蕾を付けた桜の巨木を傷めることなく輸送し得た技術には驚かされますし、そう言う技能集団を完璧に把握して手足のように使いこなせていた秀吉の権力の大きさにはあらためて驚かされます。

私が訪れたときには、残念ながら花の盛りは少し過ぎていましたが、それでも地面に届くまで優美に伸びた枝にはたっぷりの花をつけていました。

美しい花をたっぷりとつけていました。

私が訪れたときには、残念ながら花の盛りは少し過ぎていましたが、それでも地面に届くまで優美に伸びた枝にはたっぷりの花をつけていました。
主幹には空洞もでき、長く伸びた枝はつっかい棒で支えられていて、かつての野育ちの逞しさは失われつつあるようなのは残念です。

つっかい棒が少し痛々しい

しかし、本堂の横には住職によって接ぎ木された2代目の桜が育ってきていて、今では親桜を凌ほどの勢いを見せていました。
ただ、2代目は未だ樹齢30年という事で、親桜の風格を身につけるまでにはかなりの年月が必要なようです。

若々しい2代目の枝垂れ桜

確かに、若い桜というのは本当に勢いよく花をつけますし、30年も経てばかなりの大きさにも育つので立派と言えば立派な姿を見せてくれます。
しかし、時を経た桜というものは、そう言う華やかさとは別次元の風格を備えていることは否定できません。華やかな若桜が見る人の歓声を呼び起こすとすれば、老木は見る人を沈黙させます。

花の盛りは過ぎていましたが(2017年4月19日)

月並みですが、人もまたかくありたしと願います。

宝蔵寺へ

基本的には伊勢街道と呼ばれる国道166号線を津の方に向かって進んでいきます。やがて、近畿のマッターホルン(^^;とも呼ばれる高見山の特徴ある山容が前方に見えてくればお寺は近いです。
宝蔵寺は進行方向に向かって左側、ぼんやりしていると見過ごしてしまいますので注意が必要です。
ただしお寺には広い駐車場がありますので車で行っても困る事は全くありません。駐車料金は無料です。
桜を訪ねる人は殆どいないようで、私が行ったときもほとんど一人だけでした。

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