歩いて巡ることに意味がある
仏像を見るというのは若い頃からそれほど嫌いではありませんでした。ただし、それは「信仰心」などというものとは全く無縁で、どこまで行っても「美術品」として観賞してしまう人でした。
それは、高野山の町石をめぐるのも同じ心の有り様から発したもので、町石を辿りながら高野山に向かっても、そこには「信仰心」などというものはほとんどなく、ただただそこに刻み込まれた人の歴史に興味をひかれるだけなのです。
そんな心の有り様であちらこちらと巡っていて、果たしてそれでいいのだろうかと考えていると、白洲正子の著作を通して、巡礼とはそれでいいのだと言うことを教えてもらいました。
巡礼とは「浄・不浄」どころか「信・不信」も問わず、ただただ「歩いて巡る」事に意味があるというのです。
もちろん、それは正子が言い出したことではなくて、そもそも「巡礼」という形式がそう言うものだと言うことを正子自身も教えてもらって安堵したというのです。
それは、何であれ、自分の体を動かして、歩き、たずねることこそが大切であり、その切っ掛けは何であってもいいと言うことなのです。
そして、そうすることで何を感じ、何が変わるのかはその人次第ではあるのですが、それでも何もせずにうずくまっているよりははるかにましなのです。
ただ、私の場合で言えば、やはりどうにも信仰心などというものは起こりそうにはないのですが、それでも、そう言う古きものをたずねることで、古き時代の人の心の一端には触れられそうな気はします。
さらに言えば、たとえそれを美術品として眺めるスタンスは変わらなくても、やはり現地に出向いて実際の姿をこの目で見ると言うことは大きな価値があります。
とりわけ、博物館などにおさめられてしまっている仏像などはどうしようもないのです。とりわけ「美しい仏」であればあるほど、博物館に押し込まれている姿を見るのは忍びないものがあります。
それに対して、あるべき場所にあるべき姿でおさめられている仏というものは、そう言うあるべき場所も含めて実際に見ることではじめて気がつくことがあります。
と言うことで、結局は何をやっているのかと言えば、「あるべき場所」におさめられている「美人の仏」をたずねているだけの話なのです。
こんな事を書けば、仏とは男でもなければ女でもない、そう言うものは超越した存在であるのだから、そう言う仏に対して「美人云々」などと言うのは怪しからぬ話だと言われるのは分かっています。しかし、何の信仰心もない男なのですから、そんな事は知ったことかと嘯いていたりもします。最近は何かというと「知ったことかと」開き直ってしまうのです。
しかし、そうやって仏を巡っていると、時々、一心にそう言う仏の前に座って祈りを捧げている女性と出会うことがあります。
いや、時々ではなくて、屡々と表現した方がいいかもしれません。そして、不思議なことに、それと同じように一身に祈りを捧げている「男」というのは見たことがありません。
そう言う女性のすぐ横で、「いやぁ、なかなか別嬪さんの仏さんやな!」などと考えている自分をいささか恥じたりするのですが、それもまあ、男と女の違いなのでしょうか。
どこか拗ねているような仏の表情
室生寺の十一面観音は明らかに若い女性をイメージさせます。
なかには、それを女人高野に相応しい十一面観音という人もいるのですが、それは違います。何故ならば、室生寺が女人高野と呼ばれるようになるのは真言宗のお寺に変わった江戸期以降の話で、平安初期に作られたと言われる十一面観音には「知った話」ではないからです。
この十一面観音を「若い女性」と言ったのですが、もっとよく向き合ってみると、それは「若さ」どころか、どこか「幼さ」すら感じさせます。
一般的に菩薩というのは腰がくびれていて、その腰を少しひねっているのが一般的です。
その起源はインドから伝わったようなのですが、敦厚の莫高窟の菩薩像なども実に妖艶なスタイルをしています。
莫高窟を訪れたのはもう四半世紀も前なのですが、もしかしたら、仏像を見るのが嫌いではなくなったきっかけがそれだったかもしれません。
また、国内でも、勝林寺の十一面観音の腰のくびれとひねり方は莫高窟の菩薩達に近いかもしれません。
さすがに、ここまで「女性」を意識させる造形は国内では少ないのですが、それでも殆どの観音菩薩は女性を意識させる腰のくびれとひねりを身にまとっています。
ところが、それらと較べれば、室生寺の十一面観音はゆったりとした衣を身にまとっているためか寸胴体型であり、ほぼ直立不動の姿勢で立っています。それは、勝林寺や莫高窟の菩薩と較べれば明らかに「幼さ」を感じさせます。
さらに、この十一面観音はやや頬をふくらませて唇をすぼませている表情にも特徴があります。
これは、オフィシャルにはアナバーナサチという「釈尊の呼吸法」を実践している姿で、その唇から有り難い法力を吹き出している姿を描いているらしいのです。その証拠が胸の下にくっきりと横に二本の線だそうです。
この呼吸法では、息を殆ど吐ききると横に一本線、肺の中の息を全部吐ききると二本線が刻まれるそうです。
日本の仏で二本も線が刻まれているものは珍しいとのことです。
しかし、この表情が先に述べた全体の幼さと合わさると、有り難い法力と言うよりはどこか拗ねているような感じを受けるのです。
仏様が拗ねているというのは罰当たりもいいところなのですが、まあ、そう感じてしまうのですから仕方がありません。
正子もこの表情にはひっかったようで、彼女はそこに密教的な重さ、何かに耐えているような姿を見たようで、さらに有名な「天平の夢は醒めた」という言葉を残しています。
白洲正子という人は自分が感じたことであれば、それが世間の通説とどれほど異なっていても遠慮なくその考えや思いを表に出した人であり、また、その言葉に余計な説明を加えない人でした。ですから、彼女がこの十一面観音に「天平の夢が醒めた」事を感じとったならば、それ以上に何の説明も加えないのです。
読み手は、いささか置いてけぼりになったような感情にとらわれて、その十一面観音に「貴方はどんな夢を見ていたの」と問いかけてみたくなるのです。
そうすると、彼女は「そんな事、私は知った事じゃないわよ」と拗ねてみせたりするのです。
やはり、私は罰当たりなのでしょうか。
“博物館などにおさめられてしまっている仏像などはどうしようもないのです。とりわけ「美しい仏」であればあるほど、博物館に押し込まれている姿を見るのは忍びないものがあります。”
全くそのとおりだと思います。これは別に仏像だけの話だけではなく、キリスト教美術も同じ。もしシャルトル大聖堂の”美しきガラス窓の聖母子”が取り外されてルーヴル美術館に展示されていたら感動は半減するでしょう。