京都南部の本当に小さなお寺~観音寺
京田辺市にある小さなお寺、観音寺の本尊として祀られているのが「木心乾漆十一面観音立像」です。
観音寺は正式には「大御堂観音寺」と言い、かつては七堂伽藍は連ねる大寺院だったのですが、今は本当にここに国宝の仏像がおさめられているの?と訝しく思うほどの小さなお寺になってしまっています。
京都南部の山深い地にひっそりと建っているお寺なのですが、最近はすぐ近くに同志社大学の「七道伽藍を連ねた」ような「壮麗な」キャンパスが建ってしまっています。しかし、お寺のまわりだけは昔ながらの静けさの中にあるので、出来ればいつまでもその環境が残ることを祈ります。
観音寺の十一面観音は、聖林寺の十一面観音を見た音がある人には「あれっ?」という感じがするでしょう。
そうです、まさにその2つは「相似形」なのです。
確かに大きさは随分と違います。
聖林寺の十一面観音は高さが約209センチメートル、それに対して観音寺の十一面観音は約172㎝です。
差は47センチメートルなのですが、実感としては倍近く違うような感じがします。
それだけ、聖林寺の十一面観音は見る者を圧倒する姿をしていると言うことです。
しかし、じっくりと観音寺の十一面観音を拝見していると全体の形がそっくりなことに気づくのです。
左右両手のポーズも同じですし、水瓶を持つ左の手の高さも同じです。
さらに、よく見てみると頭の天辺からつま先までのプロポーションの比率もほぼ同じような気がします。
さらに、いささか専門的になりますが、「木心乾漆」という製作法まで同じです。
初期の天平仏は「脱活乾漆(だっかつかんしつ)」という技法を用いることが多いのですが、後期になると貴重な漆を節約するために「木心乾漆(もくしんかんしつ)」と言う技法が主流となります。
聖林寺と観音寺の十一面観音は、ともに「木心乾漆」という技法で作られているのです。
「脱活乾漆」とは簡単に言えば土で塑像を作り、その上から漆に浸した布を重ねていく手法です。
布を貼り付けては乾燥させ、さらにその上から漆に浸した布を重ねていきます。
立像の場合だとこの作業を十回程度繰り返すので大量の漆が必要になります。当時、上質な漆は金と変わらぬほどに高価でしたから、個人レベルの資金で制作することは不可能でした。
これに対して、「木心乾漆」の場合は土の塑像ではなくて木彫で原型を作り、その上から漆と木屎漆を直接塗り付けて仕上げをします。
この方法だと漆に浸した布を何重にも張り重ねるという行程を省けますので大幅にコストダウンが可能です。
つまり、「脱活乾漆像」から「木心乾漆」への切り替わりは、仏像の制作が国家事業から個人レベルの事業に切り替わったことを示しているのです。
そして、この二つの十一面観音が相似であることは、おそらくは全く同じ仏師による制作だと考えられるのです。
聖林寺の十一面観音は天武天皇の孫である智努王が願主だと推測されています。
観音寺の十一面観音はそれよりもスケールダウンしていますから、資金力が皇族よりはスクールダウンした人物が願主だったのでしょう。
美しく優しい仏
しかし、スケールダウンしたことによって、聖林寺の十一面観音とは異なる魅力を持つことになったのは幸いでした。
やはり二メートルを超す聖林寺の観音は偉丈夫です。
そして、表面の剥落が進んでいるので、その表情には厳しさが漂っています。
それと比べると、ほぼ等身大の観音寺の観音には女人の優美さを感じます。
そして、保存状態がよくて傷みも少ないので表情はどこまでも美しく優しさに溢れています。
立ち姿は女性であり、その精神もまた女性です。ただしその女性の面立ちにはどこか幼さが残る面立ちでもあり、その幼さのようなものがこの観音の最大の魅力かもしれません。
ただ、一つだけ困ったのは、ここの住職の方が非常に熱心な方で、この観音像とお寺の縁起などについて詳しくお話をしてくれるのです。
有り難いことではあるのですが、出来れば静かに観音像と向き合いたい私のようなものにとっては、いささか困ったことではありました。
ただ幸いだったのは、女性三人組の先客がおられて、あまり乗り気でない私のようなものは途中でほっぽり出してくれて、その三人組にお話を集中していただけた事です。
こう言うときは、どのようにお声掛けをすれば失礼にならずに済むのでしょうか。