オーケストラ、それは我なり―朝比奈隆 四つの試練

“「引退するには早すぎる」それが、93歳まで現役の指揮者として大阪フィルを率いた巨匠・朝比奈隆の最後の言葉だった―『嬉遊曲、鳴りやまず』で斎藤秀雄を描いた著者が、朝比奈本人と80余名への取材で綴る決定版評伝。”

オーケストラ、それは我なり―朝比奈隆 四つの試練
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大阪でクラシック音楽を聞こうと思えば大フィルしかありませんでした。そして、大フィルと言えば朝比奈でした。もちろん、秋山和慶や外山雄三もよく指揮台にあがっていましたが、それでも大フィル=朝比奈でした。
ただし、その頃の(今でも・・・?^^;)大フィルは馬鹿でかい音はでるもののアンサンブルはグチャグチャの下手くそなオケでした。私たちはよく、「根性と気合いの大フィル」なんていっていました。
でも、秋山が指揮台にあがるときは結構縦の線がそろっていて、やれば出来るんだ!等と言い合っていました。その頃の大阪でクラシック音楽をそれなりに聴いていたものは、「朝比奈が指揮台から降りない限り大フィルの向上は無いだろう」と言い合っていたものです。
ただ、不思議なのは、80年代以降、朝比奈が東京での指揮活動を活発に行うようになり、衰えが酷くなるのに反比例して人気が急上昇していったことです。
「東京の人間には音楽を聞く耳がないのか?」などとよく冗談を言い合っていたものです。
それでも、文化不毛の地と言われた大阪にクラシック音楽を根付かせた朝比奈の功績は大きなものがあります。それゆえに、大阪のクラシック音楽ファンは朝比奈をあまりにも日常的に聞き続けることができすぎました。ですから、大阪の人間は朝比奈のカリスマ性よりは無い物ねだりの欠点ばかりが目についたのかもしれません。
しかし、みんな口では悪口ばかりいながら、まるで自分の身内であるかのように朝比奈のことを愛していました。それに、誰が何と言っても、彼のブルックナーだけはホントに素晴らしかったです・・・から。
この本は巻末にあるように、大フィルサイドからの強い要望で書かれたものです。そして、驚くことに、朝比奈のカリスマ性に寄りかかった「ヨイショ本」ではなくて、朝比奈の持つ卑小さも偉大さもひっくるめて、その等身大の姿を描き出すことを要望したようです。
大阪では、朝比奈が絶頂の頃でも、彼の「困った面」はよく噂にあがっていました。例えば、宇宿允人に対する仕打ちもよく話しにあがっていました。この本には、当初はかわいがっていた宇宿が大阪文化祭賞を受賞するや否や、その事を告げにきた宇宿を家にも上げず、さらには翌年の契約も更新せずに大阪から追い出した話なども正直に書かれています。
そして、この本にはその手の話は満載ですが、それでも、そう言う人間的な弱さ、悲しさが赤裸々に描かれているが故に、逆に朝比奈の偉大さが浮かびあがってきます。
おそらく、この本は、愛憎入り交じる朝比奈と大フィルの関係が根っこにあってこそ出来た朝比奈伝だと思います。おそらく、朝比奈をもっとも憎んでいたのが大フィルならば、彼をもっとも愛していたのも大フィルだったと言うことです。
おそらく盲目的な朝比奈ファン(凄く多い!!)には我慢のならない本だと思いますが、個人的には最近読んだ本の中ではかなり刺激的で面白い一冊でした。

2 comments for “オーケストラ、それは我なり―朝比奈隆 四つの試練

  1. user4807
    2009年2月5日 at 10:58 PM

    本当によく聞いた朝比奈さんのことが出ていましたので、ちょっとお邪魔を。
    人間だれしもでしょうが、特に指揮者にもなろうというほどの者でしたら、「困った面」がないわけがなく、フェスやシンフォニーホールの内外で、楽員に複雑な表情を見たこともやはり多々ありました。おっしゃるように、彼と大フィルとの関係は、愛憎が入り交じったそれ、としか言いようがないのでしょう。
    今回の伝記によって、そんなプラスもマイナスもあらためて確認できるのは、なかなか興味深いことではあるのですが、むしろ彼と大フィルの演奏のブレ幅の大きさ、つまり、聴き手に我を忘れさせるほど上手くゆく時と、とてもプロとは思われないようなとんでもない演奏になる時の落差について、徹底的に書いてくれる人を待ちたいと思います。朝比奈のサウンドと演奏の秘密は、彼の日々の癖や好みのレベルを超えて、きっとその辺に潜んでいると、私は睨んでいるのです。
    (ところで、大フィルもやればできる!との件がありましたが、95年の2月定期のグレイトの棒を見て、人間いくつになってもやればやっただけの進歩があるじゃないか!と感じたくらいですから、きっと私は晩年の活動に寛容な方なんだと思います。)

  2. ユング君
    2009年2月7日 at 11:15 AM

    >人間だれしもでしょうが、特に指揮者にもなろうというほどの者でしたら、「困った面」がないわけがなく、フェスやシンフォニーホールの内外で、楽員に複雑な表情を見たこともやはり多々ありました。
    全くその通り、いわゆる「天才」というのは世間的には実に「困った」人が多いようです。ある人に言わせれば、クラシック音楽の歴史は「人格破綻者の群れ」・・・だとか。(^^;
    ただ、朝比奈に関して、どうしても許せないと思ったのは、その最晩年にNHKが放映したベートーベンの交響曲チクルスです。
    演奏は部分的にいいところはあっても、明らかに朝比奈の集中力が持続できていないことがあきらかなものでした。そして、終演後にガックリと肩を落として「もう、だめだ!」とうめくように呟く朝比奈の姿も流すという、実に「残酷」な見せ物に仕上げていました。
    いったいどういう意図でこんな演奏会を放送したのかと、義憤にも似たものを感じたものです。長年にわたって朝比奈との関係の悪かったNHKが、最後の最後に仕返しでもしたかったのか?と勘ぐりたくなったほどでした。
    ああ、やっぱり、私も朝比奈を愛していたのか・・・。

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