“著作権はいつまで保護されるべきなのか。著作権保護期間の延長問題について、理論的整理と客観的な事実を示し、憶測に基づく主張やごく例外的な現象を大勢とみなすような議論を見直す。”
著作権保護期間―延長は文化を振興するか?
図書館の新刊書のコーナーに並んでいて、副題の「延長は文化を振興するか?」に思わず手が伸びました。(^^。
まだ半分ほどしか読んでいないのですが、実に面白い論点、視点が示されています。
ともすれば、感情論になってしまいがちな著作権の保護期間に関する問題において、これほど明確な視点とそれに基づいた膨大な実証的データを提供してくれる書籍は他には記憶にありません。
ポイントは実に明確です。
著作権の保護というのは、創作者の利益と受益者の利益が相反するように見えるところに問題があり、その結果として両者の間の感情的な議論に収斂してしまう嫌いがあります。
ですから、話がその様な感情論に陥らないように、ここでは徹底的に経済学的な損得勘定で割り切ろうと主張しています。
つまり、
保護期間の延長によって得られる利益
と、
パブリックドメインになることによって得られる利益
を秤にかけて、より多くの利益をもたらす方に軍配を上げようという主張です。
そのために著者たちは、現行のままなら今後10年間で保護期間が切れる著名人をリストアップし(昭和物故人名録より1957年?1966年の物故者約3674人中、著作のあった人物1710人)、その著名人の手になる書籍を国会図書館のデータベースから拾い出します。(37,989点)
そして、それらの書籍が生前に何点出版され、さらには没後10年、20年、30年、40年、50年と、10年刻みで出版された本をピックアップしていきます。
つまり、創作者の死後、出版するだけの商業的価値がある人が減少していく様をデータを元に冷徹に見つめようというのです。
その結果は驚くべきものです。
死後も著作が出版されるのは全体の半分!!にしか過ぎません。
つまり、物故録にのるような有名人であっても、死去と同時に半数の人は消え去ってしまうのです。そして、その「忘却」という作業は、年を追うにつれて過酷となり、死後40?50年近くたった2007年段階ではこの1710人の人間の著作はわずか608点しか出版されていないのです。
さらに、驚かされるのは、その608点の中の約半数に当たる出版物はわずか20名の人間の著作によって占められているのです。(さらに、絞り込むと、上位9人で全体の3分の1を占めます)
これらのデータは、著作権という名の下に膨大な文化的遺産が死蔵されていく事実をリアルに浮かび上がらせていきます。まさに、著しい寡占と膨大な文化的遺産の死蔵という事実が浮かび上がってきます。
さらに驚かされるのは、このわずかな「勝ち組」のように見える人たちでさえも、その大部分の著作は出版されず死蔵されていると言う事実です。割合だけで比べれば、このベストセラー作家の方が死蔵率は高いのです。
つまり、死後50年が経過して出版される著作というのは、勝ち残ったごくわずかの人の、ごくわずかな「売れ筋」の著作だけであり、そう言う著名な作家であっても「売れ筋」ではないその他多くの著作は日の目を見ることなく死蔵されているのです。
つまり、保護期間の延長は、一見すると多大なる利益を享受するように見える「勝ち組」でさえ、その大部分の著作が死蔵されてしまうと言う「負の側面」と裏腹なのです。
はたして、創作者としての立場からこの事実を見れば、彼らは果たして保護期間の延長を臨むでしょうか?おそらくは己の命を削るようにして生み出した多くの著作が死蔵されてしまうことと引き替えに保護期間の延長を臨むでしょうか?
おそらく、
著作権の保護期間の延長(50年から70年へ)によって利益を受けるのはこのわずかな「勝ち組」の遺族だけでしょう。
しかし、遺族がその創作者の文化的・芸術的価値の正当な継承者ならば、結果としてその作品の大部分が死蔵されてしまう事となる保護期間の延長に賛成できるのでしょうか?
これは実に重い問いかけです。
さらに、これに続く章では、パブリックドメイン化によって様々な翻案やパロディ化によって新たな富を生み出す現実が紹介されていたり、EUやアメリカにおいて、いかに杜撰な論議で保護期間の延長が決定されていった経緯なども紹介され、実に興味深い本です。
著者は、この本は著作権の保護期間の延長に関して考えるための資料を提供するだけで、結論は押しつけないと断っています。
しかし、この資料だけで充分です。
パブリックドメインの問題を考える上では必読の書といえるでしょう。