ピリスの引退コンサートに行ってきました

ピリスの引退コンサートに行ってきました。シンフォニーホールです。

マリア・ジョアン・ピリス

プログラムはオール・ベートーベンで、その組み合わせは「引退コンサート」とは思えないほどに意欲的なものでした。

  1. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 Op.13「悲愴」
  2. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 Op.31-2「テンペスト」
  3. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調Op.111

「悲愴」は言うまでもなく初期ソナタの一つの到達点を示す作品ですし、「テンペスト」はそう言う初期ソナタの時代を突き抜けて新しい道に進むことを表明した作品です。
そして、作品111のソナタは言うまでもなくベートーベンの最後のソナタです。

そう言う意味で、これはベートーベンの初期、中期、後期を一回のコンサートで概観するようなものですから、演奏する方にとってはかなり大変ではないかと思いました。
そして、その演奏はどれもこれも素晴らしく、とりわけ「テンペスト」は絶品と言えるほどの演奏でした。

それは、おかしな話ですが、ピリスというピアニストの存在は消えてしまって、心底ベートーベンってのは凄いなと思わせてくれる演奏でした。
こういう音楽ってどこかで聞いたことがあるような気がするなと思いを巡らせていて思い至ったのがイヴ・ナットの録音でした。

ただし、ナットの全集は60年以上も前のモノラル録音なので、ピリスのピアノが描き出す多彩な色彩のパレットを感じとるのはいささか難しいです。
もしかしたら、生で聞いても、ナットにはこの豊かな色彩のパレットはなかったのかも知れません。

風のような軽やかな響きがあるかと思えば、低声部のうねるよう厚みのある色彩もあり、場合によってはエッジをしっかりと立てたクッキリとした色彩もあります。そして、そう言う色彩は作品の内部構造への解釈という裏付けで使い分けられています。
ですから、どんな鈍な聞き手でも、ピリスのピアノはベートーベンという男の生み出した音楽の仕掛けが見えるかの如く提示してくれるのです。

聞くところによると、ピリスはポルトガルの片田舎で隠者のような生活をおくっていて、約束をして会いに行っても畑に行ったまま帰ってこないと言うこともよくあるようです。そんな彼女がビジネスとしてピアノを演奏していくことに嫌気がさしたのが今回の引退のきっかけだという話を聞いたことがあります。

残念と言えば残念な話なのですが、そう言うわだかまりも今回の引退表明で吹っ切れたのか、ステージ上のピリスの姿は神々しいほどでした。いつもは仏像観賞用に使っている双眼鏡で惚れ惚れとピリスの演奏姿を眺めておりました。
おかしな喩えかも知れませんが、今回の引退コンサートはボクシングならば世界チャンピオンのまま引退を表明したようなものです。

引き際としてはこれほど見事で美しいものはありません。

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