このサイトを始めたのは一番下に「Copyright(C) 1998~2018 Blue Sky Label.All rights reserved.」と表示しているように1998年でした。
その年の11月にこのサイトを立ち上げていますから、あと数ヶ月で20年が経過します。
1998年と言えばまさにインターネットの黎明期で、普通の人がはじめて情報の発信者になるアイテムを手に入れた時代でもありました。ですから、クラシック音楽に関するサイトも次々と登場しはじめていました。
私が一番大きな影響を受けたのはスギタさんという方が立ち上げておられたジョージ・セルに特化したサイトでした。そして、それが一つのきっかけとなってこういうサイトを始めるようになったのです。
そして、その数年後に、青空文庫というサイトに触発されてパブリック・ドメインとなったクラシック音楽の音源を配布するようになりました。
今でも覚えているのですが、一番最初にアップしたのはクナッパーツブッシュ指揮のブルックナーの4番でした。こんな演奏時間が1時間を超えるような古い録音を聞く人なんているんだろうかと思ったのですが、予想をはるかに超える好意的なメールをいただいて、その結果として今日に至っているわけです。
しかしながら、振り返ってみれば、そう言う黎明期にサイトを立ち上げた方で、今もしぶとく更新を続けている人は殆どいないですね。
そう言う意味でも、少しは自分で自分を褒めてあげてもいいかなとは思います。
では、どうして今まで続けてこられたのかと自分に問いかければ、二つの答えが返ってきそうな気がします。
一つは、おかしな話ですが、10年を超える父と母の介護生活があったからかもしれません。
あの生活の中で、仕事とも介護とも関係のない時間が自分の中にあったと言うことは一つの救いでした。たとえ、10分でも20分でも音楽を聞くということは救いだったのです
そして、それを聞いて感じたことを文章にして更新すると言うこともまた、仕事とも介護とも関係のない救いの時間だったのです。
そして、もう一つは、これもまたおかしな話かもしれないのですが、サイトの更新は目的ではなくて、一つの結果だと割り切っていたから続いたのかも知れません。
私にとって音楽というものは、それについて書くよりは聞く方がはるかに楽しい時間でした。そして、そうやって聞いた音楽の中から紹介したい録音があれば、それに簡単な文章をつけて紹介するというスタンスを取り続けてきました。
もしも、この関係がひっくり返っていれば、つまりは、サイトを更新するために音楽を聞くと言うことをやっていたら、おそらくは20年は続かなかっただろうと思います。
調律師の世界を描いた「羊と鋼の森」という小節の中で、和音がピアニストを目指す決意を述べる場面で次のようなやり取りが描かれていました。
和音は「ピアノで食べていける人なんて一握りの人だけよ」と不安を口にする母親にこう言い切ります。
「ピアノで食べていこうなんて思っていない。」
「ピアノを食べて生きていくんだよ。」
そこまで立派なものではなくても、それでも私にとっても音楽は生きていく上でなくてはならないものであり、「音楽を食べることで、何とか今日まで生きてこれた」という思いはあります。
おそらく、自分が聞きたいと思う音楽だけを聞き続けるという我が儘なスタンスを貫いてきたからこそ、20年もサイトを維持し続けてこれたのだと思います。
ですから、多くの人からぜひともアップしてほしい録音があると言ってリクエストをいただくのですが、残念ながらそのリクエストにはお応えできないことの方が多いのが実態です。
ただし、それは決して無視しているわけではなくて「なるほどそう言う演奏と録音もあるのるのだな、いつか聞いてやろう」と、頭の片隅には留めています。
しかし、今の私がそれを聞いてみたいと思わなければ、どうしても後回しになってしまうのです。
それに、なんといっても60年代の録音がパブリック・ドメインに仲間入りするようになってからは、パブリックドメインの世界は「パブリック・ドメインの海」とでも言いたくなるほどの広がりと深さを持つようになりました。
そんな広い海を前にして、あっちに行ってほしい、こっちにも来てほしいという声に応え続けていれば、いつかはその海で溺れてしまいます。
ですから、これからも気の向くままにこの海を泳いでいくのが一番いいんだろうと思っています。