何とか緊急事態宣言は終わったのですが、あれやこれやのイベントや集まりが全て中止になって大変な2ヶ月間でした。
そこで、その有り余った時間を活用して再開したのがアナログ・レコードのデジタル化です。
これがやり始めてみるとなかなかに面白くて、さらには「いい音」ってなんだろうと言うことをあらためて考えさせられました。
私は常々、音楽ソフトの中に入っている情報は全て聞き取りたいというのが基本ポリシーで、出来る限りの高解像度を目指してきました。しかし、2年ほど前に体調を崩した事がきっかけで、どうにもそう言う「音」には疲れを感じるようになってきました。
その結果として、気づけばアナログ再生の時間が少しずつ増えてきていることに気づきました。人間というものは、意識しなくても本能的に自分にとって心地よい方向に行動を変容していく生き物のようです。
そして、アナログ・レコードのデジタル化を始めて見ると、アナログで聞いたときの「音」と、それをデジタル化したときの「音」を嫌でも聞き比べをすることになります。
当然の事ながら、理想とするのは「アナログの音=デジタル化した音」です。
しかし、これが従前のシステムでデジタル再生すると微妙に違いがあります。さらに、同じ演奏をCD音源で聞くとその違いはさらに大きくなることにも気づきました。
はてさて、これはどうしたことかと思念をめぐらせて思い至ったのは、アップサンプリングの功罪でした。
試しに一切のアップサンプリングをやめてデジタル化した音源を聞くとアナログ再生の時の音にかなり近づきます。さらには、CD音源のファイルを再生すると、これもまた明らかに情報量は減っているように思うのですが、鳴っている音はアナログ・レコードの再生時にかなり雰囲気が近くなります。
おそらく、病気で体調を崩す前ならば、こういう情報量の少なくなった音は否定したのでしょうが、今はこういう音でゆったりと音楽を楽しむ方が心地よくなっています。
つまりは、「いい音」などと言う絶対的な基準などはこの世には存在していなくて、結局はその人の、その時の心や体により沿って一番心地よく聞こえる音が「いい音」だと言うことなのでしょう。
当たり前のことですが、己の価値観を絶対化して、それを他者に押しつけることの愚かさにあらためて気づかされました。
そう言えば、最近はワクチン接種をめぐって論議が賑やかです。
私自身はあれこれ考えた結果として、夫婦で揃って接種をすることに決めました。おかげで、かかりつけの病院で2回の接種を追えてちょうど1週間が過ぎたところです。
2度目の接種時には副反応に随分と気を使ったのですが、結果として接種翌日に少しの倦怠感と軽い頭痛があったくらいで、その翌日にはもとに戻っていました。
ただし、この判断はあくまでも私たち夫婦の価値観に基づく判断であって、当然の事ながら、様々な理由でワクチン接種は見合わせると言う判断があっても当然だろうと思います。
職域接種ではワクチン接種を見合わせたい人への不利益な扱いが問題になっているようですが、出来れば様々な考えがあって当然だという社会であってほしいと思います。
しかしながら、そう言う個人の判断ではなくて社会全体として判断が求められることもあります。
オリンピックをめぐる問題などはその際たるものでしょう。
こういうときは、個人レベルではいろいろな考えがあってもいいかと思うのですが、最終的に多数の民意に添って最終判断が下される必要はあると思います。
そう言う民意を無視して一部の利害関係者の思惑で事が決まる社会というのは、ハラスメントが横行する社会と同じくらい不幸な社会ではないでしょうか。
最後の最後ですが、こういう土壇場でも中止を求める声は届けられるようです。
http://chng.it/ZMxVcNCLns
私も若い頃は結構オーディオにお金をかけていましたが、今では1台数万円のミニコンポに落ち着いてしまいました。これは極端な例かもしれませんが、歳とともにいい音を追求する気力がなくなってしまうのでしょうか。
ワクチンの件ですが、私の住んでいる市では60歳から64歳までは7月12日に接種券が送られてくる予定です。かかりつけのクリニックで打てると良いのですが。
ユング様におかれましては、決してご無理をなさらずに気長に取り組んでいけたらと思います。
アップサンプリングの話は興味深く読ませていただきました。
所詮人間の耳はいい加減なものと、私は捉えているのでハイレゾオーディオが
本当に良いのか疑問を持っています。特にオーディオ機器はオカルト的な
要素が強いので。色々音を良くする方法は、本当に変わる場合もあれば
プラシーボ効果で良い音になったと思いこんでいる場合も。
結局は自己満足の世界で、他人に悪影響を及ぼさなければ好き勝手すれば
良いと思います。この辺りはyungさんと同じ意見です。
私は60年以上オーディオには関心があり、現在でも全くの無関心と言うほど枯れた心境でもない未練たらしい気分を引きずっています(昨今の所謂ハイレゾやアナログ回帰については概ね否定的…或いは懐疑的ではありますが・・・)。一方で、技術的変化・進歩(?)と言う外的環境変化と年齢変化に伴う身体的・心理的変化という個人的・内的変化の関係についてもアレコレ考えるとソレ自体おもしろいな~・・・と思うことも多くあります。例えば私自身に関して、老化に伴う聴覚劣化・・・特に高音聴覚の劣化は自分でも自覚しているにも関わらづ、音楽を聴くという行為に伴う心理的・感覚的変化についての劣化の自覚は殆ど無い・・・と言うか寧ろ若いころよりももっと敏感になっている、と言う自覚さえある(無論、こういう自覚自身老化による耄碌効果に過ぎないという可能性は無視できませんが・・・^^;)。
私は常々”オーディオ=化粧”説を唱えているのですが、例えばオーディオ業界の広告・宣伝文というのは、表現・ロジックが化粧品広告のそれととても良く似ている。カタカナ表現による疑似専門用語もどきの多用、一見明確な原因と結果の因果関係の提示のように見えて実際吟味すると内容的にはほぼトートロジーに等しいロジック構成、極端なまでの個別・環境要因を無視した敷衍化・・・etc. etc.。そして、ソレを受け取る我々の反応もまたよく似ていて、言われて見ればソンな気もする・・・イヤ確かにソウだ、理屈は一応通っておる(確かにトートロジーは全て正しい!!)、私の美意識も論理判断にも間違いは無い(??)、etc. etc.と、誤解、プラシボ、思い込み、勘違い、疑心暗鬼、満載の世界で、これも又化粧品の世界とよく似ている(・・・様な気がする)。
オーディオの世界はこういう供給側と需要側の誤解と騙しあいの狐狸世界の様にも見えるのですが、でも狐も狸もただの幻想・幻覚・・・よ言う訳でもなく確かに生きている生き物であるのと同じ様に、オーディオの怪しげな闇鍋の世界にも騒がれるほど大幅でもなく実際は微々たるものかも知れませんが確かに一片の”変化(良い変化か碌でも無い変化かの判断は別)”とソノ積み重ね言う現象があって、その変化の原動力はこの狐と狸の闇鍋自身から生じている。まあ、一種の瓢箪から駒なのだとも言えるが、なんだかんだ言ってもソレ等がオーディオ世界にある種の活気を与えて変化の無い死んだ世界に陥ることを防いでいる・・・・と言う側面はあるし、その変化を老人も享受すること自身は必ずしも悪いことじゃぁ~ない。その点でも、例えば幾ら年を取ったからと言って女性が化粧する意欲をなくすより、(例え虚構であっても)少しでも化粧して綺麗に見せたい・・・と願う心理を保つ方がいいんじゃないかと(少なくとも私は)思うのと似て、私もオーディオにも未だ未練は持って一片の興味は保ちたいとも思う昨今ではあります。
いつも良い音楽ファイルをアップしていただきありがとうございます。Mac mini+Audirvanaで楽しんでいます(wavに変換して)。
アナログレコードのデジタル化ですが、一つ、前から気になっていることがあります。同じ音源でも、アナログレコードからデジタルファイル化したものと、CDをリッピングしたものとでかなり音が違う、一般的にいってやはりアナログからのファイルの方がアナログらしい音がして好ましいということです。聴いているのは同じデジタル信号なのにどうしてかなあと、電気知識皆無の身なもので不思議です。自分でも、手持ちのレコードからデジタル化したことがあり実感しました。あまりにも手間がかかりもうやっていませんが (それにつけても膨大な作業を長年続けられているユングさんのご尽力には、感謝とともに驚きです)。
もう一つ、最近「世界的なアナログの復権」が言われていますが、これについては少々疑問です。たしかにアナログの音の良さはありますが、そればかりだとなんといっても1970年代くらいまでの音源にほぼ限られてしまい、新しい演奏の音楽が聴けないからです。それでいいというのならそれはそれでありでしょうが、オーディオだけでなく広く深く音楽を楽しむ上ではどうなんでしょうね。PCオーディオの便利さは貴重だと思います。すぐ聴きたい曲を探せるだけでなく、同じ曲を違った演奏で比較してみるなど、アナログやCDプレーヤーでは厄介です。
ありきたりですが、やはり音ではなく音楽こそが命でしょう。老音楽愛好者のつぶやきです。