漸くワクチン接種も始まって、私も無事に予約が取れて少しはホッとしているところです。皆様方はいかがでしょうか。
それにしても、高齢者だけでなく、国民全体にワクチンが行き渡るのはいつのことになるのでしょう。現実的に見れば未だ先は見えない状況です。
さらに言えば、例え個人的にワクチンの接種がすんでも、国内での感染が押さえ込まれるまでは基本的な感染対策は続けないといけないでしょう。
何しろ、この国は「自助」が基本らしいので、自分の命は自分で守るしかありませんから。
それにしても、この状況下でのオリンピック開催の議論には怒りを通りこして笑うしかないようです。
一国の首相は「安心安全」という呪文を繰り返すだけですし、IOCは日本の世論に関係なく開催するとか、日本人独特の粘り強さに期待するとか、果ては緊急事態宣言下でも実施するとか、信じがたい発言が次々と飛び出します。
要は「精神論」ですね。
「精神主義と根性主義は無能者の隠れ蓑」と言ったのは司馬遼太郎でした。司馬は旧日本軍の愚行と愚作にたいしてその言葉を残したのですが、まさに今の状況はオリンピックを目指して一億玉砕の決意でのぞめと精神主義を振りかざしているのでしょう。
そこで、ある人から聞いて笑ってしまった話があるので紹介しておきます。
オリンピックのシンボルマークと言えば「五輪のマーク」です。
五輪のマークは「青」「黄」「黒」「緑」「赤」の五色で出来ています。
そこから、一般的には「安全」がイメージされる「青」を取り除くと、「黄」「黒」「緑」「赤」の四色が残ります。
そこで質問です。
この「黄」「黒」「緑」「赤」の四色は何を意味するでしょうか?
答えは「トリアージ(命の選別」で使われる色です。
- 赤:最優先治療群(生命が危機的でいますぐ治療が必要)
- 黄:待機的治療群(処置に数時間の余裕がある)
- 緑:軽症群(生命の危険がなく外来で十分)
- 黒:死亡群(すでに死んでいたり救命の見込みがない)
あまりにもうまくできた話なので笑ってしまったのですが、つまりは現状のパンデミック下でオリンピックを開催すれば、医療現場でトリアージを行わなければいけない状態になることを五輪のマークは教えてくれているのです。
ですから、本当は笑っている場合ではないのです。
それにしても、オリンピックって何なんでしょうね。
今回のこのドタバタの茶番劇であらためて分かったことは、アスリートたちの努力や感動的な戦いという美しいラッピングをはぎ取ってしまえば、それに包まれているのは金と欲という腐臭にまみれた汚物でしかないと言うことです。
そうであるならば、これからはオリンピックというものがこの世界に必要なものなのかどうかと言う根本的な問いかけが必要なのかもしれません。
おそらく、オリンピックが生き残るためにはラッピングを綺麗にりるつけることに力を注ぐのではなくて、それに包まれている「腐臭漂う汚物」を浄化するしかないはずです。
言われること、良く分かります。
科学技術立国を目指す日本で、科学的データを無視した精神論、笑って
しまいます。
それに五輪自体も、昔はアマチュアスポーツの祭典の筈が、プロ選手の
戦い、又は将来プロとしてやっていく上ので試金石の世界になっている
ことを思うと、五輪の価値に疑問を持ちたくなります。
結局、お金をもっている者が強いということに。
音楽の世界でも、コンクールというものはどうでしょうね。
若い音楽家にとって自分を売り込む最高の舞台ですが、クライバーンの
ようなケースは決して幸せではないと思います。お金に翻弄されるだけ。
どう考えるかは、人によって色々とは思いますが・・・
私もまったく同感です。日本人の世論調査では約半数の人たちがオリンピックに反対しているではありませんか。つまり、東京オリンピックは祝福されざるものになっているのです。こんな状況のなかで、
オリンピックを強行しようとする日本政府とIOCの「蛮勇」には、あきれるばかりです。
こんな様子では、今後オリンピックに立候補する都市がほとんどなくなってしまうのではないかと危惧します。
IOCの会長がまたまた「東京大会を実現するために、我々はいくつかの犠牲を払わなければならない。(そうすれば)選手は夢を間違いなくかなえることができる」と発言したようですね。
彼らの心の中を正しく表現すればには「東京大会を実現するために、我々はいくつかの犠牲を払わなければならない。(そうすれば)我々は金を間違いなく手に入れることができる」なんでしょうね。己の邪心をかなえるために「選手」というラッピングを持ち出すのはいつもの手段です。
きっとご先祖のバッハも嘆いていることでしょう。
日本人には「ご先祖様に顔向けできない」という「祖先神信仰」が存在しているのですが(それも、最近は薄まっていますが)、そう言うのはヨーロッパのような一神教の国にはないのでしょうね。
各競技の世界大会が頻繁に行われている中、オリンピックの存在感は希薄です。商業主義に染まるオリンピックは廃止、不要でしょう。国民は政治に無関心、投票も恐ろしく低率、何も行動を起こさない国民。民度が高いはずでは?
。民度がたかいはずでは?
政府は、尾身会長の厳しい指摘にもかかわらず、オリンピックを強行しようとしています。これでは日本国のメンツを立てるために「五輪ありき」を押し通そうとしているとしか思えません。
こうなったら、いっそのこと菅総理はじめ五輪関係者のお手並み拝見と参りましょうか。
皆様はワクチン接種は進んでいるでしょうか。私の方は幸いにして5月中に1回目の接種ができ、2回目の接種も3週間後に確保してくれていました。
ワクチンを接種したからと言って感染対策は今まで通りにしないと駄目だとは思うのですが、いささかは「安心感」が増すことだけは確かです。
そう言う意味では、断崖絶壁に向かって目を閉ざして突っ込んでいく姿を高みの見物するのもいいのですが、その結果としてとんでもない事態が引き超され多くの人々が惨事に巻き込まれるリスクが非常に高くなることは間違いないので複雑な心情です。
おそらく、今となっては国民と国際社会に向かって正直に本当のことを言うべきでしょうね。
このコロナ禍でオリンピックをやる目的は「希望と勇気を世界中にお届けできる」ではなくて、主に以下のの3点であると・・・。
まずは金、そしてふたつめが金、最後に重要なのは金だ!
そして、「金と命を天秤にかければ金の方が大事なのか!」と問われれば、それも正直に答えるべきです。
「Yes Of course!」
そこまで正直に言ってくれれば諦めもつくというものです。
それがいかに苦い真実であっても虚言よりはましです。