寄りかからない

立春も過ぎてこのブログの最新記事がいつまでも「新しい年がスタートしました。」ではまずいだろうと言うことで、多くの方々にはほとんど興味はないでしょうが、管理人の近況報告などをしておきます。

まず第一には「オミクロン株」の爆発的感染で日々の生活の様子が全く変わってしまったことです。
デルタ株の時は大阪南部の我が住まう街では月に最高で300人程度でした。人口は10万人を少し超えるくらいの街ですから、まあそれほど切迫感はありませんでした。
ところが、今回の第6波では連日100人を超える新規感染者が出ています。これは人口比に置き換えれば大阪府内の平均と変わらないので、いくら「重症化はしにくい」と言われていても、どうしても家に引きこもらざるを得ません。

幸いにして3回目のワクチン接種は1月の末に済ますことが出来たので多少の安心感はあるのですが、朝起きたときに喉に少し痛みのような違和感などを感じたりするといささか不安になったりします。
多くの人がいっていることですが、今回の「オミクロン株」の流行は感染しなくてもメンタル面へのダメージが大きいようです。

と言うことで、今までも音楽を聞いて引きこもっていることが多かったのですが、その程度がさらに増してしまいました。
1月の末からは明日香の万葉文化館で行われる講座にも欠席の連絡をしてしまいました。万葉文化館の講座は事前申し込みをして抽選で参加者を絞り込んでいるのですが、やはり大阪から奈良へ行くのはいささか気がひけます。とは言え、今になってみると奈良も連日1000人を超える新規感染者が出ているので、そこまで記を使う必要はなかったかななどと少しばかり後悔しています。

次にあげておきたいのは、今までは聞かずに放置していた音源を片っ端から聞いていて、それなりの発見があったと言うことです。
とりわけ驚いたのは、晩年の演奏は技術の衰えで故に惨憺たるものだったと言われているミッシャ・エルマンの録音が、世間で言われるほどには悪くないことに気づいたことです。

エルマンの晩年については否定的な評価が定着しています。
その際たるものが、Deccaのプロデューサーだったカルショーの次のような記述でしょう。

キルステン・フラグスタートに働きかけて引退から復帰させたことはフランク・リーの主要な業績である。しかし、彼の発想がいつもこの水準にあるわけではなかった。例えば、キャリアの晩年にあったミッシャ・エルマンにヴァイオリン協奏曲をを弾かせる試みなどは、惨憺たる出来と言うべきだった。

さらには、

また、Wikipediaにも「長く録音活動も続けたエルマンのレコードの中で聴くに値するのはモノラル録音時代までとされており、ステレオ録音時代に残した録音は・・・いくつかの小品の録音以外で聴く事はお勧めできない」等と記されています。

しかし、エルマンはハイフェッツなどに代表される「新即物主義」的な音楽環とは全く異なった世界観のもとで音楽をやっています。それを、そう言う即物主義的な方からだけ眺めて、その尺度に合わないからと言って切り捨てるのはいささか度量が狭いと言わざるを得ないなぁと・・・思った次第です。
とは言うものの、私もまたそう言う一般的な評価に寄りかかって今まで実際に聞いてこなかったのですから偉そうなことは言えません。

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

確かに、晩年のエルマンには技術的な衰えは否定できません。しかし、技術というものはあくまでも手段であり目的ではありません。
大切なものは音楽そのものです。
エルマンの技術だけに目を向ければ不満だらけでしょうが、その様な中でも彼が死ぬまで演奏活動をやめなかったと言うことに思いを致し、そこに彼が求めた音楽を聞こうと思えば、また違ったエルマンの姿が見てくるのです。

考えてみれば、他者の評価に右往左往して己の耳と目を信じないというのは愚かなことです。

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

そんな時にふと目にしたのがこの茨木のり子の「倚りかからず」でした。
心だけは他者に寄りかかっちゃいけないですね。

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