新しい年は2024年という事で、ふと昨年は2023年で、これって素数だったんじゃないか、等という実につまらぬ思いが浮かんできた元旦でした。
2023は明らかに2,3,5では割り切れませんが、次に7で割ってみると見事に割り切れます。出てきた数値は289です。そして、次にこの281ってのもまた実に素数っぽい顔立ちです。
そこでまたまた手計算、明らかに2.3.5で張り切れません。そして7でも割り切れず、11も駄目13も駄目、と言うことでなかなかに手強い。ところが17で割ってみると、見事に割り切れて出てきた数値がこれまた17です。
つまり昨年2023年を素因数分解すると、
2032=7×17×17
という実にきれいな形に分解できることに気づきます。
世に「ラッキー・セブン」などと言う言葉があるのですが、そのラーッキーとされる7が3つも登場するのにその御利益は全くなかったようです。どうやら、「ラッキー・セブン」には何の根拠もないようです。
ついででながら今年の2024年は素数でないことは明らかです。常に2で割り切れる偶数が素数になることは「2」以外には存在しません。
そこでこれを素因数分解していくと、2で割ると1012、さらに2で割ると506、さらに2で割ると253になります。さて、この253が直観的には何で割り切れるのか判断できずまたまた手計算、2,3,5は明らかに割り切れず、7も駄目、しかし11だと割り切れて出てきた数値は23.
素数でないことは自明でも、いざ素因数分解をするとなるとなかなかに大変です。
と言うことで、今年2024年を素因数分解すると
2×2×2×11×23
となります。
だからどうしたという話なのですが、年の初めからこんな事をメモ用紙に向かって鉛筆を動かしている私は何と平和なことかと呆れるやら、感心するやらです。
ちなみに、私も昨年の12月に誕生日を迎えて年齢が素数になりました。
ちなみに、さらにしつこく計算を続けて見ると、次に素数になるのは2027年で、その次は2029年なので、何と次回の素数数年は「双子素数」であることが分かり、なんだか妙な充実感に包まれました。まあ、ネットで調べればすぐに分かることですが、それをやらずに手計算というアナログな手法でやることには不思議な魅力がありますね。
とまあ、何とも平和な元旦の朝であります。
今年もまた、自分のペースと好みに合わせてポチポチとサイトの更新は続けています。
旧年に変わらぬご厚意を心からお願いします。
クラシック音楽の話題でないとコメントがつかないというのもなんだかなと思いまして、あのその、雑談を少し…
先日、小4になる娘(予想外の妊娠で授かりまして、孫娘ではありません…)が、算数の問題がよく分からないというので説明したのですが、いわゆる鶴亀算でした。Aさんがノートを何冊、ペンを何本、合計いくら、Bくんが云々、さてノートとペンの単価は?というものです。いや中国の片田舎の公立小での話です。
前に記事(日本の教育は中国より遅れている?算数の教科書に見る「解答」)にも書いてご紹介したのですが、「日本の中学3年生は、中国の小学4年生レベル! 『日本の「中国人」社会』 | J-CAST BOOKウォッチ」にあるように、「読みながら気分が滅入ってきた。日本は遠からず、中国に抜かれるに違いないと思ったからだ」という話もあったりします。
なんだお前、また殴り込みか?そういう戦闘的な気構えだから、お前にはベートーベンやモーツァルトをはじめとする純正統おクラシックの良さが分からないんだ!みたいにお感じになられてしまう常連の大先輩の皆様もおられるかもしれないのですが、わたし自身は敢えて(この敢の用法は中国語の本来の用法から来ているようです。反対語:不敢=躊躇する)敬愛する管理人様には、こんな話題の振り方をしてしまってもきっと大丈夫だと安心しきっていたりします。
で何が言いたいのかというと、管理人様は少なくとも素数年の67歳つまり小生より10歳前後上ですのでなおさら敬愛していますという話はもとより、数学も音楽も他の学問も、すべては普段何気なく接している諸々が、とどのつまり結構すごいよね面白いよねということになっていて、毎日宿題に苦しめられている(中国の子どもたちの宿題漬けは有名です…)小4になる娘もそれに気づく日がやがて来るし、まして初老のわたしたちは、そうした諸々への好奇心とは言わずとも、関心なり教養なりがあっていいんじゃなかろうか、みたいに思うわけです。
で肝心のクラシック音楽に話を戻すと、わたし自身この年になってこちらのサイトにめぐり合い、クラシック音楽(およびレコード芸術つまりクラシック音楽の録音および再生)って結構すごいよね面白いよねとの認識を新たにさせていただいています。まあその、感謝してます、ということなんですが。
#というか正直、このクラシック音楽という名の奇麗事は大戦という現実に至り瓦解したという従来の認識が、実はそもそも、それほど奇麗事ではなかったということを管理人様の秀逸な楽曲解説を通して知り得て、クラシック音楽って結構すごいよね面白いよねと感じ入っています…
2024年のスタートがまさかの大震災だとは・・・。言葉もありません。
能登は妻の母、私から見れば義母の故郷です。と言うことは、今もたくさんの親戚がいるというわけで、1月2日にになってようやく七尾市に住まう全員と連絡が取れて胸をなで下ろしました。さらに、幸いなことに全員が家に異常もなく、断水は続いているものの電気は通じていると言うことで、さらに安心をしました。
七尾では2年前の5月にも震度6強の揺れがあったのですが、今回の地震の揺れはその時とは比べものにならないほどの凄まじさだったそうです。
震度計の数値は1年半前の揺れと同じ震度6強を示しているのですから不思議な話です。
しかし、それは、いわゆる科学文明がもたらすデータなどと言うものがいかに頼りにならないものかと言うことを教えてくれています。
人の無力をあらためて見せつけられるたびに、そんな事ってどうでもいいことだと思わずにはいられません。
それだけに人間の愚かさで引き起こされるつまらぬ争いで命をなくす人だけはなくしたいものです。
日本では反中国感情を煽る人がいて、中国でも反日本感情を煽る人がいる。そして、そんな話に乗せられて踊る人がいる。それって実に「不自由」な人たちです。
日本も中国も漢字文化の国です。
「自由」という文字は「自らに由る」です。自分の責任で物事を見つめ、自分の責任で是非を判断する。
そう言う「自由」な人がいてこそ愚かな争いで命を失う人をなくすことが出来るのではないか、等とかっこつけてる場合ではないですよね。
それにしても今回は本当に震災への対応が遅い。新年会なんかハシゴしてる場合か!!
なんと、ご親族に直撃だったのですね… 大変失礼いたしました… 幸いご親族には断水以外は何もなかったとのご報告を、共にお慶びしつつ。
#とはいえ、他の方々は…
「それだけに人間の愚かさで引き起こされるつまらぬ争いで命をなくす人だけはなくしたいもの」というのは、全く同感です。そんな愚かさを自作のアニメに込めたかったという人もいらっしゃいましたが、結局娯楽止まりというのもなんだかな、と正直思ったりもします…
#ところで仰られている「自由」なのですが、ここでまた雑談をさせていただけるなら(というかもうしてますごめんなさい)、ここ(つまり中国)の交通法規はすごいです… 何がすごいのかというと、違反をするとここそこにあるカメラで写した写真が即届くそうで、専用アプリで通知を受けて罰金の支払いをするのですが、点線でなく実線の車線を踏んだだけであっという間に100元から200元(1500円から3000円、日中の物価の格差を考えると2倍ないしは5倍ぐらいの価値があります)がふっとんでしまうそうです… 毎日の運転がまるで地雷をよけながら走るレースゲームのような感覚である一方、どうりで中国の皆さん、運転が優しいなー、やっと理由が分かりましたよー、なんです…
新年会のハシゴ… 日本はそうなのですね… 一体何と申し上げたらいいのか…