おもしろきこともなき世を

もう2月というのにトップがいつまでも「旧年に変わらぬご厚意を心からお願いします」ではないだろうと言うことで、最近の私の心に浮かぶよしなしごとどもを幾つか。
とはいえ、「旧年に変わらぬご厚意を心からお願いします」と書きながらも、書いている内容は素数がナンタラカンタラと、これ以上はないほどの「よしなごと」なので今さらなのですが、タイトルが変わるだけでも意味があるでしょうか。、

「よしなしこと」と言えば、誰もが徒然草の書き出しの一文を思い出すことでしょう。

つれづれなるまゝに、日くらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

新しい録音をアップするときにいつも頭を悩ませるのが、その録音に対する私の思いというか、評価というか、まあそれほど立派なことを書いているわけではないのですが、作品の紹介と合わせて出来る限り客観性を保つように努めてきました。
しかし、最近はいささかその様なスタンスに疲れてきました。
もちろん、作品の紹介に関しては音楽史なども踏まえてそれなりの客観性を保持する必要はあります。しかし、演奏に対する思いなんてのはもっと主観的なものでいいのではないかと思うようになってきました。もっとも、今でも十分に主観的しょうという声も聞こえてきますが…。
確かに、個々の演奏を評価するときにはその背景に多くの演奏の歴史があるのであって、それらがいわゆる「演奏様式」というものを作りあげているのですから、それを無視して主観に徹することはおかしいというご意見もあるでしょう。しかし、そう言うのって書く方からすると疲れるし、楽しくないし、さらに言えば読む方にしたってむしろ退屈なんですよね。

年をとることの一番の喜びは、自分のやりたくないことはやらず、やりたいことだけやるというわがままが許されることです。
現役で働いているときも私はかなり我が儘でしたが、流石に限度というものがあります。しかし、現役を離れてしまえば自分の肩に何の看板も背負う必要もなくなるのですから、好き勝手やらせてもらっても最後は自分で責任をとればすむ話です。
ですから、演奏に対する私の思いは、兼好法師に倣えば「つれづれなるまゝに音楽を聞きて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば」いいと言うことです。

おもしろく・・・なのだ。それでいいのだ!!

それにしても、いろんなことがあった一か月でした。
「世の中は思うにませぬ」という至極当たり前の言葉がしみじみと身に沁みました。
それだけに、「世の中は思うにませぬ」が故に「私もまた世の中の思うようにはならないぞ」という思いもこみ上げてきます。そういえば、中島みゆきの歌の文句に同じようなのがありましたかね。

とかくままならぬ世の中を前にすれば、諦めが先に立ってしまいます。しかし、それでもその先に大きな口を開けて待ち構えている「絶望」という大きな物語に飲み込まれてはいけません。
そういえば、高杉晋作は「おもしろきこともなき世をおもしろく」と詠みました。

せめて自分とその周りだけでも、そういう小さな話として少しでも面白くなるようなことを積み上げていくのが「粋」というものでしょう。
もしかしたら、高杉晋作にしても最初からあんなにも大きなことをしでかそうとして「おもしろきこともなき世をおもしろく」と詠んだわけではないのかもしれません。おそらく酒でもあおりながら、このどうしようもない世の中を少しでも面白くしてやろうと粋がっているうちに思わぬ場所ににまでたどり着いたのかもしれません。

まあ、私の「おもしろきこともなき世をおもしろく」は、間違ってもそんな大きなことになるはずはないのですが、せめて自分だけは面白く生きて行ってやると粋がってみたいのです。
明日は立春です。

6 comments for “おもしろきこともなき世を

  1. kashmir3+4
    2024年2月3日 at 1:02 PM

    > 年をとることの一番の喜びは、自分のやりたくないことはやらず、やりたいことだけやるというわがままが許されることです。

    本当にそうですね。年を取るのも悪くないです。

    • yung
      2024年2月3日 at 7:40 PM

      それもまた、食うに困らないからでしょうね。
      しかし、世の中には食うに困らないのに年をとっても背負った看板を下ろそうとしない人もいますね。ご苦労様なことだと思います。
      それとも、看板を下ろさなければ世の中は思うようになるのでしょうか。まさか・・・ね。(^^v

      • kashmir3+4
        2024年2月4日 at 12:51 PM

        老齢になって背負う看板は「良くも悪くもこの私」で良いように思います。そして、多くの場合、その看板だけで食べていくことはできるようです。おもしろきこともなき世を、「大きな看板」に対して(例えば世界中の人々に対して)おもしろくすることはとても難しいです。しかし、「良くも悪くもこの私」に対しておもしろくすることは、それはできるように思います。

  2. yung
    2024年2月4日 at 4:15 PM

    「良くも悪くもこの私」でいられるってことがすごく幸せなんですよね。現役で働いているときは、「良くも悪くもこうあるべき」という縛りからは基本的に抜け出せないですから。
    今週も友人と一緒に別の友人宅を訪れてオーディオと音楽に話を咲かせる予定です。なんという贅沢!!

  3. R100RT乗り
    2024年2月12日 at 12:20 PM

    タイトルを見て思いました。小澤征爾さんと漢字で書くよりも、アルファベットでOZAWAと書いたほうがふさわしいようです。

    私が二十歳前後のころに、クラシック音楽を本格的に聞き漁りだしたころの情報源はFMでした。金の無かった私にとってはFM雑誌とFM放送(エアチェック)が音楽(クラシックもポピュラーも)の柱であり、たまに買うレコードは廉価版ばかりでした。小澤氏がボストンSOの指揮者となってしばらくたった頃でしたが、クラシック界は大曲ブームとなり、マーラーとブルックナの新譜(LP)がどんどん出てくるようになった頃でした。私はその頃悪い先輩のせいで、ブラスバンドにどっぷり浸かっていましたが身の程知らずに指揮を引き受けました。小澤氏の恩師の斎藤秀雄氏が指揮法の大家で本を書いていると聞き、斎藤さんの本を購入して読みふけりました。小澤氏の本が次々と文庫化されて読みふけったものです。当時は、小澤氏は現代音楽の大家であり、ストラヴィンスキーやメシアン、日本人の武満徹などと交流があり信頼も篤かったと聞いていました。

    その頃だったのかもう少し後だったのか記憶が曖昧なのですが、FM放送で、ヨーロッパのオケ(どこか忘れました)を振った幻想交響曲で曲の最後の部分を解説者が「普通だとごちゃごちゃになるところが、小澤氏の指揮で聞くと整然となっている」と言われていたことや、ウィーンフィルで春の祭典を振った時には「ウィーンフィルらしからぬキリっとした演奏」等と評価されていた記憶があります。(どこかにエアチェックしたカセットがあるはずですが。) 

    当時は小澤氏の指揮のテクニックのすごさとして評価されたように思いますが、後で知ったことですが、ウィーンフィルで春の祭典を振るときは事前にウィーンフィルがどこらで「もたつく」かを他の演奏を聴いて研究していたそうです。小澤氏のすごいのは、指揮のテクニックとかではなく、そこに至るまでの人の何倍もの努力を一生継続したことだと思います。音楽も遊びも、いつも全力だったと何かに書いてありました。

    80年台の後半に社会人となり忙しくなったこともあり、それ以降は音楽を聴く時間も激減し、同時に(yung氏と同じ様に)小澤氏や音楽全般への関心が薄れてしまいました。

    (これもyung氏と同じで)再び小澤氏に関心を寄せるようになったのは、サイトウキネンオーケストラのCDが沢山出るようになってからです。そこには、かつての響きの美しさとは違うものを感じました。また、小澤氏と作家の村上春樹氏との共著が出たりして何度も読み返したものです。(ただ、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」が「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に名前が変わったときはちょっと「?」な感じでしたが。)

    2010年頃から風貌もだいぶ年齢を感じさせるようになりましたが、昨年あたりの車いす姿の小澤氏は少々痛ましく感じました。村上春樹氏だったともいますが、「そんなに無理をしてまで音楽をしなくても良いじゃないかと思うが、小澤氏にとっては音楽は生きるということであり、彼から音楽を取ったら生きていけない」というような意味(曖昧な記憶ですみません)のことを書かれていましたが、まさに音楽を続けるエネルギーが潰えたのだろうと感じます。ながなが勝手なことを書きましたが、こうしてみると僕は小澤氏に結構どっぷり浸かっていたと思います。

    年頭の投稿で「最近はいささかその様なスタンスに疲れてきました」と書かれていましたが、疲れないように好きなようにお書き頂くのが良いと思います。このサイトでいろんな演奏を紹介していただき曲を知るだけでなく、知らない演奏家も聞いて聴き比べる楽しみも覚えましたが、「ああ、そうだったな」とか「へーそうなのか」と解説やブログも楽しく読んでいます。吉田秀和氏のことがたまに出ますが、学生時代に吉田氏の本を読み漁った私は、懐かしく楽しく読んでいます。いつの記事か忘れましたが、ヘルシンキフィルの来日のことが書いてありましたが、FMでの放送をすべて録音しましたが、初めてシベリウスの交響曲を聞いた時でした。yung氏の個人的な思い出でも、ここに来る人はそれを共有している人も多いと思います。私の意見としては、今後は今後はどんどん私感的なことも書いてください。ここはyung氏のサイトですから。

    • yung
      2024年2月12日 at 7:56 PM

      今日、夕方のウォーキングの最中に時々あいさつを交わす人と久しぶりに出会いました。いつものように和服姿で、今日はさらにいっそうきりっと引き締まった和装だったので思わず話し込んでしまいました。
      聞いてみれば、今日は老人施設への慰問で踊りを披露してきたとのことです。老人施設への慰問て、あなたは確か80代の半ばだったのではないでしょうか。もっとも背筋をぴしりと伸ばして和服で歩いている姿はとてもそんなお歳には見えません。

      踊りは若い頃からされていたそうで、今もこうして踊りを習い、人前で披露するのが何よりの幸せだそうです。気が付けば、そんなことやあんなことで20分近くも道端で話し込んでいました。
      自分にとって好きなことがあり、それを好きなようにやれるのが何よりの幸せです。そして、そういうわがままを許してくれるだけのお金さえあれば十分です。
      年を取って金儲けや権力争いに血眼になっている人ほど愚かで醜いものはありません。

      「R100RT乗り」さん(バイクが好きなんですね!!)のお言葉に甘えて、私もまたさらに好き勝手度合いを強めて、わがままにいかせてもらいます。

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