“モダン楽器小編成オーケストラ「モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ(現カメラータ・ザツツブルク)」による表情豊かでキビキビしたアンサンブルが心地よい演奏を大量に収録したお得なボックス・セット。”
セレナード&ディヴェルティメント集 ヴェーグ&ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ(10CD)
個人的には、このモーツァルトは大好きです。なんの気負いもない自然体の演奏でありながら、至る所からモーツァルトその人の素顔に出会うことができます。其の素顔は悪戯っぽい微笑みであったり、茶目っ気ったぷりの愛嬌であったり、そして時にはフッと悲しみの影がよぎったりします。
それは、喩えてみれば、木の葉の間から光と影がチラチラと交錯するような微妙なアワイの中に存在するようなものですが、それが時にグッと胸に迫るような瞬間があったりします。
あまり、『昔はよかった』みたいな言い方はしたくはありません。しかし、こういう類の音楽が聞けなくなってきたことも間違いありません。
なぜならば、こんな音楽というものは、ヴェーグと言う「絶対的存在」と、その「絶対的存在」に全身全霊を捧げて献身するオケと言う関係があって初めて成立するような音楽だと思うからです。
言うまでもないことですが、そのような関係は指揮者の地盤沈下とオケのレベルアップによって絶滅してしまいました。
もちろん、ヴェーグがこの録音をしていた時も、普通のプロオケと指揮者の間ではそんな関係はほぼ絶滅していました。ですから、ヴェーグは自らの教え子を中心にこの手兵のオケを編成して、自らの意志を実現しようとしたわけです。
そういう意味では、この音楽はアナクロニズムの産物かもしれません。しかし、結果は『わたしが聞きたかったモーツァルトってこんな音楽だったんだ!!』と納得させるだけの力をもっています。
私の手元にあるこのコンビのCDは新星堂が特別にリリースしたものです。
その当時としては一枚1000円と安かったので、とりあえず買い込んでおいたものでした。ですから、そのまま聞かずに長く積んでいたのですが、それが何かの機会に聞いてみてその素晴らしさに驚かされ、慌てて残りのCDを入手しようとした時には市場から消えていた・・・というシリーズでした。
よって、ダブリ率は50%を切っています。
これは迷わずに『ゲット』でしょう・・・ね。
本当に素晴らしい演奏です。
甘いだけでは無くて、酸いも苦いも表現されています。
オーケストラは立体的に鳴ります。
六楽章制のディベルティメントは、交響曲に匹敵します。
私もこれを何度でも聴いています。
最近CDショップで見ないので不思議に思っています。
ヴェーグって天才だと、アンドラーシュ・シフが言っていました。
天才って年齢じゃないのだなあと、私も思います。
日本の優秀なヴァイオリニストの誰かさんが、留学して半年はヴェーグの言っている内容がちっとも分らなかったと白状していました。
自分がヴェーグの言うことが分かるレヴェルに達するのは、しばらくかかったのだそうです。
様式がどうだとか、スケールがどうだとか関係ありません。
素晴らしい演奏です。
アイネクライネは、ちょっと緻密さに欠けた感じがするけれど。