それでも私はCDを買い続けるでしょう

CDの売り上げの落ち込みが止まらないようです。最盛期だった1998年に比べると、昨年は半分にまで落ち込んだそうです。
そう考えると、毎年数百枚のCDは確実に買い込んでいる私などは、盆暮れにレコード会社から付け届けがあってもいいのではないかと思うのですが、残念ながらそのようなことは一度としてありません。
この落ち込みは、CDというパッケージソフトがダウンロードというデータに取って代わられつつあることが最大の原因だと言われています。しかし、「取って代わられる」だけなら、ダウンロードからの収入がCDの落ち込みを補填してくれそうなものなのですが、現実はそうはなっていません。
業界の中には「違法配信」を槍玉に挙げて、その摘発に力を入れる向きもあるようですが、「違法配信」を根絶やしにしてもCDの売り上げが回復することはないでしょう。
事の本質はそんなところにはないのです。
音楽産業を支えてきたのは若者世代です。
ところが、昨今の若者世代は、明らかにCDを買わないのです。
世間では、彼らのことを「消費しない世代」と言って訝しげな目を向けています。
私がこのことを実感として気づいたのはこの数年のことです。
毎年入ってくる新人諸君の雰囲気が明らかに変化してきたからです。
高度成長の残り香が未だ漂うなかを生きてきた30代の人間とはある種の等質性を感じられたのですが、20代の諸君は明らかに異質です。
なにせ、お昼に誘っても、「弁当持ってきましたから」と言いますからね。
彼らは自動車も買わないし、ブランド品にもあまり興味がないし、1500円以上のランチなんかも食べないのです。高度経済成長の中を生きてきた吾らの世代とは価値観の基本が異なる世代らしいのです。
しかし、賢明なるユング君は、そんなことを持って「今の若い連中は・・・」などとは言いません。ユング君もまたフクダ君と一緒で、「自分自身を客観的に見ることができるんです。」(旧い・・・^^;)
彼らの「消費しない」生活スタイルに日々接していると、その裏返しとして、私たちの世代がいかに恵まれた環境の中で生きてきたのかという事を、今さらながらに気づかされます。気づかないやつがいれば、それは鈍感に過ぎます。
おそらく1950年代の中頃に生まれた吾らが世代というのは、もしかしたら『人類史上例がないほどに恵まれた世代』かもしれません。
もちろん、吾らが生まれ落ちた時、日本はまだまだ貧しかったです。決して恵まれた環境の中に生まれ落ちたわけではありません。
しかし、そこをスタートラインとして、私たちの世代の大部分は努力し頑張ることによって、間違いなく明日は今日よりも豊かになり、そのことを通してそれぞれが『自己実現』をはかることができました。
よく、人は「努力をすれば報われる。」と言います。
しかし、この言葉は一般的には「嘘」です。
努力すれば報われることもあるけれども、報われないこともあります。どれほど真摯に努力を積み重ねても、そのことだけを持って結果を期待できるほど人生は甘くはないのです。
ところが、そんな「あり得ない」ことが、かなりの割合において「あり得た」のが、私たちの世代でした。
これほどの僥倖があったでしょうか。
そんな吾らの世代と比べれば、今の20代ははるかに辛いのです。
彼らにとっての明日とは、かなりの割合で今日よりも状況は悪化するというのが基本なのです。明日と今日を比べてみて「現状維持」ならば御の字です。努力すれば報われるなどとは夢にも思っていないけれども、努力しなければスタートラインにも立てないことはよく分かっています。
ですから、バスや電車で不都合がなければ自動車はなくても苦にならないし、ホットモットのお弁当で十分おいしいのに、なぜにランチに1500円もかけるのか理解に苦しむのです。(ちなみに、最近、若い連中がお昼につきあってくれないので、はじめてホットモットのお弁当なるものを一緒に買い込んできて職場で食べました。そして、注文してから作ってくれるホットモットのお弁当は今までのコンビニ弁当の概念を覆すほどにおいしいことを知らされました。さらに、とっても安いのです。・・・ちなみに、私は決してホットモットの回し者ではありません^^;)
ましてや、聴きもしない曲がいくつも入っているCDなんか、よほどのお気に入りでもなければ彼らは買わないのです。
さて、このあたりで心を落ち着けてこの二つの世代を比べてみましょう。
長い人類の歴史の中においてみれば、より「普通」に近いのはどちらでしょう。
世間では(世間とは一般的に発言力と政治力のある中堅・年寄り世代と同義語です)、この20代の若者を「消費しない世代」として不思議がる論調があふれています。しかし、そんなレッテルを貼って不思議がっている吾らの世代が「人類史上例がないほどに恵まれた世代」だと気づいてみれば、実はおかしいのは消費しない20代の若者ではなくて、吾らの方がおかしいのではないかという気がしてきます。
毎年、私は数百枚のCDを買い込みます。
しかし、実際に聞くのはその半分、いや、もしかしたら三分の一程度かもしれません。原因は安売りのボックス盤です。
10枚セットで買い込んで、聞きたいのはその中の2?3枚という事はざらにあります。結果として、聞きたいCDだけを聞いて、残りは棚に死蔵されるというパターンなのですが、このことを全く怪しむ気配が私の中にはありません。
そして、怪しむ気配がないので、懲りることもなく毎年何百枚もCDを購入し続けているわけです。
まさに、消費しない世代から見れば「阿呆の極み」でしょう。
そう考えると、今までのCDの売り上げ枚数の方が、そう言う希有な世代によって支えられていた「異常な数字」なのであって、この10年間の急激な減少の方こそが「正気を取り戻した数字」かもしれないのです。
だとすれば、レコード会社は売り上げの回復に躍起になるのではなくて、現状を「正気」に戻ったものとして受け入れるのが正しいスタンスかもしれません。
精神疾患の一つに「精神分裂」という病がありますが、その基本は「自明性の喪失」だそうです。誰もが何の説明もなしに自明のこととして受け入れられることが、その病を持った人にとっては自明でなくなるそうです。
今の日本社会は高度成長とその破綻という二つの時代を背景にした二つの世代によって成り立っているのかもしれません。それは、思い切った表現をすれば「世代間精神分裂」に陥った社会だと言えそうです。
吾らにとって自明のことは20代の若者にとっては自明ではないですし、同じように彼らにとって自明なことは必ずしも吾らにとっては自明ではないのです。
今後10年、20年が経って、彼らが主流になり吾らが傍流になれば、日本の社会の姿は全く異なるものになっているのかもしれません。そして、このCDの売り上げの大幅な落ち込みは、基本的に若者世代によって支えられていた産業だけに、他の分野に先駆けて変化が起こっているのかもしれません。
しかし、たとえそうなっても、私はこれからも何百枚もCDを買い続けるでしょうし、1500円のランチも食べたいと思うでしょう。
なぜなら、生きるという行為においてそうすることの必然性と必要性は吾らにとっては「自明」のことだからです。
おそらくこれからはずいぶん厳しい時代にはなるような気がします。しかし、それでも明日は「何とかなる」とつぶやき続けているような気がします。
なぜならば、それもまた、吾らにとっては「自明」のことだからです。

3 comments for “それでも私はCDを買い続けるでしょう

  1. アジアの放浪者
    2010年9月1日 at 10:27 AM

    なかなか羽振りのよい優雅な生活を送っておられる様子ですね。
    しかし、アメリカさんのデフォルトや我国のハイパーインフレが心配ではありませんか?

  2. PhiloSophia
    2010年9月2日 at 8:47 PM

    yungさん、こんにちは。
    私は、30代前半の者です。
    文章を拝読しまして、いろいろなことを考えるように、促されました。
          ◇ ◇ ◇ ◇
    精神疾患における「自明性の喪失」ということについて、私は次のように思いました:
    おそらく、yungさんが、この言葉で指し示されていることと、
    現象としては、同じことだと思うのですが、
    観察の「起点」を変えた方が、本質がより「理解」しやすくなるのではないかと、私には思われます。
    統合失調症(かつての精神分裂病)の、症状のひつの典型は、「病識」の喪失です。
    これは、自分が「異常な」精神状態にあるということを、みずから自覚できなくなってしまうというものです。
    たとえば、症状としての妄想です。患者さんは、妄想が「妄想であるということ」を、自覚できなくなってしまいます。それが、どれ程異常な「考え」や感覚であってもです。またそのこと(i.e. 異常な妄想であるということ)を他人が、いかなる方法で指摘して説得を試みても、患者さんの「考え」を訂正することができません。
    言い換えますと、健常者にとっては、「自明」からは程遠い「異常」なことがらが、
    患者さんにあっては、訂正不可能で「自明」なことがらになってしまう、というものです。
    これを、健常者側から見ると、「 "自明なこととして受けいられるべきこと" が "自明でなくなってしまう" 」というように観察されるのではないかと思われます。
          ◇ ◇ ◇ ◇
    yungさんがご指摘されているような、「自然に希望を抱くことの困難さ」は、
    教育現場で深刻なようでして、私が大学にいた頃(10年ほど前)にも、
    教育関係の仕事をされている先生方が、しきりに訴えていました。
    そこでは、「立身出世のメカニズム」としての「教育」が崩壊しつつある、ということが指摘されていました。これと本質的に同じことが、社会構造の変化として、今の日本で起こっているのではないかと、私には感じられます。
          ◇ ◇ ◇ ◇
    最近は、街中で、アジア系の人たちをたくさん見かけるようになりました。
    彼らに話しかけたりしてみて、印象深く思うことは、海外の若い人たちの方が、
    はるかに、生き生きとした、よい表情をしているということです。
    ( 彼らのほうが、日本人の同世代の人たちとくらべて、圧倒的に「貧しい」はずです。)
    これに対し、中途半端に「高等教育」を受けた日本人たちの表情は、美しくないことが多いです。
    この国の将来は、大丈夫なのかと、暗鬱たる気持ちになることが時々あります。
          ◇ ◇ ◇ ◇
    私も、「それでも私は希望する」と言い続けていくと思います。
    ( お金、あまりありませんが、CDも買い続けるでしょう。。。)
         

  3. クライバーファン
    2010年9月4日 at 12:16 AM

    この記事を見て、たまにはCDでも買うかという気がおき、
    フラグスタートのEMIの5枚組みCDを注文しました。
    2500円というとても高い買い物でした!
    ありがとうございます。
    ところで、聴かれず棚に置かれているだけのCDというのも
    気の毒なものです。せっかく家に来ていただいたCDなので
    一回ぐらいは再生されて、音楽を奏でさせてあげるわけには
    いかないものでしょうか?

アジアの放浪者 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です