なぜかこの数ヶ月、是非とも紹介したいと思えるようなCDの発売がトンとなくなってしまっています。もっとも、私が紹介したいと思うのはほとんどが50?60年代の録音なので、おそらくはそのあたりの激安ボックス盤のネタもつき始めてきたのかもしれません。
かと言って、いわゆる「新譜」と呼ばれる録音にもあまり興味をひかれるものがないので、ますますネタが尽きてきてしまいます。
そこで、新発売ではない「旧譜」の中から、私の好きな録音をポツポツと紹介がてらの無駄話などをしていきたいと思います。
まずはじめはこれです。
ベートーベン:ピアノ・ソナタ全集 グルダ
この全集は私が初めて買ったベートーベンのピアノソナタ全集でした。
なぜにこれを買ったか?
理由は簡単でして、AMADEOレーベルなるところから発売されていたこの全集が一番安かったからです。(それでも1万円ぐらいしたでしょうか。昔はホントにCDは高かった)
ただ、買ってみて少しがっかりしたことも正直に申し上げておかなければなりません。なぜなら、その当時の私の再生装置では、なぜかピアノの響きが「丸く」なってしまって、それがどうしても我慢できなかったからです。
しかし、再生のメインがCDプレーヤーからPCへと移行していく中で、意外としゃっきりと鳴っていることに気づかされて、そのおかげで久しぶりに全体の半分ほどを聞き直してみました。その感想は、エクセレント!!の一言に尽きるものでした。
HMVのキャッチコピーを見ると「録音から既に長い年月が経過していますが、その間にリリースされた全集のどれと較べても、全体のムラのない完成度や、バランスの見事さ、響きの美しさといった点で、いまだに優れた内容を誇り得る全集だと言えるでしょう。」と書いています。一昔前のCDプレーヤーで聞いていた時なら、「バランスの見事さ、響きの美しさ」などと言う評価には全く同意できなかったでしょうが、今ならばかなりの程度納得のいくものとなっています。
この全集が録音されたのは1967年です。
1967年と言えば、未だにバックハウスは健在であり、ステレオ録音による全集の完成に向けて精力的に活動していた時期です。さらに、もう片方の雄、ケンプも2年前にステレオ録音による全集を完成させたところでした。そして、こういう仕事は疑いもなく、シュナーベルやフィッシャーなどから引き継がれてきたドイツ的なベートーベン像をしっかりと引き継いだものでした・・・おそらく・・・。そして、それ故に彼らのソナタ全集は多くの聞き手から好意的に受け入れられ、その結果としてメジャーレーベルから華々しく発売されることになったのです。
そう言うお仕事の間に、このグルダの全集を置いてみると、いかにも場違いな感じがします。全体としてみれば早めのテンポで仕上げられていて、シャープと言っていいほどに鋭敏なリズム感覚で全体が造形されています。そして、ここぞと言うところでのたたみ込むような迫力は効果満点です。
ですから、人によってはこの演奏を「軽い」と感じる人もいることは否定しません。たとえば、HMVのコメント欄を見ていると「この演奏は音楽の深さや重さを教えているものではなく、極めて口当たりの良い軽い音で、しかも気軽に聞けるように作り直しているからこそ、今日偉大な演奏と評されているのではないだろうか?」と言う評価を見つかりました。
おそらく、この全集が発売されたときは、大部分の人がそのような「否定的」な感想を持ったのだろうと思います。それ故に、この全集は「AMADEO」なるレーベルからしか発売されなかったのでしょう。
しかし、ベートーベンはいつまでもバックハウスやケンプを模倣していないと悟れば、このグルダの録音は全く新しいベートーベン像を呈示していることに気づかされます。つまり、シュナーベルから引き継がれてきたドイツ的(何とも曖昧な言葉ですが・・・^^;)なベートーベン像だけが「真実」ではないと悟れば、このグルダが提供するベートーベン像の新しさは逆に大きな魅力として感じ取れるはずです。たとえば、「重く暑苦しい演奏は数あれど、ここまで見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェンは初めてです。」という評価は、そのあたりのヨロコビを実に簡明にしてかつ率直に語ったものだと思います。
そして、今回この全集をじっくりと聞き直してみて、私もこの評価に全面的に賛成です。
聞くところによると、このジャケットデザインのセンスが皆無と思われるボックス盤は、「AMADEO」からリリースされたものよりは音質がかなり改善されてるらしいです。さらに、このボックス盤には協奏曲の方も全曲収録されていて(12CD)、3741円という格安です。
バックハウスやケンプでは重苦しい、アシュケナージなどでは物足りないという方がおられましたら、一度は聞いてみて損のない録音だと思われます。
拙宅でもこの演奏のレコード全集を所有し、現在も時々聴いております。
他のベートーベン、ピアノソナタ全集に比べ安かったのも確かでしたが、それ以上に『レコード芸術』付録の別冊で最も評価が高かった事が購入動機となりました。
出谷氏の評価で、イチオシでしたね。
30番やテレーゼ等が特に気に入っています。
Jung様の次のコメントについて、
「おそらく、この全集が発売されたときは、大部分の人がそのような「否定的」な感想を持ったのだろうと思います。それ故に、この全集は「AMADEO」なるレーベルからしか発売されなかったのでしょう」
これはちょっと違うと思いました。
1)グルダは元々Deccaの専属でしたが1960年代中頃から70年代初めにかけてグルダが契約していたのはこのAmadeoだけではないでしょうか。このベートーヴェンやバッハの「平均律」、小品集がAmadeo原盤だったと記憶しています。
2)Amadeoはその名のとおりオーストリアのレーベルで、もちろんメジャーではありませんが大手からは独立して制作していました。ただ後年Philipsに吸収されたようで、CD初期にはAmadeo原盤のグルダのディスクはほとんどがPhiipsから発売されたのを記憶しています。
ですからこのディスクはAmadeo原盤のユニヴァーサルからの再発です。再発としては上記のPhilips以来だったと思いますが、ユニヴァーサルの場合Philips系に限ってもアラウ、ブレンデルそれぞれ新旧とありますから後回しになったということでしょう。
輸入盤では先のPhilips再発以前にAmadeoから再発されたことがあり、その時聴いた最後の三大ソナタが白眉と感じました。Philips盤は高くて手が出なかったので今回ご紹介のものには予約をかけて飛びついたものです。
グルダの演奏したピアノソナタのアマデオ盤は音色が冴えなかった記憶があります。今聴くと、ベーゼンドルファーの美しさが出た物で、かつては自分のステレオが派手な音を志向していたのだと思います。
30代になり、CDを随分自由に購入できるようになってから所有したもので、録音に関しては世評の通りだと思いました。演奏は高校生時代に手に入れた、バックハウスのモノラルLPや、親父が数枚買っていたケンプのステレオLPの世界を基本に置いていたので、グルダの演奏は安心感がありました。輸入盤で安く買えた、ブレンデルのVOX盤と同じ様な印象でした。安心感と言う意味では。
彼らは、楽譜の読み方と言う意味で、自分たちが楽譜から想像する音のイメージからそう遠く無い、楽典を基本に置いた物でした。
こう言うのも、中学校時代に聴いた友人が持っていたGR盤のシュナーベルの全集や、親父の持ち物のフィッシャーのSPの熱情を聴いていたからで、それらは部分ですら楽譜からはとてもとても想像できない世界でした。想像出来ない部分が想像出来無い構成をされて全体像があるのです。途轍もなく大きな全体像です。その意味は、バックハウスやグルダ、ブレンデルが駄目だという意味では全く違います。割と常識的な部分を積み重ねて、大きな構造物を作っているという意味です。
しかも、見通しが良くて、バックハウス・グルダ・ブレンデルは、今思うと授業を聴くような明晰さがあり、大学の図書館で読んだ諸井三郎のベートベンソナタ分析を読んだのと自分の中で重なる物があります。勿論、バックハウスとはグルダやブレンデルは世代も違うし、個性も違いますし、時代と共に変化して行きました。
グルダは、割と頻繫に音楽雑誌にインタビューを受けていて、話す内容は学究肌のデームスやスコダとは違っていて、本当に自分の思いを適当に述べているという感じで、歴史的な事実というか音楽学的な事実とは違うような、突っ込みシロが沢山残っていました。ジャズと自作とベートーベンを一緒にステージに掛けるのですから、音楽学的事実なんてものより、演奏が面白いかどうかが問題です。頻繁にレーベンという言葉を使っていて、生命というよりも、生き生きとリズムが前に進むというような意味だと思っていますが、レッスンの録画が有れば面白いのですが・・・。
FM放送でグルダお得意の、バッハの半音階的幻想曲とフーガを弾いていて、楽器はクラヴィコード、電気的に増幅していて音色的には完全にエレキギターでした。どれぐらい増幅していたのでしょうか?普通のロックのコンサート程度で、オーケストラよりは相当大きいのではと想像していました。そして言う事が、「バッハにおけるスペインの影響を明らかにするために・・・。」でした。音楽学的にはどうか分かりませんが、演奏は説得力に満ちていました。後年、クラビノーバを弾いていた時は、増幅していたのかなあ?
熱情ソナタやワルトシュタインの素晴らしさは、バックハウスから学んだ気がします。でも、バックハウスは特別な演奏家です。ピアニストでは無く、音楽家です。
それ程有名では無い曲でも、けっこう大規模な四楽章形式の7番。11番。12番。15番。などの素晴らしさはピアニスト・グルダからだと思います。ぐいぐいと前に進んでいくあの感じが、まだ若いベートーベンの素晴らしさを引き出していたのでしょう。全体の構成も美しさの一つであることを教えてくれました。
後期のソナタの素晴らしさを知ったのは、ブレンデルのVOX盤の弾き崩した所の無い、きっちりとした演奏でした。分かったなんてよう言いません。偶然かも知れません。
ベートーベンのピアノソナタの素晴らしさを「知った体験」を分かち合いたくて長文を書きました。
ソナタアルバムに載っている何曲は弾いた事があっても、正式にピアノを学んだことはありません。ピアノよりも、キーボードを弾いて、周りの人たちと一緒に歌うなんて事の方が、機会としては多い位です。クラシック畑というよりも・・・。
何度も言うようですが、音楽を聴いた素晴らしい体験を分かち合いたいから、文章を書いているのです。