フェルメールを見てきました。
今回来日していたのは以下の三点です。
- <青衣の女>
- <手紙を書く女>
- <手紙を書く婦人と召使>
いずれも「手紙」に関わる題材で、そのため「フェルメールからのラブレター展」と題されています。お盆明けの平日なので人出も少なくてゆっくりと見ることができました。
「手紙を書く女」はあの有名な「真珠の耳飾りの少女」と同じように、見る側にまなざしを投げかけてきます。ですから、いささかドキッとさせられる構図です。
ただし、こちらの少女の方は「北方のモナリザ」とは違ってその眼差しはどこかコケティッシュであり、見る側をドギマギさせるような「生々しさ」は緩和させられています。
フェルメールといえば「青」が有名ですが、個人的にはこの「黄色」も大好きです。あのルーブルに所蔵されている宝石のように小さくて魅力的な「レースを編む女」も黄色が魅力的でした。
もしかしたら、この「手紙を書く女」が耳飾りの少女ほど生々しく感じないのは「黄色」と「青」の違いがあるからかもしれません。
どこまで根拠があるのかは分かりませんが、黄色には希望や幸福、開放感がイメージされるのに対して、青色は孤独や悲しみ、瞑想感を与えるそうです。
どちらにして、また一つ「黄色」の逸品を見ることができて幸せでした。
それと比べると、「手紙を書く婦人と召使」の方は、ドラマの一場面を切り取ったような緊張感がみなぎっています。
愛人に宛てた手紙を一心に書いている身分の高い婦人と、その手紙が書き上がるのを所在なげに待っている召使いのツーショットです。
ただ、近寄ってよく見てみると、この婦人は「直線」で造形されていることに気づかされます。それは、隣で所在なげにたたずんでいる召使いと比べてみれば、その違いは一目瞭然です。そして、この直線的な造形によって、情念そのものが結晶化したような印象を与えます。
おそらく、手紙の相手とはうまくいっていないのでしょう。もしかしたら、その愛人には若い女性が現れたのかもしれません。そして、自分のもとを離れていこうとする愛人を何とか取り戻そうと一心にペンを走らせているのかもしれません。
どちらにしても、手紙というものに込められた情念がこの一瞬に結晶化したような作品だと思いました。
この作品は補修が施されてから最初の公開ということで、今回のフェルメール展では一番の「売り」らしいのですが、個人的にはあまり好きになれませんでした。
フェルメールの「青」といわれる色が補修によって鮮やかさを取り戻したというのですが、正直な感想としては、それでもいささかくすんだ印象を受けました。
それに、青が映えるのは神秘的な印象を持ったものであり、それ故に「真珠の耳飾りの少女」にはぴったり合うのだと思います。偏見かもしれませんが、どうにも見栄えのしないおばさんにラピズラズリを使った「青」はもったいないような気がしました。
展覧会には、これ以外にも、同時代のオランダの画家による作品が多数展示されていました。
なかには、フェルメールの作品にもひけをとらないような素敵な絵が何点かあって、この時代のオランダのレベルの高さを感じさせてくれました。
個人的に気に入ったのは、ピーテル・デ・ホーホの「室内の女と子供」やヤン・デ・ブライによる出版業者夫妻の肖像画、コルネリス・デ・マンの薬剤師の肖像が等々・・・です。
3点もフェルメールの絵を見ることができたのは、実にうれしい限りでした。
フェルメールの「青」、全くの私見ですが、服飾が少し好きな立場から。
とくに「真珠・・・・」は黄色とのコントラストが効いてるではないか、ここにある「青」も茶色・黄色・暖色の緑、と色の濃さを合わせて描かれてる、とみます。
離れた色を、濃さを合わせてコーディネイト、黄色のYシャツにパープルのネクタイ・ジャケット(またはその反対)一度チャレンジしてみてください。