1954年4月4日にカーネギーホールで行われたトスカニーニのラストコンサートの模様を収録したCDです。
もちろん、これがトスカニーニのラストコンサートと銘打って行われたものではありません。突然の記憶喪失に見舞われて音楽が途中で止まってしまうと言うアクシデントによって、トスカニーニが潔く引退を決意したためにラストとなってしまったコンサートです。
この録音は、実験段階にあったステレオ録音で収録されていたと言うことで、LP末期の頃にはじめてリリースされた録音でした。
個人的には「際物」という印象があったために今まではパスをしていたのですが、気がつくといつの間にか「入手困難」な録音になってしまっていました。しかし、最近になって「在庫あり」になっていることに気づき、これも一つの機会だと思って入手してみることにしました。
このラストコンサートは「Music And Arts 」「Altus」 「Istituto Discografic」などからリリースされていますが、現時点では「Music And Arts 」と「 Altus 」が在庫ありになっているようです。
<Music And Arts >
トスカニーニ/ファイナル・コンサート(ステレオ)
<Altus>
管弦楽曲集~トスカニーニ・ラスト・コンサート
音質的には、「Music And Arts 」がかなり強引にノイズリダクションをかけているようで、一聴すると非常に聞きやすくなっています。「 Altus 」の方はオリジナルを大事にしているようでかなりノイズ混じりのいささか埃っぽい音質です。
昨今の復刻の基本は「 Altus 」の方だと思うのですが、歴史的録音になれていない人にとっては「Music And Arts 」の方が聞きやすいと思います。
特に、最初のローエングリンなどは基本的に静かな音楽なので「 Altus 」の方はかなり厳しいです。しかし、「Music And Arts 」の方だとその精妙な響きが十分に楽しめます。
さて、問題は演奏の方なのですが、これは「際物」と切って捨てるに惜しい魅力にあふれていることに気づかされました。いや、ある意味では、これはワーグナー演奏の一つの頂点を示すものと言ってもいいかもしれません。
特に、少しばかり意地が悪いのですが、トスカニーニが記憶を失って演奏が途中で止まってしまった「タンホイザーの序曲とバッカナール」はいろいろな意味で興味が引かれました。
この演奏は、集中力を持って聞いていると明らかに最初から変です。特に、弦楽器の静かな演奏に管楽器(ホルンかな?)が加わってさらに金管群が雄大に盛り上がってくる部分で、明らかに混乱が起こっています。
なるほどと思って、もう一度最初から聞きなおしてみると冒頭の弦楽器群も少しばかりとまどいが感じられるような気がします。
そして、管楽器群が混乱を起こし始めたその先でトスカニーニは記憶を失いかけます。CDの方は上手くつないでいるので、ぼんやり聞いていると聞き逃してしまうかもしれませんが、集中力を持って聞いていればすぐに分かります。
ほんの数秒の事ですが、オケが手がかりを失って少しずつ音が落ちていく「怖さ」はたとえようもありません。
おそらく、ここから立ち上る恐怖はトスカニーニの胸を貫いた恐怖そのものなのでしょう。実際の演奏会では、この後オケは完全に止まってしまい、あわてたNBCはすぐに放送をブラームスの一番に差し替えて「放送事故」を防いだのですが、トスカニーニの方は呆然としながらも再び記憶を取り戻して演奏を再開し、放送の方も再びワーグナーに戻るのです。
さて、問題はこの後です。まさに親分の一大事を前にして、オケのメンバーたちは自らのもてる最高のパフォーマンスを発揮し始めたのです。この後の圧倒的な迫力と突進力は(あまりこんな言葉は安易に使いたくないのですが・・・)まさに空前絶後のものです。
明らかに、オケのメンバーは指揮者とコンマスを鬼の形相で見つめ続けて、必死の思いでトスカニーニを支え続ける様子が手に取るように伝わってきます。その事は、トスカニーニの最後の演奏となったマイスタージンガーの前奏曲においてもはっきりと聞き取れます。
ショックを引きずったトスカニーニは明らかに強力な統率力を失いかけているように聞こえます。しかし、コンマスを先頭にオケのメンバーが自発的に自らのタガを締め直します。
もちろん、トスカニーニが引退を迎える時期が近づいていることをオケのメンバーは知っていましたし、その時が同時に自分たちが「失業」するときだと言うこと承知していたはずです。ですから、この「事故」に出会ったとき、自らの「職」を守らんがために必死で頑張ったという見方もできるかもしれません。
しかし、この演奏を実際に耳にしてしまうと、そのような「下世話」な憶測などは吹き飛ばしてしまうほどの「力」を感じてしまいます。
演奏という行為は本来は「非日常」的な行為のはずですが、日々演奏活動を繰り返す多くの音楽家にとっては、いつの間にかその「非日常」が「日常」となってしまいます。
しかし、時に、ある種の「異常事態」が「日常化」してしまった演奏という行為を本来の「非日常」の世界へと誘うときがあります。
フルトヴェングラーにあっては、「明日をも知れない大戦下での演奏」がその「異常事態」に当たりました。それ故に、彼が最高のパフォーマンスを発揮したのは第二次大戦下だったことを否定する人はいないでしょう。
このトスカニーニのラストコンサートもまた、トスカニーニが記憶を失って演奏が止まってしまうと言う「異常事態」が発生することで、いつもの「日常」的な演奏行為が一気に「非日常的」な行為へと変容していきます。私が最初に、「ワーグナー演奏の一つの頂点」と言ったのは、そのような文脈においてでした。
その事を思えば、これを持って指揮棒を置いたトスカニーニの決断は、これ以上は考えられないほどの「美しい引き際」でした。
この一時だけでも、やはりただ者ではなかったと思わざるを得ません。
一度は聞いてみる価値のあるCDです。
<追記>
己の耳を信じて上のように書いたのですが、いささか不安になったので図書館へ行って文献に当たってみました。その結果、いくつかの重大な思い違い(聞き違い)をしていることに気づきました。
まず、トスカニーニが記憶を失ってオケが止まってしまったと書いたのですが、どうやら真実は「止まらなかった」ようなのです。
また、その記憶を失った場面も、私がここだと思った3分40秒から4分過ぎあたりではなく、バッカナールに入って終曲間近の部分だったと言うことなのです。しかし、私の耳が主張するところによると、明らかに3分半過ぎあたりはオケが方向性を失いかけているように聞こえます。そしてオケのメンバーは親分の不調を敏感に感じ取り、ここから必死の形相でサポートし始めたように聞こえます。
そして、実際にトスカニーニの指揮が止まったのは300小節あたりと言うことらしいのですが、私の耳ではどこで止まったのかは明確に聞き取れませんでした。
おそらく18分30秒あたりかなという気がするのですが、手元にスコアがないのではっきりと指摘はできません。
というのは、この止まった部分は編集で上手くごまかしているのではなくて、どうやら音楽は「止まらなかった」ようなのです。
確かにトスカニーニはこの部分で記憶を失って指揮棒をおろし、片手で両目を覆ったのです。彼は、そうして必死で記憶を取り戻そうとしたのです。その時間はおよそ20~30秒だったと言われています。
しかし、オケは最初はトスカニーニの指揮に従おうとしてよろめくのですが、すぐにこれは駄目だと判断して指揮者なしで演奏を続けたのです。
しかし、放送のコントロールルームの方では、指揮をやめたトスカニーニの姿を見て、とっさに「技術的困難によって中継できない」趣旨のアナウンスを流してブラームスの録音に切り替えるのですが、実際のコンサート会場ではオケが必死で演奏を続けていたのです。
ですから、このCDを聞ける演奏こそが、その当日にコンサートホールで鳴り響いていた演奏なのです。
つまり、音楽はとぎれなかったのです。
そして、これはあまり知られていないことですが、トスカニーニはタンホイザーの演奏が終わると舞台に下がろうとします。しかし、団員の「まだマイスタジンガーが残っています」という声に舞台にとどまり、指揮棒を振り下ろします。
しかし、この時も終曲近くになって、再びトスカニーニは記憶を失い指揮棒をおろしてしまいます。しかし、この時はオケは何事もなかったように演奏を続けます。そして、その演奏が続く中をトスカニーニはステージを去っていきます。オケはその背中に壮大なクライマックスの音楽を響かせてコンサートは幕を閉じます。
正直言って、何度聴き直してみても、どこでトスカニーニが指揮をやめたのかは全く分かりません。
客席からの万雷の拍手、凍り付くオーケストラ、そしてトスカニーニは再びステージに姿を現すことはありませんでした。
これが、ラストコンサートの真実だったようです。
おそらく、こんな聴き方は間違っているのでしょう。しかし、歴史の一場面としてこれほど興味深く感動的な演奏はそうあるものではないと思います。